Wildflower〈Superfly〉

 きっかけはどこにあるか、およそ分からないもので、


 ──You Tubeのオススメ動画に出てきた。


 というのが鳥居理亜りあの場合、初めて世の中にカスタムカブという乗り物の存在があることを知ったはじまりであった。


 理亜が手伝っている実家の喫茶店は西陣にしじんに近い上七軒かみしちけんのど真ん中にあって、西陣から上七軒にかけての区域は空襲らしい空襲もなかったところから、その古色を帯びた、和洋折衷の普請のカフェは人気があった。


 が。


 逆になかなか息をつく暇もないほど接客や給仕に慌ただしく、理亜が一人の時間を持てるのは、閉店した夕食後の遅い昼寝をしたあとの真夜中ぐらいのものである。


 動画で理亜が見たカスタムカブは、葵橋あおいばしの河畔の桜並木を背景に黄色のリトルカブで疾駆する同年代の桐原ゆうというモデルの動画で、侑は今出川いまでがわの女子大学に通いながら、たまに東京へ出てモデルの活動をしている──との由であった。


 ──まぁ、住む世界がちゃうから。


 本音を包み隠さず言う性分の理亜に言わせると、おおかたそんなところであったらしいが、しかし反面わずかに羨ましいものも感じ取っていたのか、敢えて感懐を挟まないように動画を見ていたらしかった。





 さて。


 理亜の喫茶店は土日が忙しく、平日は特に昼過ぎに客足が途切れることがある。


 しかも。


 まかないのサンドイッチを手にバックヤードで食べ終えた直後、珍しく来店を報せる引き戸の鈴が鳴った。


 理亜が応対に出ると、


「あの…やってますか?」


「いらっしゃいませ、お一人様ですか?」


「はい」


「ではカウンター席へどうぞ」


 対応しながら、来客が桐原侑であることに理亜は気づいていた。


「じゃあ、この白玉ポンチとコーヒーのセットで」


 侑は決断に余念がない。


 程なく理亜が白玉ポンチとコーヒーを持って来ると、


「…娘さん?」


「はい」


「あなた、可愛いからモデルさんしてみたら? お店のいい宣伝になると思うけど」


 理亜にすれば侑のパキパキした物言いが気に入らなかったのか、


「モデルするほど暇やありませんから」


 理亜はそのまま、奥へ引っ込んでしまった。





 通常ならここで態度の悪い店員だという話だけで終わるが、ここで終わらなかったのが侑の侑たる所以で、


「あの子、可愛いのに面白いね。何て子?」


 侑は会計で平謝りするマスターに、侑は逆に関心を持ったらしかった。


「いや…あの子はちょっと変わってるから…」


「でも、あんなにメイド服が似合う子なんてそういないから、ちょっと気になっちゃって」


「まぁ、叱っておきますから」


 この日はそれで終わった。


 さらに何日か過ぎて、喫茶店にローカル番組の生中継が来ることになり、理亜はキャラメルパフェを出す役割になった。


「カメラ大っ嫌いなんですけどね」


 あとから来るリポーターの代役のスタッフに言うと、


「いや、変わってもらってもマスターやと画が保たんので」


 言い返すスタッフもスタッフであろう。


 そこへ。


「すいません、渋滞でバス動かなくて…」


 言いかけた声が止まったので理亜が振り向いた。


「あ、こないだの」


 そこには桐原侑がいる。





 こないだはすいませんでした──そう理亜が謝ると、


「うぅん、私も失礼なこと言っちゃったから」


 理亜が侑と顔見知りであることが分かるとスタッフは急に態度が変わり、


「あの…そういうことは早く言うてください」


 やたらと猫を撫でるような気持ちの悪い声になり、理亜はたまらず苦い顔をした。


 生中継が終わると、


「えーと、理亜ちゃん…だっけ?」


「はぁ」


 理亜は突っ慳貪な、それでいて悪くない心持ちの声で応えた。


「今度さ、実はちょっとお付き合いしてついてきて欲しい場所があるんだけど…いいかな?」


 理亜は少し考えてから、


「都合が合えば大丈夫ですけど…どこですか?」


 侑は「それはあとで話すね」というと連絡先を渡して、


「またあとから連絡するね」


 次の仕事があるから──侑は慌ただしく店を出た。





 侑から連絡が来たのはその日の夜中で、侑いわく「ちょっと一人じゃ行きづらいところだから、ホントは誰かに頼みたかったんだけど、友達にも頼み辛くて」というLINEが来た。


「まさか変に怪しい場所やないよね?」


「大丈夫、私が契約してる事務所の本部だから」


 理亜は少し渋い気もしたが、乗りかかった船で仕方なかったのか、


「取り敢えずその日は決まったらバイト休むから」


「それは私からマスターに話すよ」


 取り敢えずその日はそこまでで話が終わった。


 何日かして、侑と北野白梅町の駅で待ち合わせた理亜は、侑の例の黄色のリトルカブのリアキャリアに乗って、京都駅を目指した。


「本部ってどこ?」


「東京の青山。だからこれから新幹線」


 切符はある──理亜は観念したような顔をすると、


「そろそろ理由訊いてもえぇよね?」


「うん。私──事務所、辞めたいんだ」


 それには何らかの理由で今の事務所から離れる必要があるらしく、


「それで私コンビを組んで、お笑いを目指すから辞めますって言おうかって考えてたときに、理亜ちゃんに出会ったって訳ね」


 なんとも勝手な話ではないか。





 こんなところで理亜は喧嘩をしても始まらないと思ったのか、


「でも何で私?」


 東京行の車中で、理亜は問うた。


「だって…理亜ちゃん、何か昔の私と話し方とか似てたから」


 昔は私も人付き合いとか苦手で──そう言うと侑は、理亜を見たときに他人ではないような空気を感じたらしいこと、似たような話し方を聞いて直感で頼んでみようと思ったこと…を、縷々と述べた。


 理亜は黙っていたが、


「随分身勝手やね…でも、気持ちは分からなくもないし、ここまで来たら逃げられへんしね」


 苦笑いしながら理亜は、侑に自身と似たような面を感じていたようであった。


 東京の事務所に着くと、侑は理亜の隣で書類に何枚か署名と印鑑を捺し、あっけないぐらい早々と手続きが終わって、四半刻もしないうちに事務所を出た。


「もっと引き留めるかと思ったら、案外あっさりやね」


「でもありがと理亜ちゃん、あなたがいなかったらこんな決断は出来なかった」


 これで変な気を遣わなくて済む──侑は晴れ晴れとした顔で、


「理亜ちゃんはさ、バイクとか乗らないの?」


「うーん、興味はちょっとあるかな」


 帰りの新幹線のなかで、理亜は応えた。





 モデルを辞めた侑は、理亜のカフェで厨房のアルバイトを始めた。


 理亜は侑のすすめで原付の免許を取り、侑がリトルカブを買ったディーラーに勧められた銀色のリトルカブを買った。


「これで自由に動けるよね」


 侑の言葉を半信半疑で聞いていた理亜であったが、侑と一緒にリトルカブで足を伸ばすうち、


「何で侑ちゃんはバイクに乗るの?」


「私ね…自由になりたかったんだ。進学だって親がすすめたから今のところに入ったけど、ホントは違うところに行きたかったし」


 理亜ちゃんだって同じじゃなかった?──侑の言葉は、理亜の内心の底を見透かされたようで、理亜は何も反駁することが出来なかった。





 侑は理亜を、将軍塚の展望台まで伴ってリトルカブで登り切ると、


「ここね、私が一番好きな場所なんだ」


 確かにこの場所は京都の街が一望できる。


「多分モデル続けてたら、来られなかったかも」


「またモデル戻りたいとかないの?」


「ないかな。だってメリット薄いし…それより、理亜ちゃんみたいな友達ができたことのほうが、よっぽど価値があることだし」


「侑ちゃん…」


 昼下がりの京都の街は少し薄曇りで、しかし遠くで椋鳥の声がする。


「今度はさ、理亜ちゃんの好きな場所に連れてってよ」


「──うん!」


 理亜は侑の前で、初めて笑顔を見せたような気がした。


 少し混み始めてきたので、


「理亜ちゃんの店の白玉ポンチ、食べに行こ」


 そう言うと侑は理亜を伴い、もと来た坂道をブレーキを踏みながら、緩やかに下ってゆくのであった。



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