CHASE!〈楠木ともり〉

 森島華南かなんの女子高は海を望む高台にあって、校門前の坂は近隣の住民から、


 ──JKジェーケー坂。


 と呼ばれている。


 割と華南の家は近場なので歩いて通っているが、もっとも仲の良い鬼崎きざき千沙都ちさとの生家の楞厳りょうごん院という寺の角から始まるJK坂は、そこそこの勾配でもあるため、部活動のダッシュやランニングのコースとしてよく女子高生たちのたまり場ともなっていた。


 華南と千沙都は母親どうしも同級生で、生まれた産婦人科も同じであったところから、物心ついた頃からの幼なじみでもある。


 しかし。


 どちらかといえば活動的で運動を好む華南と、本好きでいつも図書室にいる千沙都はまるで真逆で、誕生日の早い華南が、いつも早生まれの千沙都を妹のように面倒を見ることはしばしばで、


 ──お菓子がもらえるなら、もう少し妹分でいようかな。


 などと、千沙都は千沙都で三姉妹の末っ子らしく甘え上手なところもあった。





 さて。


 そのような華南と千沙都であったが、ともに進路を考えなければならない時期に差し掛かって、華南はアルバイト先のサーフショップでそのまま働き続けるつもりで、敢えて進路は決めていなかった。


 いっぽう。


 千沙都は横浜にある系列の女子大学へ進学するつもりで、模試や受験対策に励んでいた。


 そんな中、華南は通勤の足として二輪の免許を夏休みに取ったのを機に、バイクを買うことにしたのであるが、


「ベスパって超高くってビックリしたさ」


 ベスパは中古でもまず10万を下るものはない。


「在庫にあるのは蕎麦屋で見るようなスーパーカブだし…」


 華南にすればスーパーカブはまず、あの泥除けがオジサン臭くて気に入らないらしい。


 確かに楞厳院にもスーパーカブはある。


 住職をつとめる父親が法事や盆参りの際によく乗っているので、千沙都は取り立てて何の疑問もなかったのであるが、気になる人は気になるようであろう。





 少し、過ぎた。


 余談ながら華南のサーフショップの隣には雑貨を扱う小さなセレクトショップがあるのであるが、そこへ見慣れないバイクで来る女性がある。


「あぁ、ホテル白崎の優香ちゃんか」


 近所にあるホテルのオーナーの娘の白崎優香であることは、華南にはすぐわかった。


 というのも。


 優香の妹と華南はクラスメイトで、知らない顔ではなかったからである。


 結論から先に記すと、その白崎優香が乗っていたのがいわゆるカブで、しかもトレールCT110というオフロードバイクであった。


 華南はその辺りから意識が変わったようで、


「カスタムしたカブも悪くないかな」


 スマートフォンで調べるとオシャレにできることも分かり、バイトの給料日の頃には何を買うかで計画を立てているほどであった。





 やがて。


 華南が買ったのはC90の丸目カブと呼ばれるオーソドックスなタイプであったが、ここから華南が取り掛かったのはまず、通販で見つけたカットレッグシールドに変えて、ミラーをクラシカルなジョルノミラーに変えたことであった。


「少しずつ変えれば良くなるかなって」


 ポジティブな華南らしい行動力ではあろう。


 千沙都は前向きに取り組む華南を、羨ましくもあり、自分にはない輝きを感じたりもしていた。


「自分には夢がまだないから…」


「身近なところから変えてみればいいんだって」


 華南は目標の意識ができると、まっしぐらに突き進んでゆくところがある。





 冬休みが近づいた頃、華南は千沙都を後ろに乗せ、学校の近くにあった展望台を目指した。


「もうすぐ離れ離れだからさ、思い出ぐらいは作りたくて」


 地元に残ることを決めた華南と、横浜の系列の女子大学へ行くことを決めた千沙都であったが、


「私は止めないよ」


 華南は千沙都に述べた。


「でもとりあえずって決めただけだし…」


「なりたいものがまだ見つかってないだけだよね? これから探せばいいじゃん」


 私はライフセービングの資格を取るつもりだけどね──海が好きな華南は、海に関わる仕事を目指しているようであった。


「千沙都はさ、本が好きなんだから本に関わる仕事をしてみたら?」


「本に関わる仕事…?」


「詳しくはないけど、例えば作家とか図書館の学芸員とか」


 話しているうちに展望台が見えてきた。




 展望台は夕日に照らされていた。


 海も朱に染まり、空には刷毛ではいたような薄雲が桃色に染まってたなびいている。


「…私、昔から物語を書くのが好きで、できれば物語を書いていきたくて」


「カッコいいじゃん」


 華南は横顔のまま返した。


「…笑わないの?」


「笑う理由なんかないって。てか、なんで笑うの?」


 華南の言葉に千沙都はハッとした顔になり、


「…なんかさ、夢って口にするのが恥ずかしくて」


「それは無知な人が笑うんだよ」


 華南の一言は、力強い説得力があった。


「千沙都は千沙都らしくいられたら、それでいいんじゃないかな」


 泣きそうな顔をしていた千沙都の髪を、華南はあやすように撫でた。





 卒業式のあと、華南と千沙都は華南のC90で海までタンデムのプチツーリングをした。


「夏休みには帰れるかもしれないけどね」


 千沙都は明るく述べたが、華南は僅かな時間の縮まりが惜しかったらしく、


「いっぱい写真撮ろうね」


 華南はスマートフォンでツーショットをかなり撮ったのであるが、


「たくさんあれば困らないじゃん」


 あとで送るね──華南は満面のスマイルで答えた。


 その何日かあとに千沙都は横浜へ出発し、一週間後にはキャンパスの近くにアパートも借りて、華南とはたびたび連絡を取り合いながら、しかし前ほどの頻繁さではなく、次第にLINEも間が空くようになっていった。





 海で撮った写真が大量にデータで華南から送られた数日後、実家の寺から珍しく電話が来たのであるが、


「華南ちゃん、事故ったらしい」


 すぐに帰ることが出来なかった千沙都は、ゴールデンウィークになってようやく帰郷することが出来た。


「バイクごと崖から落ちて…」


 その日のうちに亡くなって、葬儀も家族だけで済ませたらしかった。


「千沙都ちゃんには、向こうでの暮らしが落ち着いたら連絡したほうがいいって話があって」


 どうやらそれは華南の千沙都に対する思いから出たものであったらしかったが、大量にデータで送られた写真の華南は、生前の明るくキラキラとした笑顔であった。


 その場では泣くまいと決めて焼香を済ませ、横浜へ戻ると、ロフトベッドの枕に顔を埋め、声を放って哭いた。


 千沙都は何日か呆けたような、ぼんやりした日を過ごしていたが、華南をモデルに短編を仕上げて小説のサイトに載せるや、アクセスが増えて作家への道を歩み出すことになったのであるから、世の中は塞翁が馬であろう。


 だがしかし、バイクの話だけは華南を思い出すのか、千沙都はバイクの物語をみずから書くことはなかった。





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