第4話 御前試合
重く響き渡った金属音。振り下ろされた剛剣の軌跡が、また別の剛剣によって阻まれる。白昼に行われる一連の斬り合いを、取り巻く生徒たちは固唾を飲んで見守った。
士官学校の屋外修練場。普段なら木で出来た剣や槍を用い、若者が競い合うこの空間で。全校生徒に見守られる中心には、本物の剣戟が繰り広げられる。
「衰えましたかな、フレスベルグ卿……! この程度の一太刀、昨年までは難なく捌いてみせたでしょうに……!」
「なんのこれしき……ッ! 貴官に花をもたせてやっているだけだ、ヘルマン将軍……!」
鍔迫り合いの状態から、舌戦においても両者は一歩も譲らない。得物は双方共に長剣なのだが、一般的なそれとはサイズの桁が違う。
柄を含めた全長では成人男性の背丈に匹敵する、巨大な剣。両刃をした刀身の、根本の部分には刃の代わりになめし革を巻いてあり、これを第二の持ち手として振るっていた。
ツヴァイヘンダーと呼ばれるこの得物は、剣でありながら長柄武器の特徴も備える。というより、この全長では両手剣として振るうのに無理があった。遠心力を利用して左右に振り回し、あるいは突く。重量を乗せて加速する剣は、放った側が振り回されねば強力だ。
もっとも――あくまで一般的な人間の体躯を基準とするのなら。
「ぐ、ぬぅ……!」
「ぬおぉ……ッ!」
渾身の力を込めて、相手を押し切ろうとする巨漢が二人。いい加減にどちらか退けばいいものを、まるで諦める気配がなかった。
片や白髪にあるまじき硬質の髪を持つ、壮年の男。名をフレスベルグという彼は、青羽の王国に仕える将軍であり、元は傭兵団を率いて各地を放浪した武人である。彼の瞳孔は人より獣のそれに近く獰猛で、その証拠にフレスベルグの祖父は獣人。要するに魔族の血を引く混血だ。
一方、これに相対する男――ヘルマンは純粋な魔族。茶褐色の肌に、人間で言う犬歯とちょうど逆向きに生える牙は、猪のそれを彷彿とさせる。
いわゆるオーク。かつての衰退戦争の最中、初代魔王に尖兵として生み出された最初の種族だ。肉体の力強さも去ることながら、特筆すべきは魔力に対する高い耐性。充分な訓練を積んだオークの戦士は、大抵の魔法を真正面から跳ね退ける。敵の砲火を突破し、強引に白兵戦へ持ち込むべく作られた種だ。
そんな両者は、どちらも並みの人間より頭二つ分は大きく、言わずもがな頑強な筋肉の塊だ。最早これだけで鎧は無用と思える巨体の手にあっては、さしものツヴァイヘンダーと言えど、ただの長剣に見えてしまう。
「――いつになってもまあ」
二人の猛将の、斬り合いというより力比べになりつつある戦いを見守る観衆の中。ふと朗らかな声を上げたのは、ブロンドの髪と白い肌を備える青年だった。
見学者はほとんどが士官学校の生徒。近い将来、魔族帝国軍の将校として各地に配属されるだろう魔人や混血の若者なのだが、この青年は人間である。年齢も彼等より一回りはあった。ただし最たる違和感は、その装いと雰囲気だろう。
銀細工よろしく精巧に作られた、白銀の胸当てとグリーヴ。本来ならここにまだいくつか、全身を守る同様の防具を纏うはずなのだが、たったこれだけでも立場の違いがよくわかる。一見して儀礼用と思しき鎧は、しかし青羽の王国が代々ただ一人のために鋳造する最高の品。フレスベルグやヘルマンであっても、そう易々とは傷もつけられない。
加えて、この鎧を身に着けるに相応しい、気品というものが青年には漂っていた。教養によって得たものか、先天的な才能か、あるいは古よりの血がそうさせるのかもしれない。衰退戦争の災禍であってさえ、途絶えることのなかった王の血である。
「あの二人は仲良しですねぇ」
ジェレミー・ターコイズ。青羽の王国の後継者。いずれ一国を背負って立つ青年は、家名となっている宝玉に等しい、青く澄んだ瞳で柔和に微笑んだ。
「僕にもああいう友人が欲しいものです。タウンゼント、あなたもそう思いませんか?」
「畏れながら、殿下までフレスベルグ卿のようになられては、臣民はさぞ肝を冷やすことでしょう」
「おや? てっきり肝を冷やすのはあなただけかと思いましたが」
「幸いなことに、やんちゃな王太子殿下の教育係は、十数年前にお役御免となりましたので」
なのにどうして、こんなことをしているやら。半ば辟易としてそう言いたげにしているのは、礼服を着た四十がらみの男性。中肉中背のお手本のような体格ながら、後ろ手に佇む姿には一本の芯がある。スキンヘッドの浅黒い肌に、物事を正しく見通す眼差しをした彼は、武官でなく文官。なのだが、剣にせよペンにせよ、挑んだら一筋縄ではいかないだろう。
王国人だが王子の側近ではない。首都パッヘルベル駐在のタウンゼント大使。魔族帝国と青羽の王国を繋ぐ、言わば中心人物である。
本来の予定ならば、タウンゼントは今日ここに来るはずでなかった。午前の内にジェレミーとフレスベルグとの会談を済ませ、午後は残っている雑務を片付ける。
そのはずが、ジェレミーに無理やり連れてこられた次第。王子としての特権? いやいや、単純にこの大使、隣の王子には弱いのだ。
「ひどいことを言いますねぇ。せっかくの良い天気なのだから、外に出なければ毒ですよ。あなたも以前はそう仰いませんでしたか、マスター?」
「殿下、マスターはお止めください。片付ける仕事が残っている日は別と、付け足すべきでした」
現在の職に就く以前、まだジェレミーがずっと幼かった頃だ。タウンゼントは彼の教育係であり、剣の師でもあった。
正確には後者はおまけ。というより、本来の仕事でなかった。当時、内向的すぎるきらいのあったジェレミーを鍛えるべく、彼の父――すなわち国王直々に剣の修行を任されたのだ。ジェレミーの使った台詞は、部屋から出たがらない彼を引っ張って行く際の常套句である。
その甲斐あってと、果たして言って良いのか悪いのか。ジェレミーはすっかりと変わった。変わりすぎていた。ターコイズの名に恥じない熟達の騎士であると同時に、常に微笑を浮かべ、理由をつけては自ら進んで旅する放浪王子に。
これで結果を出してしまうから手に負えない。落ち着いた微笑と正反対に、未だ少年の冒険心を忘れられない王子。ジェレミーの勇名は、大使となって久しいタウンゼントの長年に渡る頭痛の種だ。その内、ふらりと行った先で命を落としてしまわないかと、噂を聞く度に冷や汗をかく。
一方、ジェレミーもジェレミーでタウンゼントにはよく懐いており、機会さえあればこうして無理やり連れ出している。合同演習中はそれぞれの公務があるため、今回の視察は絶好の機会だった。
「子は親の背中を見て育つと言いますが、僕は父よりあなたの背中を育ってきましたからね。自業自得と思って諦めてください?」
「陛下のお耳に入れば、さぞ悲しまれるでしょう」
「結構、親孝行もしているつもりなんですけどねぇ。ところで、どちらが勝つと思いますか?」
まだ鍔迫り合いを続けている二人の猛将だ。ここまで続くと、今更になって退くのは難しい。戦いの定石としては機を見て後退、体勢を崩したところに追撃を加えるだろうが、両者の負けん気がそんなやり方を許さないだろう。
もっとも、ジェレミーの目論見はまた別の方向にあった。
「……ヘルマン将軍に百ゴールドを」
首尾よく察したタウンゼントが、渋々言う。
「おや? 僕は賭けをしようとは言っていませんよ? まあでも、マスターがお望みなら仕方がありませんか」
「何を白々しいことを……」
王家でなければギャンブルで王座を買っていた。――そう称されるのがジェレミーだ。各地を旅しながら、微笑というポーカーフェイスでゲームに興じる博徒でもある。
「お気になさらず。建前ですよ、建前。では僕はフレスベルグ卿に二百。――おや?」
一瞬、王子と大使は目を細めた。猛将の競い合いに、あるかなきかの変化の気配。
「――どっ……せぇえええいッ!」
「ぬおぉ!?」
凄惨な咆哮を発して、ついにヘルマンが相手の剣を押し切った。ぐらりと傾くフレスベルグの胴体へ、振りかぶられたツヴァイヘンダーが迫る。
「取ったぁッ!」
「なんの!」
斜めに振り下ろされた大剣を、フレスベルグは巨体にあるまじき俊敏さで屈んでやり過ごし、そのまま将軍めがけて突進した。
「ぐおっ!」
ほとんど自分と同等の質量の体当たりに、ヘルマンが吹き飛ぶ。背中から地面に落ちたところを、追撃の刺突が繰り出された。
「チィッ!」
貫かれる寸前、ヘルマンは側面に転がって回避。さらにもう一撃来た刃を、今度は大剣を横薙ぎに振るって払いのけた。間髪入れず、バク転の要領で跳ね起きて構えるが、紙一重の差でフレスベルグが先んじる。
「ぬぁりゃあッ!」
気合いを伴って、フレスベルグの大剣が振り下ろされた。全体重を乗せた兜割り。斬るというより、衝撃力で頭蓋が粉砕される一撃だ。
しかし、
「しぃっ!」
鋭い呼気を放つと、ヘルマンは相手の太刀筋を迎え撃つ。――否、フレスベルグの太刀筋に、合流させた。そして勢いを利用して受け流した時、右側面へと逃れている。
「ぬっ!?」
「せいッ!」
がら空きになったフレスベルグの首元へ、ツヴァイヘンダーの刀身が迫り――断ち切る寸前で踏み留まった。
「ぐ、ぬ……!」
「そこまで!」
審判を務める教官が告げるまでもなく、両者の中ではすでに勝敗を受け入れている。渾身の一太刀を見切ったヘルマンに、やがてフレスベルグは不敵に笑う。
「――見事。我が友」
「謹んで、フレスベルグ卿。我が友よ」
剣が引かれ、歓声が響く。両国を代表する二人の戦士。その御前試合を前にして、若者たちは熱狂した。
「おやおや。あてが外れてしまいました」
「どうも、殿下」
鳴り止まない拍手と喝采の中とあっては、誰も気付くまい。満足そうにいくつかの硬化を渡した王子に、肩を竦めて受け取る大使の姿など。
「皆、フレスベルグ卿に敬意を! そして心に留めよ! これが戦闘だ!」
得物を地面に突き刺し、興奮冷めやらぬ若人たちへとヘルマンが語る。
「諸君の多くは、種族としての特性を受け継いでいるだろう! 魔力に富み、あるいは優れたスキルを備えるだろう! だが、それだけでは戦いにならん! それらを扱う技術と判断力が無くしては、諸君ら自身の命取りとなる!」
歓声もようやく落ち着いた候補生たちが、はやる心で例外なく将軍の言葉に聞き入った。年に一度の合同演習。その前日、士官学校で行われるヘルマンとフレスベルグの戦いは最早、恒例行事となっていた。
そうなってもなお、両者の対決は彼等の心を掴んで離さない。いつか自分も、ああなりたいと。ああいう風に戦うのだと。羨望と敬意の眼差しをじっと注ぐ。
一方で、
「いやはや、負けてしまいました」
「ご苦労さま、フレスベルグ。おかげで儲け損ねたけど、まあ気にしないでいいですよ」
ひと仕事を終えた猛将を、ジェレミーはやはり微笑で出迎えた。途端、フレスベルグは、おっ、という顔になる。
「ということは、大使閣下はヘルマンに賭けたので? 心外ですなぁ!」
「卿は花を持たせ過ぎなのだ」
豪快に笑うフレスベルグへ、タウンゼントの冷静な言葉はさらなる笑いを呼び起こした。
「いやなに! 通算ではまだまだ勝ち越しておりますからな! 殿下、次の機会には大使閣下の財布を巻き上げると致しましょう!」
「期待していますよ。なんなら身ぐるみまで剥いでみましょう」
この王子にしてこの臣下だ。
「お戯れを、殿下。……ハァ」
心労、推して知るべしといった盛大なため息で、タウンゼントは空を仰いだ。かつての教え子が、王族らしく権威と責任ある振る舞いを覚えてくれるのは、果たしていつになるやら。それを思えば、ヘルマンたち魔族帝国の臣民はずっと楽なのだろう。
――いや。
直後に前言撤回する。この国もこの国で、王に対する悩みは絶えないはずだ。そもそもジェレミーがこういう性格に育ったのも、彼女の影響が大きいのだから。
乞われればどこへなりと駆けつけ、あらゆる危険を斬り払ってきた不老不死の彼女。そういえば彼女は、まだ姿を見せていない。あの教授のところだろうか? 遅れる旨はすでに聞いているため構わないが、是非、教授も連れて来てほしい。あの男とはどうも、同じ頭痛を共有している気がする。
と、
「……ん?」
空の一点。雲ひとつない蒼穹の中に、タウンゼントは黒い影を見つけた。鳥? それにしては形が違う。影は徐々に大きさを増して――いいや。それは形を変えているのでなく、地表へ近づいている。
「タウンゼント? ――おや」
視線を追った先で、ジェレミーたちも影に気付いた。そうして彼女らしいと小さく笑う。遅れたから急ぐ、と。理屈はわかるが、何も空から降ってくることもないだろうに。
「今日は良い機会だ! 諸君らに、私自ら稽古をつけられる! 腕に覚えのある者は名乗り出るがいい! この俺に打ち勝ったのなら、明日から望む役職に就けることを約束しよう! 栄えある第三航空戦闘団、由緒ある第二二装甲騎兵連隊、そして最精鋭たる第一猟兵旅団! 諸君がいずれこうなると願う部隊へと、即座に配備されることを約束する! さあ! 一番手は誰……が?」
演説が中途で勢いを無くした。頭上から降り立った彼女の姿に、誰もが息を呑む。黒衣を纏い、面頬を付け、ひと振りの刀を携えた王の姿に。
果たしてヘルマンとフレスベルグ、二人がかりでも彼女には勝てるかどうか怪しい。一個人のスペックが違い過ぎるのだ。どれほど強大な魔力とどれほど強力なスキルがあれば、空の彼方より一直線に落下して立てるのだろう。しかも着地の際、彼女からは歩く時ほどの靴音しか発せられなかったのだ。
「すまない、ヘルマン。遅れてしまった」
「ま、魔王陛下……? ――! 敬礼ッ!」
面食らったのも束の間。ヘルマンの号令により、若者たちが瞬時に姿勢を正す。さすがに士官学校というだけあった。
もっとも、
「ああ、いや。構わんから、そういうのは。みんな、楽にしてくれ」
当の魔王は、あまり礼節に関心がない。建国の英雄にして救世主。その本来の言動を前にした時、人々の反応は二つに分かれた。
ぽかん、と呆気に取られるか、まあこの人だし、と苦笑するか。前者は実物の魔王を目にしたことがない、地方からやってきた者。後者は生まれも育ちも首都パッヘルベルという者。この士官学校における反応は、立身出世を夢見て軍に入るという事例が過半数である以上、必然的に前者の割合が多くなる。
あれが魔王? 本当に? 思ってたより若いというか美人というか……。というか、こんな緩い感じの人なの?
こういった候補生たちの反応を、実は当の魔王自身が楽しんでいる。世俗的なところは相変わらずだ。そんな調子だから、本来なら気付けたに違いない群衆の中で紛れた敵意は、魔王の意識に引っかからなかった。
「ちょっと、いい?」
ざわめきに紛れる少女の声。前方を塞ぐ同期の少年は、振り返るなり察した。
「ん? ああ、代わるか?」
「うん。ありがと」
小柄な彼女では、今しがた降り立った王の姿など見えない。窮屈な人混みで、どうにか前後の席を入れ替えてやっとだ。
「なんだ。ルナ、お前も陛下を見るのは初めて?」
「まあね」
首都育ちの少年に、少女は口数少なく応じる。心ここに在らず。すでに魔王のことしか見えていない。決して他の候補生たちのような、尊敬や驚愕の眼差しではなく。
「……あれが、魔王」
少女は呟くと、左腰に差した剣の鞘を握りしめる。両刃をしたロングソードの類ではない。片刃で緩やかな湾曲をする銀煤竹の鞘――魔王と同じ、刀と称される部類の得物。
そして前述した通り、魔王はこの少女に気付く素振りもない。こちらはこちらで、すでに来賓のもとへと歩み寄っていた。
「ジェレミー、フレスベルグ、遅れてすまない。久しぶりだな」
「お気遣いなく、陛下。楽しませていただいてます」
恭しく一礼する間も、やはりジェレミーの微笑は消えず、むしろ深みを増している。魔王との再会を心底から喜んでいた。
「もう試合は終わったのか?」
「ええ。つい先ほど、フレスベルグが首を刎ねられたところです」
「それはそれは。さぞ見応えがあったろうに、惜しい事をした。……二人共、元気そうでなりよりだ」
柔和に微笑んだのが、面頬越しにも見て取れる。
「しかし陛下、空から降って来られるとは思いませんでしたよ。学園から飛んできたのですか?」
「ちょうど果樹園の空輸便が通りかかったのでな。相乗りさせてもらった。これがお土産だ」
言っている間に青林檎が三つ、王国人たちにそれぞれ手渡された。瑞々しく艶がある一級品。グリフォンの乗り手からの贈り物である。
「お前たちに会うと言ったら、分けてくれた。これから王国の方まで届けるそうだ」
「へえ、いいですねぇ。いただきます、陛下」
魔王とジェレミー。外見的には、ちょうど同世代といったところ。こうして気楽に話す様子は、さながら姉と弟のようだった。実際、王子の方からしたら、魔王はまさに近所のお姉さんといった感覚だろう。
憧れであり初恋であり、決して同じ時間を生きられない存在。
「さて……ヘルマン、今から模擬戦だな?」
「そうです、陛下。始めてもよろしいでしょうか?」
毎年の流れだ。まずヘルマンとフレスベルグが戦い、勝った方が候補生たちの相手をする。ここからは、さすがに実戦用の武器でなく木剣を用いる。見事に猛将を打ち倒した者がいれば、褒賞は先ほどヘルマンが語った通り。
もっとも、今までに一人も勝者は出ていないのだが。
「任せる」
短く言って、魔王は両腕を組む。この訓練、彼女にとっても意味があるのだ。不老不死として永遠の時を生きる魔王にとって、若い力はいつでも煌めいて映る。稀に途方もない才能の持ち主を見つけると、勝ち負けに関わらず自らの配下へ――すなわち近衛連隊に加えて鍛えることすらあった。
要するに、これは原石を発掘する楽しみでもあるのだ。最後にそういうスカウトがあったのは、確か十二年前。今年はどうだろう。誰か途方もない才能の塊が、紛れ込んでいるか――。
「それでは伝えた通りだ! ターコイズ王太子殿下に加え、我らが魔王陛下がご覧になられる! この場で己が武勇を知らしめんと思う者は――」
「あたしがやります」
絶妙のタイミングで名乗り出た存在は、誰にとっても予想外のものだった。年端もいかない少女の声。この士官学校、確かに性別どころか種族さえ関係なく入学できるが、しかし注目の先にいた輪郭は、やはり想像の埒外である。
平均よりいくらか低い背丈。緋色の髪に、勝気な双眸はさらなる深みを持った深紅をしていた。候補生の制服を着てはいるものの、体格は華奢と言っていい。ヘルマンと並んで立てば、それこそ枯れ枝に等しいだろう少女。
「お、おい! ルナ、本気か!?」
「黙ってて」
ついさっき場所を代わってもらった同期を一蹴するなり、彼女は堂々と武人の前に歩み出る。
「……ふむ」
さしものヘルマンとて、さすがにこういう挑戦者は想定外。訓練用の木剣といえど、打てば折れてしまいそうな少女である。しばしあご先に手をやって黙考した後、だが彼女の目は本気なのだとようやく悟った。
「名乗れ、候補生」
「一年。ルナ・クリンゲル=バウム」
何かしらの気負いはあっても怯えのない、はっきりとした口調。これを受けて、いよいよヘルマンも頷く。
「よろしい。クリンゲル=バウム、これは判断力を養うための場であり、剣術を用いた戦いだ。魔法およびスキルの使用は許されん。そして俺は貴様を殺そうとは思わんが、殺すつもりで打ち込むぞ。いいか?」
「わかっています」
「よし。ならば――」
「ただ一つ、閣下にお願いがあります」
ヘルマンが片眉を吊り上げた。
「あたしは閣下と戦うため、名乗り出たわけじゃありません。斬りたい相手は他にいます。――魔王」
冷ややかでありながら憎悪の熱がこもった呼びかけ。発すると同時に、ルナは自身の得物を抜き放つ。木剣ではなく、腰に下げていたあの刀を。
「来い、魔王。今日この時、お前の命はあたしが斬る……!」
日差しを弾いた切っ先が、一直線に魔王を睨む。和解の余地などあり得ない敵意を前にして、魔王の胸裏に生まれた衝動ばかりは、おそらく初代の魔王と何ら変わらなかっただろう。
面白い。
「なにを……貴様!」
「構わんさ、ヘルマン」
一挙動。予備動作のない跳躍で、ルナと猛将の間に魔王が降り立つ。左手はすでに腰の刀に当てられ、いつでも鯉口を切ろうとしていた。
「退がっていてくれ。どうやらこの子は、どうしても私を斬らねばならないらしい」
ヘルマンは、それでもまだ魔王とルナとを見比べた後、ようやく引き下がる。命じられた以上、従う他ないと言い聞かせて。
相対した残る二人。鬼の如き面頬の下で、魔王は確かに笑っていた。
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