戦争初夜

第2話 千年後の昼寝

 人類の歴史は、同時に魔法という技術の歴史として誕生した。


 まだ言語の概念すらあやふやだった文明の最初期、人間の手はすでに不相応に強力な遠距離攻撃の道具として、その能力を身に付けている。


 その後の数世紀に渡って、人類社会は国家の旗に関わりなく、この魔法と呼ばれる力を如何に応用し、そしてより効率的に発達させてゆくかを命題として進歩していった。


 そもそもこの時代、国というものは、いずれも強力な魔法使いの個人ないし集団を中心として築かれている。これにより社会構造は魔法に頼り切り、あるいは依存しきったものとなり、一方でこの能力を持たない非魔法使いは常に冷遇を余儀なくされた。


 この進化は実に二五〇〇年にも及んだと言われ、その末期には惑星間航行すら可能とし、次なる新天地を外宇宙に定めた探査活動すら行われたという。


 これが、今から三五〇〇年前に存在していた、かつての人類社会。


 今となっては夢物語に等しい、ずっと昔のこの世界だ。


「――これが、いわゆるウィザード文明。または魔術黄金期と呼ばれる頃となるわけです」


 教卓に立った嘴顔が、くぐもった声で語る。


 午後の昼下がり。窓から流れてくる穏やかな風に昼食後の満足感も相まって、集まった三〇人弱の子供たちには、程よい子守唄に聞こえるのだろう。幾人かは机に突っ伏し、もしくはそうなるまいと何度も瞬きを繰り返して、意志の力を総動員する。


 語り手にとっては、どちらでもあまり構わないのか。


「ウィザード文明は前期と後期に分かれますが、その分岐点となるのが、ある連合国家の誕生です。WASP、すなわち魔術師同盟国家警察と呼ばれる大国です。このWASPが誕生して以降、国家間の戦争行為は半ば強制的ながら脱却を果たし、超大国による管理が始まります」


 その男は、のどかな風景にそぐわない風貌で子守唄を続ける。分厚いコートにつばの広い帽子、そして前述した嘴顔――もとい、嘴を模して作られた仮面で顔を隠した教諭である。


 慣れない子供は、不気味さゆえ泣き出しかねない姿。けれど語調に含まれる柔和で知的な物腰のおかげか、実のところ評判は悪くない。


 嘴の仮面にしても、ちゃんとした理由がある。実はこの教諭、生まれつき極端なほど身体が弱い。仮面の嘴部分はそれを補うもので、中空になっており、滋養強壮の薬草が詰められているのだ。こういった事情も本人は隠しておらず、その結果、ただ見た目が変わっているだけの良い先生と見られている。


「表向き惑星内の治安を安定化させたように思えるWASPの存在ですが、魔法使いと非魔法使いの溝はむしろ深くなって行きます。理由はあれこれと言われますが、後天的な魔力獲得技術が完成しなかったことこそ一番の要因でしょう。先天的な能力によってのみ、強者と弱者が振り分けられる絶対的な格差社会となり、両者の関係は修復不可能なものとなったわけです。さて……」


 嘴が一拍置いた。


「そんなWASPによる支配は、ある日、突然に終焉を迎えます。一般的に言われる名称がありますが、わかる人は?」


「ええと……衰退戦争?」


 おずおずと一人の女子生徒が答える。


「しっかり予習をしてますね。素晴らしい」


 嘴の仮面が頷く。男の仮面は目元までゴーグル状のため、表情などわかるはずがない。なのに、朗らかな微笑みがはっきり浮かんだ気がするのは、人の良さによるものか。答えた生徒が嬉しそうに笑うのも、当然の反応だろう。


「衰退戦争とは、かつてのウィザード文明を著しく破壊し、崩壊させた一年余りの戦乱ですね。この原因となったのが、当時、魔王と呼ばれた存在の出現です。彼――便宜上そう呼びますが、性別は不明です。ともかく彼は歴史上で唯一、あらゆる魔法を掻き消す消滅魔法と、WASPが実現できなかった遺伝子操作による魔力獲得能力を備えていました。要するに、人類が二五〇〇年経って初めて遭遇する天敵であり、同時に非魔法使いにとっては救世主となったのです」


 これまでよりどこか淡々と語るのは、思うところがあるためか。実際、授業を聞いている子供たちにしても、何人かの表情が曇る。


「出現当時、軍と呼べるほどの戦力もなかった魔王軍を前に、WASPは僅か七日間の内に陥落します。一方で、魔王は打ち倒した都市から非魔法使いたちを扇動して配下に加えると、自身の能力によって魔力を与え、強化し、人間の上位種として定めました。これが最初の魔人種……つまり我々、魔族が誕生した瞬間です」


 男は語りながら、仮面以上に鋭い鉤爪の指先で、こめかみの辺りを軽く掻いた。純粋な人間ではありえない、鳥類の足に似た指である。


 いや、生徒たちにしてもそうだった。先ほど答えた少女は、額に一対の角を有する鬼の種族。また別の席にいる男子生徒は人らしい耳の代わりに、犬のそれが生えている。


 この教室にいる中で、大半の生徒は人間と異なる風貌をしていた。


 そしてこの国で生まれた多くが、こういった風貌をしている何らかの魔族だ。――ただ一人を除いて。


「進軍を続ける魔王に対して、窮地に立たされた人類は、その対抗策を本来ならば遥かに原始的であるはずの、剣や槍、弓といった武器に頼ります。冶金技術とこれを用いる武術とは、魔法に劣らない速度で発達したものの、積み上げた文明を一方的に流用する魔王軍に対しては、僅かに遅延戦闘の効果を発揮するばかりで、ここに人類の黄金期は魔王軍の拡大と反比例して瞬く間に消滅して行ったわけです」


 それは、想像を絶する光景に違いない。費やしてきた歴史からすれば、まさに一夜にして世界が滅ぼうとしていたのだ。だからといって純粋に恐怖を示せるものは、ここにいない。


 過去の歴史がどうであれ、魔王がいなければ自分たちは今ここに存在していなかった。そんな事実が、子供心にさえ複雑な顔を強いる。


「こうして全世界を征服するかに思われた魔王軍ですが、すでに国家というものさえ疎らになりつつある頃、突如として進撃が阻まれます。僅か六名の男女からなるグループが、魔王軍の先鋒を撃退したのです。いわゆる勇者の一党ですね」


「あの……シュナーベル先生」


 犬耳の男子生徒が手を挙げた。


「はい。なんですか?」


「僕の生まれた町だと、勇者の一党は二人だって伝説なんですが……」


「良い質問ですね。それは、おそらく魔王を倒した時の記録と混同されたのでしょう。この一党が抵抗軍として人類を率い、魔王を打ち倒したその場に残っていたのは二人とされています。ただ、この場合は現れた時の記録ですから、六人として覚えておきましょう。でないとテストで点をあげられません」


 もっとも、と嘴の教諭――シュナーベルは苦笑いして続ける。


「記録自体が曖昧な時代ですし、正確な人数は、今となってはわかりませんが」


 少年は納得した様子で頷く。――何やらまだ言いたげな顔をしているが。


「ともあれ、この勇者の一党の出現により、歴史の流れはまた大きく変わります。一説によれば異世界から送られてきたという彼等は、通常の魔法に加え、スキルと呼ばれる特殊能力を備えていました。ここでまた質問ですが、魔法とスキルの違いを説明できる人はいますか?」


「えっと、魔法は発動者の外に作用するもので、スキルは……発動者の身体を強化するもの」


 また別の生徒が答える。


「結構です。実際にはそこまで明確に分けられるものではありませんが、テスト対策としては、とりあえずそれで覚えておきましょう。要するに、指先から火を放つのが魔法であるなら、自身の五感を強化したり、一時的に何らかの能力を与えるものがスキルです。――さて、勇者の一党はこのスキルを対抗策として、魔王軍と戦い、そして相打ちによって魔王を打ち破ることに成功しました。ここまでが衰退戦争となり、次に始まるのが文明修復期です」


 またひと呼吸を置いた。シュナーベル自身の息継ぎがどうというより、生徒たちが追いついているかを確認するためだ。居眠りしている少数派は、後で補修を受けてもらう。


 特に――今、視界の端に捉えた一人には。


「さて、えー……文明修復期ですね」


 内心の嘆息を振り払うように、咳払いをしてシュナーベルは言う。


「魔王と勇者が相打ちとなってから、数日後。これは三日とも六日とも言われますが、実際のところはわかりません。とにかく、その数日以内に出現したのが、第二の魔王を名乗る存在です。この方については、皆さんもよくご存じでしょう」


 生徒たちが頷き返した。――大半が、何やら複雑な面持ちをして。先ほどの出てきた魔族誕生の歴史とは、またニュアンスが異なる。


「この第二の魔王は倒された先代と異なり、消滅魔法や遺伝子操作は持ち合わせていませんでしたが、不老不死という規格外の能力を備えていました。そしてこの能力を利用し、先代とは真逆の方向へと進みます。第二の魔王は、まず我々こと魔族をまとめて国を作ると、続いて残された人類との協力関係を結び、人類社会の復興へと尽力されました」


 同じ名を使いながら、人格は正反対。天敵から英雄へ。


 そもそも最初の魔王と、何かしら繋がりがあったのかも怪しいところ。ただ、でなければわざわざ魔王の名を使うこともあるまい。仮に子孫だとすれば、協調路線を唱えるならば正体を隠した方が円滑だろう。


 もしくは、それこそ後に瓦解を招くと判断したか。いずれにしても真実を知るのは本人のみ。


 その本人は今……。


「特徴的なのはその統治です。この国では建国当初こそ君主として実権を握りましたが、一〇〇年の内に評議会を用いた立憲君主制へと移行させ、政治の舞台からは身を退かれます。以後は外交の道具を自称され、諸外国を訪問、人間と魔族に信頼を結ばせようと奮闘されました。これが我々の国、ファルベン魔族帝国の成り立ちです」


「あの、先生……」


 犬耳の少年がまた手を挙げたが、シュナーベルはわざとらしく顔を背け、咳払いした。むろん、この男子生徒に思うところがあったわけではない。


「ここからさらに四〇〇年かけて、文明の修復は完了したとされています。しかしかつて栄華を誇ったウィザード文明には現在でも遠く及ばず、歴史家の中には、かつてとは比較にならないほど粗野で旧時代的なものであり、異様な社会形態だと称する者もいますが、こればかりは仕方のないものでしょう。WASPを始め、ウィザード文明の名残はすでに遺跡として各地に点在するだけであり、今の我々には宇宙は旅するものでなく眺めるものに過ぎないのですから。つまり――」


「シュナーベル先生……」


「……」


 これもシュナーベルの人の良さだ。生徒の懇願する瞳とは、どうやっても無視できるものでない。


「……言いたいことはわかっていると思いますが……どうぞ。なんですか?」


「その……第二の魔王様というか……今の陛下なんですが」


「はい」


「……そろそろ起こした方がいいんじゃないかな、って」


 むろん、そうなるだろう。当たり前だ。だからこそシュナーベルは頭を抱えた。


 文明を修復し、魔族と人間に平和をもたらし、独裁すら良しとしなかった第二の魔王。如何にも高潔で立派な人物に聞こえる物語だ。本当の意味での救世主とは、初代魔王でも勇者の一党でもなく、この方だったかもしれないと一般的には謳われる。


 そんな人物が、だ。


「起きてください」


 気まずそうにしていた少年の隣。窓際にある、ちょうど日差しが気持ちの良い席だ。そこまで歩いて行ったシュナーベルは、仮面越しにもわかる呆れ顔で、突っ伏した生徒へ呼びかける。


 のんきに寝息を立てながら、両腕に枕にした長い黒髪の女性。若いが、他の生徒たちほどではない。明らかに成人している、妙齢の女性だ。


 そんな彼女の肩を揺すってみるが、効果はない。


「授業中ですよ。起きてください、陛下。……起きなさい!」


「はっ――!?」


 一喝。弾かれたように飛び起きた彼女は、寝ぼけ眼に慌てふためいた。


「ね、寝てない! 寝てないぞ、シュナーベル! 起きてたから!」


「どの口が言うのやら……」


 黒衣に僅かばかりの装甲で出来た超軽量の鎧を重ね、背にはやはり漆黒のマント、腰には鞘に収まった長剣――刀というらしい片刃の剣を差した、若い女性。その口元は鬼や悪魔を想起させる、凶悪な面頬で隠されていた。


 これだけならば、確かに魔王然としていたかもしれない。歴史で語られるような、偉大な存在として映ったかもしれない。


 不老不死の英雄。滅びかけた文明を、四〇〇年かけて修復した救世主。


 しかし思い返してみれば計算が合わないのだ。現在、暦は三五〇〇年となっている。二五〇〇年続いたウィザード文明に、衰退戦争と文明修復期はおよそ四〇〇年。


 つまり現在に至るまでの六〇〇年間が空白で、シュナーベルはあえてこの部分を言及しなかった。


「寝てないってば! ちょ、ちょっと休んでただけだ!」


「それを寝ているというのですよ、陛下。まずは生活習慣を改善なさったらどうです。いい加減、平時だからと言って自堕落に過ごされては困ります。――六〇〇年間も」


「うっ……!」


 グサッ、と胸に刺さったらしい。面頬を付けてさえはっきりわかる美貌も、当人の言動によって形無しだ。


 第二の魔王陛下。衰退戦争後の生き証人でもある不老不死の存在は、六〇〇年前なら誰も想像しなかっただろう、情けない声を漏らして固まった。

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