ウェルミーニング・パラサイト
木山京
第1話 プロローグ.最後の黄昏
安請け合いして生きるより、見切りをつけて死ぬべきだった。本来なら与り知らないままでいられた現世の果てに、そんな後悔がやはり先には立たず呟かれる。
次いで訪れた金属質の悲鳴。砕けた薄刃の断末魔は、聴覚よりむしろ触覚で伝わる。へし折られた長剣、その柄を介して両腕に響く、受け止め切れなかった衝撃だ。
しかし果たして、どこまでが得物の受けた打撃力だったのか。その判別まではとても至らない。一太刀と共に襲ってきた単なる風圧に、地へ着けていた足が宙へ浮いたのだから。
「……ッ」
声ともならない苦悶が喉を絞めつけた。成す術もなく舞った様は、枯れ枝よりも朽ち葉と称した方が正しい。永遠にも思える浮遊感の真っ只中、だが重力は錯覚など気に留めず、無力な四肢を絡め取るなり地表めがけて叩きつける。
「が……」
押し出された空気が肺を鳴らす。視界も思考も白で埋め尽くされた転瞬、目にしたのは沈みゆく日差しだ。
夕闇の直前、この世を埋め尽くす赤色。それも異様なほど鮮やかで、あるいは空自体が燃えているのではないかと疑いかけるような。網膜を占領する夕焼けだった。
「無事か……?」
不意に、天空の火は人型に途切れる。明らかにこちらを庇うようにして立つ、一人の背。問いかけた方と問われた方、どちらも半死半生といった調子で息を切らす。
無理もあるまい。
纏った鎧はすでに壊れかけ、でたらめに凹んだ板金は、脅威を防ぐどころか棘となって着用者の身に刺さる。携えた得物は、その男に関しては短剣ほどになった長剣だったが、これも残った刃にこぼれが目立つ有様と来れば。
浴びせても受けても、次の一太刀で壊れかねない。いやむしろ壊れて然るべきだ。それが物質としての道理だろう。そもそも彼が得意とし、本来持ち歩いていた武器とは槍であったはずなのに。
「まだ……どうにか、な」
庇われた方が言った。常ならば不敵に微笑んでいただろう、女の声。今や微笑みに自信はなく、失意にも似た自嘲として微かに頬をひくつかせるばかり。
その自嘲が、こう続けた。
「ダメージカットは……発動した。致命傷、では……ないよ」
物理的手段の攻撃に対し、受ける威力を半減させる補助スキル。防御をトリガーとして発動するため、常に機能させておくのは不可能だ。あくまで回避不可能と判断した場合の保険。それゆえに補助スキルへ区分される。
しかし効果は絶大だ。まともに受ければ身体を両断される一撃であろうと、受け切ることが出来る。幾度も命を救われた。
だが、その上でこれなのか――と。苦痛から続こうとした言葉を、彼女は寸前に飲み込んだ。
両腕の感覚がない。頭頂から爪先まで、骨という骨が絶叫している。
十度、あれを斬った。
一度、あれに斬られた。
あの一刀と並ぶには、果たして幾度の太刀を振るわねばならないだろう。如何なる術理を得たとしても、単身、人の振るう武威で届くものではあるまい。
幸いというべきか。探さずともいくらでも転がっている武具の、片刃のショートソードを手にした彼女は同時に微かな失意を抱き、これを見透かすが如く、十メートルの距離を挟んた脅威は、ただ睥睨して佇んだ。
黒の巨躯。朱色の空を背にして立つ影法師。全身を守る無骨な鎧は、それを抜きにしても常人の二倍はあるだろうシルエットを、さらに巨大にして見せる。果たしてあれも、当初は人として生まれた存在なのか。能力を目にせずとも疑わしい。
それもそのはずだ。身の丈に等しい大剣を軽々と扱い、振り回す。同じ剣の部類なら、俗にツヴァイヘンダーという得物もあったが、それとは根本的に異なるのだ。全体が分厚く、剣というより剣を模した大槌に等しい。要するに鋼鉄の塊だ。
これが風切り音より早い斬撃を放ち、まるで重量など存在しないかのように軽やかに動く。人間とはあまりにかけ離れた武威は、単純であるがゆえ策によって突き崩せない。
――なるほど……。
軋む身体にどうにか呼吸を落ち着かせた女は、再び立ち上がりながら胸裏へ落とす。
――魔王だな。
この世を滅ぼせる存在。あるいは、この世を作り変えてしまえる存在。――魔王と呼ばれる、超常の脅威。
彼女も、そして共に挑み続けている彼も、どちらもあれを止めるべく遣わされた。なぜ自分たちだったのか、ついぞ理由は知らされず、だがあながち的外れな人選でもなかったらしい。
ここに至るまで苦戦はあっても敗走はなかった。それまで挑んでは打ち負かされを繰り返していた人々を結集させ、軍団として再編成し、自ら陣頭に立って戦線を切り開いては勝利してきた。
勇者の一党などと称される、魔王に対抗可能な唯一にして最後の戦力。それが彼女や彼が、率いてきた軍勢だった。――それが今、この二人を除いて誰もいない。
戦いの果てについぞ辿り着いた、最後の舞台。丘を彩る深紅とは、沈みゆく陽光ばかりでなかった。
おびただしい量の鮮血が、地表を赤く染め上げる。武具と共に朽ちた無数の死屍。ここまで共に戦ってきた、人類社会において軍勢と呼べる最終戦力の末路なのだと、果たして誰に信じられよう。
決戦に臨んだ総数は、僅か二千。このうち、ここまで辿り着いたのは彼女と彼を含めて五四名。
その中には、まだ別の勇者さえ含まれた。間違いなく熟達の戦士であったその人物は、やはり魔王の剣を破れなかった。
「安請け合いして……生きるものじゃないな」
つい先ほども独りごちた気がする彼女の台詞は、今度は肉声となっていた。
どうせ一度は死んだのだ。別段、未練というものもなく、ならば誘ってきたその存在へ恩を売ってみるのも悪くはないと。そんな風に軽々しく決めて、彼女は今ここにいる。
これでは詐欺も良いところだ。こんな死線を渡り歩くため、こんな世界に来たわけではないのに。
すると、
「概ね、同感だが……」
「うん?」
彼が言う。眼差しは魔王を向いたまま、けれど失笑に似た片頬を彼女へ浮かべ。
「お前たちと会えたのは、悪くない」
「……なんだ、それ」
数秒置いて笑みを返した後、彼女の手は長剣をしっかりと構えた。
「片付けよう。辞世の句を詠み出す男ほど、女々しいものはない。そんなお前は見たくないよ」
「全くだ」
呼吸を合わせる。二人がかりで、あの魔王とは幾度戦えば倒せるだろう。百か、千か、それとも一万回に一度か。いずれにしても現在しか残されていない。
勝算はないままだ。劣勢は覆せず、次の一撃で無残に斬り捨てられるかもしれない。
だが――だとしても。この世界の命運がどう転ぼうと知ったことではないが、とりあえず今の気分は悪くなかった。騙され乗せられたきっかけだとしても、ここに送られる時、興が乗ったのは事実である。
そして今この瞬間にも、同じ心持ちでいられるのだから、存外に悪い選択ではなかったかもしれない。どうせなら最後まで付き合ってみよう、と。
二人の勇者は同時に駆け出し、挑む。出し惜しみはない。会得したあらゆる能力を攻めに回す、決死の猛撃。相対する魔王は僅かに半身を引き、迎え討つべく大剣を構え――。
紅蓮の丘へ、風鳴りが響く。
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