第16話 致命的な相違点


 ついに金曜日を迎えた放課後。どこもホームルームを終え、教室の活気は遠い。前回はすぐ来たはずのお迎えは未だ現れず、莟は冥華めいかの机の前ですでに十五分ほど立ち尽くしていた。


 机に突っ伏していた冥華がのそりと顔を上げる。


「……来ない」


「ですね。火苅かがりさんっていつもお迎えに来るんですか?」


 質問に冥華めいかは目線の動きだけで答えて、けだるげに立ち上がった。


「……仕方ない。こっちから行く。どうせ決められなくなってるだけだろうから」


「?」


「ていうか、今日もメイカたちに付いてくるの」


「他団には他の人が付いてるはずですよ」


 笑顔で嘘を吐く。十瑪岐とめきに言われた通り答えを用意していて良かったと、心の底から安堵した。



      ◇   ◆   ◇



 テロ予告の犯人はおそらく佐上さがみ冥華めいかである。

 そして動機は身内との確執と推測される。


 そう十瑪岐に教えられてから、莟は生徒会の手伝いの合間に冥華めいかを訪ねるようにしている。


 が、役立ちそうな情報は未だ引き出せていない。話を受け流すのと話を引き出すのはまた別の技術であると実感する莟であった。


 そんなこんなで冥華めいかに付き添い、三年生の教室まで来た。冥華めいかが先に立って火苅かがりのクラスを覗く。ビクリと跳ねたその背から中の様子を窺うと、予期せぬ事態になっていた。


「私が先にお願いしたんだから!」


「貴女が押し付けたいのはただの雑用でしょう。私は逼迫せっぱくしているの!」


「あははー、二人ともとりあえず一度手を放して。ちょっと肩の関節が痛い痛い痛たたたた」


 なぜか火苅かがりが両側から腕を掴まれ引っ張り合いされていた。


「えっ、何がどうしたんです!?」


「…………」


 莟は驚きで体を強張らせたが、冥華めいかはため息一つで目前の異常事態を処理したようだった。


 冥華めいかがおもむろに教室へ足を踏み入れる。すると火苅かがりが主人の足音を聞き取った飼い犬のように少女に気づいて飛び跳ねた。


「あ! 冥華ちゃんだ! どうしたの教室にまで来て。もしかして会いに来てくれた?」


「どうしたじゃない。いい加減に時計見るクセつけて。今度は何をもめてるの」


 言いながら両腕にとりつく先輩たちを引っぺがす。それに対する三年生の反応は両極端だった。


「げっ佐上さがみ……」

「あっ、佐上さがみさんいいところに来てくれましたっ」


 顔を引きつらせる者と輝かせる者。それを見て冥華は火苅かがりの胸倉を掴んだ。


「……火苅かがり、説明」


合点がってんだよ冥華ちゃん! この二人にお手伝いを頼まれてね。飯法師いいほしちゃんは図書室の本棚の整理で、嶌田しまだっちは失くし物探しだって。私は先に声かけてきた飯法師いいほしちゃんの手伝いから行こうとしたんだけど、二人が喧嘩し始めちゃって」


「……この人たちの表情でなんとなく把握した。まず飯法師いいほしさん、その本棚整えるのって当番? それとも何かのペナルティ?」


「そっ、それは……えっとぉ……」


 飯法師いいほしが汗を垂らしながら目を泳がせる。後者であることは明らかだ。冥華めいかはさっさと飯法師いいほしに背を向けた。


「はい、火苅かがりが手伝う必要なし。次、嶌田しまださん。なに失くしたの? あとそれを火苅かがりに頼む必要性は?」


「大事なお守りなの。一人じゃ探しきれなくて。教室に戻って来た人の中で私のお守り見たことあるのが火苅かがりさんだけだったから、お願いしようと」


 説明する間も視線が窓の外へ引き寄せられている。冥華めいかも同じように外を見て、その空模様に目をとめた。


「雨も降りそうだし、急いだほうがいいかもね。場所の見当はついてます?」


「うん。そこの窓からだから、そう遠くには落ちてないはず」


 廊下から事態を見守る莟は、嶌田しまだの言い方に奇妙な違和感を抱いた。それは冥華も同じだったらしい。嶌田しまだがちらと投げかけた視線の先にある無人の机たちに一層眉をひそめ、次いで責めるように従姉妹いとこの背を叩く。


「行くよ火苅かがり


「あれ、嶌田しまだっちのお手伝いするの? でもお願いは飯法師いいほしちゃんのが早かったよ?」


「そろそろ融通を利かせること覚えて。優先順位くらい自分で付けれるようになりなさいよ」


「えへへ、ごめんね冥華めいかちゃん。私ってば冥華めいかちゃんいないと本当に駄目だなぁ」


 冥華めいかが二人を引き連れて教室を出ていく。莟も元から付き合うつもりではあったが、すれ違いざま冥華めいかに「あなたも手伝って」と言われて、ついて行かざるを得なくなった。



       ◇   ◆   ◇



 靴に履き替えお守りを探す。お守りといっても布の入れ物ではなく、狛犬の小さなマスコットらしい。


 雑木林をそれぞれ手分けして掻き分ける。莟はなんとなく観察対象の冥華めいかではなく、火苅かがりの隣へ近寄った。


「もうこんなに時間経ってたんだね。冥華ちゃんを待たせちゃってたなんて。反省だな」


 独り言の大きい少女である。莟は真横にかがんで声をかけた。


「二人のお願い、どうして断らなかったんですか?」


 少なくとも片方は一蹴してしまってよかったように思うが。単純な質問のはずなのに返事がない。不審に思って隣を見ると、火苅かがりが目を丸くしていた。


「断らない理由なんて、そんなこと初めて訊かれた」


 それこそ独り言みたいに呟いて、すぐ持ち前の明るい表情に戻った。


「どうしてって言われても、私って断らないからさ」


「断れない、ではなくですか」


 人の頼みを断れない人間は時折いる。他人にどう思われるかと怯えて、自分に不利なことでも引き受けてしまう人が。だが火苅かがりはそういう繊細なタイプに見えない。


 火苅は探し物の手を止めずに変わらない笑みを浮かべる。


「だって、そうしないとみんな冥華めいかちゃんに嫉妬して傷つけようとするもん。だから火苅わたしはみんなのかがりなの。…………本当は冥華めいかちゃんだけでいいのに」


「それって……」


 言いようもないざわめきが胸をよぎって、莟は後ずさった。二の句を継げずに会話から離れてしまう。


 自分の臓腑を這っていった気持ち悪さを的確に表す言葉が思いつかない。ただ今まで火苅に抱いていた印象が、じわじわ何かに侵食されて姿形を変えていく感覚だけが確かにあった。


「ちょっとそこの一年生、ちゃんと探して」


「あっ、はい!」


 冥華めいかから叱責が飛んできて、莟は慌てて探し場所を変えた。火苅かがりから離れたおかげかちょっと呼吸が楽になる。


 移動したために、奥のほうの嶌田しまだの姿が見えた。


 嶌田しまだは身の内からこぼれようとするものを必死にせき止めるかのように唇を噛んで低木を掻き分けている。おしとやかそうな外見なのに、制服のまま地面に膝をついて髪に葉が絡みつくのも気にしていない。よほど大事なお守りなのだろう。


 枝の隙間から光が差して、そのまつ毛が濡れているのが遠くからでも分かってしまった。見ているほうの胸にも痛みが走る。少しでも力になろうといっそう探す手を速めると、いつの間にか冥華めいか火苅かがりのほうへ近づいていた。


 莟は自分の役割を思い出し、二人の小声に耳を澄ませた。冥華めいかは内緒話をするように声を潜ませ、すると火苅かがりもそれに合わせる。


「これから一か月、一日一回五分以上は嶌田しまださんに話しかけて。できるだけ親しげに。そのあとも週一以上で声掛けすること」


「なんで?」


「抑止力。どうせ火苅かがりは説明されたって理解できない」


「そっか。よく分からないけど冥華ちゃんの言うことなら、私やるよ」


 機械的な返事に、また莟の背筋に冷たいものが走った。火苅の言葉には何か致命的なズレを感じる。


 莟はその正体にようやく思い至った。自分が友人と話しているとき、恋愛の話題になったときのあの感覚。周りに置いて行かれて追いつこうとして、余計に道を外れてしまう、あの時のちっぽけな絶望感。まるであれを外から見せられているようだ。


 なぜ火苅かがりの周囲があのズレに気づいていないのか、同時に分かった。莟はあのズレに身に覚えがあるからこそ、敏感になっていちいち心臓の血管が振れるのだ。


 逆に言えばズレを認識しない人種は、火苅かがりの違和感に気づかないだろう。いや、火苅かがり自身すら気づいていないようだ。


 それに認知しているのはむしろ、佐上さがみ冥華めいかのほう。


(とめき先輩、これ、わたしの手には余ります……)


 正直もう関わりたくないとすら思ってしまう。手早くお守りを見つけて逃げてしまおう。そう無心で地面を探っていて、その声に気づくのが遅れた。


「──っと、ちょっと蕗谷ふきのやさん!」


 気づけば後ろから手首を掴まれてバンザイさせられている。何が起きたか分からず拘束されたまま振り返る。そこには猫を捕まえたみたいなポーズの冥華めいかがいた。


「……その草、触るとかぶれるから。気を付けて」


「あ、ありがとうございます……」


 名前を呼ばれたことに茫然としたまま礼を口にする。冥華めいかは莟から手を放して顔をそむけてしまった。


火苅かがり、これ写真撮って事務員に連絡しといて。残しとくと危ない」


「はーい。お任せ。はいチーズ」


「メイカじゃなくてイラクサを撮って。なんでローアングルしてるの」


「だって照れてる冥華めいかちゃんレアだから。残しとかないと私の精神衛生がガッタガタよ」


「この草が残しとくと危ないって言ってんの。その耳はただの空洞なの? 反響音は変質するの?」


 冥華めいかが苛立っている。

 そこへ数人の生徒が固まってやって来た。


「おぉい、手伝いに来たよ~」


 先頭の男子生徒が手を振っている。火苅かがりはその面々の共通点に遅れて気づいたようだった。


「あ、もしかして黄団のみんな? 冥華めいかちゃん連絡してくれてたの?」


「トップ二人が練習に遅れるんだから当然でしょ。大勢巻き込んだほうが安心だし」


「さっすが冥華ちゃん。私そんなの思いつかなかったよ」


「…………ふんっ」


 鼻を鳴らして冥華は落ち葉を掻き分ける作業に戻る。

 遠目に見ていた莟は、二人の様子を見ていて思ったことがあった。


(あれ? この人たちもしかして、第一印象と逆だったりする……?)


 二人のことはまだ詳しく知らないが、それは間違っていないような気がした。


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