幕間 疲労蓄積度 84%


 体育祭準備期間、そのとある水曜日の夜のことである。

 生徒のいなくなった学園内に唯一電灯が灯ったままの棟が一つあった。


 兎二得とにえ学園生徒会棟。その執務室は放課後だというのに業務に徹する生徒会役員が詰め込まれていた。


 急な欠員と、その役員からの引継ぎができなかったことによる混乱と激務。生徒会は過去一の修羅場を体験していた。


 みんなの目がかすんできた頃のこと。夜空をつんざく野太い悲鳴が上がった。


「んぎゃあああああっゴキブリ出たあああ!!」


 メガネ男子役員の発したその悲鳴は、疲労で働いてない脳みそへ根源的嫌悪感を直に叩き込む。案の定生徒会は即パニックにおちいった。


 各々が反射的に立ち上がり足元を這う黒いアレから逃げ回る。周りを見る余裕がないから、詰みあがった書類が崩れ、大事なUSBがどこかへ吹き飛んでいく。


 連日の緊張のせいで鋭敏になった感性に黒い悪魔がよくない刺さりかたをしたのだ。普段は虫に動じない金髪女子役員ですらわけも分からず机の上に逃げている。


「み、みんな落ち着くのだ。──うっ、アルコールが足りなくて力が出ない……」


 生徒会長の声も届かない。


 そんな大絶叫の真ん中で一人無言を貫いていた鳴乍なりさが、おもむろに立ち上がって生徒会長へと歩み寄る。


「会長、おみ足を」


「へ?」


 足元へひざまずいたかと思えば、なぜか涼葉すずはの小さな上履きを片方脱がせた。


「え? なに、ちょっと待って。待つのだよ」


「…………」


 そのままふらふらとゴキブリへと近づき、手にした上靴で一打。


 パァンッ! と気持ちの良い破裂音が執務室の隅々まで轟く。上履きをどけると、そこには潰れた御体が。生徒会役員に恐怖をまき散らしていた元凶は見事な手際によって死んでいた。


 あちこちから地を震わすような歓声が上がる。異様な雰囲気の中、生徒会長だけが冷や汗を流していた。


久米くめ君、ど、どうしてわざわざあたしの上履きを使ったのだね」


 空気にのまれないよう、慎重に尋ねる。鳴乍なりさは二十一センチの上靴を握ったまま振り返った。


「どうしてと言われましても、この子もどうせなら会長の履物で絶命したいかと思いまして。五分の魂と言いますし。いかな害虫とはいえ生命は尊重しなくては」


 当たり前みたいな真顔でそう答える。

 よく見れば目が死んでいる。ゴキブリの光沢より光が足りない。


「えっ……どういう理屈なのだね?」


 極限状態特有の意味わからん理論に涼葉は半ば絶句してしまう。なぜか周りから同意の声が。


「ああ、確かに」

「なるほど」

「言われてみればそうだね」

「久米さんは優しいなぁ」


 生気のない声たちに涼葉は青ざめる。


「論理的な思考回路が死んでいる……。君たち今日はもう帰るのだよ! 帰って風呂入って寝なさい!!」


「「「でもまだ仕事が」」」


「ちょっと遅れたってこんな状態で進めるよりマシなのだ。ここは大人あたしに任せるのだよ!」


 しぶる後輩たちを無理やりに帰らせる。

 やっとの思いで振り返ると、そこにはゴキショックで吹き飛び散らばった書類たちが……。


「…………〜っ、やるしかないのだっ」


 一人気合を入れ直す。

 体育祭の準備はまだまだ終わりそうにない。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る