第34話 仕事はきっかりでばっちり
気づけたのは
「あっ! これか!!」
部活バッグを漁っていた彼女が突然叫んだ。あやうくジュースを吹きこぼすところだった
「どおしたよお」
「これです、これ」
差し出されたのは、バッグの底で圧縮されたのだろう、ぐちゃぐちゃのペラペラになった細長い用紙だった。
「はあ? んだあこの南京玉すだれなプリントお」
「マネージャーから貰った手紙を先輩が赤ペン先生したやつです」
「ああ、あったなあそういうこと。これがどしたあ?」
広げると確かに見覚えがある。
「
「……偶然とは思えねえなあ。そんときから
ジュースの紙パックを広げ、ストローを奥へ押し入れる。平らになったそれを
「謎ですか」
「お前がオレたち兄弟を観察してたのってどんくらいだ」
「えっと、最初に話しかける二週間前からです」
答えを聞いて、やはりとほくそ笑む。
「オレはその一か月前から、監視されてるみたいな嫌な視線を感じてた。あの時はお前が犯人だと思ってたが、なるほど違ったわけだあ」
◇ ◆ ◇
「あの視線はお前だったんだなあ、
「……ご、ごめん、なさい。ぜん、ぜんぶぼく、が」
「おいっ」
「こらこらあ生徒を脅しちゃ駄目だよお先生。せっかく
「は?」
「え?」
「うっそでしょう」
「犯行組は分かるがなんで
「だって、相手に少しでも落ち度があれば揚げ足取ってでも脅迫の材料にするとめき先輩が他人を許すなんて……。ゆするの間違いでは?」
「そうしたいのはやまやまだが、今日は他にやらなきゃいけねえことがあるんでなあ」
自分の首に両手を当てながら
「
誠意をにじませたような問いかけだった。だが
「そんなことを聞いて、なんの意味があるのかな
「さすがのご
「……いまさら口にしたって……」
鳴乍の説得に開きかけた口が、冷たい呟きを吐き捨て閉じてしまう。飯開に話す気はないらしい。
その横で、
「あの! 横からすみません。わたし一年生の外部生なんで
嫌味でも貶めるでもなく、純粋な疑問のようだった。本当に分からないから知りたいと、そう願う問いかけに、
「おれは……生まれつきそういう人間なんだ。楽しいことを思いつくと我慢がきかない。乾いた心を潤せれば相手がどうなろうと構わない。他人の気持ちなんてどうでもいい。自分本位でしか生きられないクズだ。けどそんなおれでも、彼女と娘を愛していたのは事実なんだ。何物にも代えがたい真実だ。この愛情たけは、奪われようと失おうと、永遠に変わらない」
誰に言うでもなく、地の底へこぼすような告白だった。
その告白を受け、
「そういうわけでえす。もうこっち来ていいですよお」
「? おい、誰に電話してるんだ」
訝しむ飯開に、
「なあ、どおして指示だし中のオレがスマホを三台いじくってたと思う? 連絡相手は
「最初から、誰かに聞かせていたのか」
「通話は公園に来てからだけどなあ。誰かはすぐ分かるさあ」
視線が滑るように後方へ移る。釣られて
「あなた……」
「なっ、どうして……」
男が言葉を失う。女性は
女性が元夫と
「
「すみませんでしたあ!」
言葉の途中で
「オレが勝手に、
芝に両手を付く。
「けど、オレが奥さんに言った事実は誤りじゃなくとも、本当じゃなかった。気持ちを何もくみ取れてなかった。もっと、あんたら二人に話し合う機会を与えて、二人で考える時間を与えるべきだった。…………申し訳ありませんでしたっ」
謝罪しながら額が地面につくほどに頭を下げる。それは紛れもない土下座だった。まさか
そんな男へ、
「
それ以上言葉はなかった。ただ黙って土下座の体制を崩さない。
「…………あなた」
「私はもうあなたを信じられないし、もう一度よりを戻すことなんて考えられない。あなたのしたことは疑いようのないほど最低なことです。でも……」
言葉を切って、腕の中の小さな命を抱えなおす。そうして女性はずっと苦しげに硬くなっていた目元を、ほんの少しだけ緩ませた。
「あなたの愛情が本物なら、この子の成長を見守ることくらいは、許します。あなたはこの子の父親だから」
言われて飯開は涙をこぼした。肩を震わせ、今まで言えなかった一言を絞り出すようにしてようやく口にした。
「すまなかった……」
万感の思いが込められた謝罪は、どうやら女性の胸にも響いたらしかった。
◇ ◆ ◇
急な事態についていけないながらも、どうやら事は丸く収まったようだと
元奥さんを呼んだのは
元夫婦は二人で何か話し込み始めたし、
少年は飯開たちをじっと見つめたまま微動だにしない。
「……君は、あい、愛は尊いものだって言った、よね。じゃあ、僕も? この、光景を見て、残念に思ってる僕の愛、もき、綺麗って、言えるかな」
「
すがるように見つめてくる視線に応えられない。何が言いたいのか分からず問い返そうとすると、そこへ額についた土を払いながら
「新聞部部長から話は聞いた。その吃音症は一年のときクラスが荒れてたせいで発症した心因性のものだな。今はその症状ほとんど治ってんだろお」
「完全じゃない、けどね。そうか、部長は言っちゃったのか」
そうまつ毛を伏せる少年は普段よりもいくぶん
「治ってねえ演技を続けてたのは、弱者にはあっさり本音を漏らす人間の特性を利用するためかあ。そんなに、自殺を止めてくれた飯開に使ってもらいたかったか」
土をすべて払い終わった
「僕が先生に協力したのは、命を救われたからじゃ、ない。クソったれなあの人が、好きだから」
微かに頬を染める少年の声には、なぜか自嘲が混じっていた。
「無邪気に残酷で
風が吹く。それはさっきよりもなお冷たく感じられた。
「気持ち悪い、よね。男が男にって、しかも相手の悪いところをって。変だよ」
自分を責める口調だった。この少年の怯えた目は他人にではなく自分へ向けられているのだと、その声が雄弁に語るようだった。
「何を好きになるかなんて自分じゃ決められねえだろお。想うことは悪くねえはずだあ。お前がオレに近づいたのは、オレを通して飯開を理解するためか」
「同類の君を知れば、飯開先生をもっと理解してあげられると、思った。でもやっぱり別の人だったね。君のほうが親しみ、やすい。う、嘘ついて近づいて、ごめん」
「別にい。自分のためになりふり構わず頑張れる
「君たちみたいに、自分のために生きられるクズって人種、僕は好き、だよ」
想いを振り払うように言って、少年はポシェットから取り出した腕章を付ける。そしてデジカメを構えた。
「この件の埋め合わせは必ず、するから」
「おう」
一枚写真を撮って、
「これにて
…………さようなら、先生。人でなしのあなたが僕は好き、でした」
最愛へ笑みを向ける男は少年を見向きもしない。それでいいと思いながら頬を伝う雫を拭う。
決別の前にレコーダーのスイッチは切っておいた。
最後の告白は、どこにも届かず残らない。
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