1周目 クズとランナーな後輩
第1話 クラッカー告白
あの胸の痛みこそが失恋だったとようやく自覚して見上げる太陽は、いつもより目に
◇ ◆ ◇
迫る梅雨の気配を空気の柔らかさに感じる火曜日の朝だった。
校門から一直線に伸びる並木道を、一人の少年が大勢の女子から遠巻きな視線を浴びながら進んでいた。前からも後ろからも、もちろん横からも熱い視線は飛んでくる。
少女たちは互いを牽制するかのように少年へ近づくことはない。一定の距離を保ちながらついて来る様子は、さながら台風のようであった。
中心にいるのは、金色の柔らかいくせっ毛をした少年である。優しげで落ち着いているのにどこか幼くも見える顔立ちは中性的だ。均整のとれた体格に高校生の平均を超えた高身長。真っすぐに伸びた背筋はそのまま彼の誠実な人格を表すようだ。
一分の隙もない詰襟がいっそ軍服のようにも見え、飾り立てればそのままどこぞの王子と見間違えられることだろう。彼の放つ柔らかで浮世離れした雰囲気と相まって絵本から飛び出てきたかのようだ。
少年が少し微笑みかければ、少女たちは誰しもが、彼こそ自分の運命の人に違いないと頬を赤らめる。
見た目で得する人間の筆頭のようなこの少年の名を、
資産家や歴史ある有名老舗店の子息が集まるここ私立
そんな、校舎まで続くと思われた人垣が一か所、さっと割れた。
放つ空気は
特に人を不快にさせるのが目だ。この少年に微笑まれれば、致命的な弱味を握られたに違いないと皆が顔を青ざめさせるだろう。よく見れば顔立ちは整っているものの、この
少年が一歩進むごとに少女達は一様に背後のキュウリに気付いた猫のような俊敏さで道を開ける。その顔は出現した害虫から逃げんと強張っているようだった。少年の登場に気付いた向こう岸の少女たちも不快に表情を歪める。
早朝の爽やかさに似合わない
―—たった一週間でフラれたって。
——葛和兄弟の”クズ”のほう。
それだけで振り向かなくても誰がやって来たか分かってしまう。
「よお
背中を叩かれた衝撃があった。母音が
「その呼びかたはやめてくれないか。僕は洋画の主人公じゃないんだ」
「んなミュージカル顔してんのにい?」
「どこ見て下した判断かな?」
「全部」
「そうかその目は節穴だったね」
腕を下ろさせて振り向くと、見慣れた
「そう邪険にすんなよ
「義理のね。……君、これだけ騒がれてるのによく登校できるね」
「なんのことだ?」
「
「クズの
問い詰めるニュアンスと共に義理の弟を見る。すると
「いやあ噂の渦中とは人気者だなあオレは! 最後のには断固抗議するが。一つ確かなのは、フラれたのはオレのほうだってことだ。『どうやら告白したのは間違いだったみたい』だとよお」
「うわっ、初彼女だったろう? さすがに哀れがすぎる……」
「なあに?
「そりゃイクラだいって? あつかましいな。まったく一日休んだくらいでよく学校に来れるよね。僕だったらあと三日は引き籠ってる。いや去年のアレの時も
「はっ。お前、女どもにへつらってる時よりオレに悪態ついてるときのが良い顔してるぜ。今日は周りに睨み利かせてくれる
「――――っ」
楽しげな口調に
「てか本当に珍しいな、
「彼女なら今朝ご両親に呼び出されたそうだよ。遅れて登校してくるだろう。珍しいと言えば君のほうだ。こんな早くに」
「たまには早起きするさあ。三文の得なんだろ? 今日ってのは知ってんだ。三文ぽっちだったらえんえん泣いちゃうけどなあ」
「言いかた気をつけて。預かってるよ、
カバンを開き父親から預かった封筒を渡すと
「おおっ、サンキュ。ついでにお前の分も貸してくれよ。どうせ使わないんだろ? 二倍にして返すからさあ」
「そう言って前回の分をまだ返してもらってないんだけど?」
「そだっけかあ?」
頭が痛くなるのを微笑みで隠してため息をもらした。
「はぁ……今朝はやけに機嫌が悪いな。さっきからわざとやっているだろう」
「その悪評に巻き込まれる自分のことも考えてちょうだい弟よ、ってか?」
「義理のだよ」
大事な部分を繰り返す。
「んな肩書はすぐ意味なくなるだろ。
「
言い合いながら二人はひと際目立つ大木に差しかかった。学園創立前からあるという
その真下に着たとき、頭上で突然パアンッと破裂音が響いた。
「うわっ」
「なんだあっ!?」
兄弟は驚きに足を止めた。
ちょうど真上に何かが降って来る。
その何かが、
「あぎゃっ!」
「いっでえっ!?」
それの正体が一人の少女だということと、少女が幹に足をひっかけてぶら下がっているのだと気付くのに数秒を要した。
「ううっ、ごめんなさい、出るの遅れすぎちゃった。ちょっと下がってもらえますか」
言われた通りにニ、三歩後ずさると、兄弟はようやく少女と目が合う。
額の痛みに涙目になっているのは、
手の中に使用済みのクラッカーが握られている。紙吹雪などの入っていない空砲タイプだ。さっきの破裂音はこれだろうと兄弟は同時に当たりをつける。
少女は失態を恥じながら、仕切り直すように咳払いした。
「こほんっ、初めまして
少女は一瞬だけ口ごもり、意を決したようにクラッカーを握り潰した。
「お二人のどっちかがわたしの初恋だったかもしれないんです。お二人のことを知りたいから……なので、えっと……以後お見知りおきを!」
勢いのまま言い切ると、身体を持ち上げ幹から軽やかに飛び降りる。そのままボブヘアーをなびかせ校舎へと走り去っていった。見惚れるような美しいフォームだった。
「…………なんだったのかな、いまの」
「知らん。ったく、『間違い』だの『だったかも』だの。頼むからもうちょい頭使って恋愛しろってんだよクソが……」
いつも楽しげな義弟が珍しく沈んだ顔で空を見上げ、太陽の光に目を細めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます