ユリノハナ

西野 夏葉

第1話

 平成最後の年末が終わりを告げようとしていた。何か見えないものに浮かされているような札幌の街の景色は、いつも通勤で見ている時よりも、妙に煌びやかに見えた。


 南北線すすきの駅の改札前で、誰かを待つ人波に紛れながら、樫野祐希かしのゆうきはほろ酔い加減で、スマートフォンを片手に立っていた。祐希もまた、他人を待つ者のひとりに他ならない。


 夕方から始まった別の飲み会が思いのほか早く終わって、早々に次のアポへ向かったのだが、これまた予想以上に早く待ち合わせ場所に着いてしまった。だが、待つのは嫌いではない。待たせるのが嫌いなだけで、むしろ待ち合わせ場所には五分前には必ず着いていたいと思う方だった。



 刹那、スマートフォンの画面に、通知がポップアップした。LINEのメッセージの着信を告げている。



〈祐希くん、どこにいる?〉



 処理がモタモタする型落ちのエクスペリアにいらつきながら、祐希は返信に指を滑らせた。



「改札機のド真ん前」



 それと、祐希の冷えた頬に、ぷに、と何者かの人差し指がさされるのは、ほぼ同時の出来事であった。さされた方へ祐希が顔を向けると、ついさっきまで祐希が到着を待っていた人物がそこに立っている。黒のファー付きのコートに、ベージュのスカートと黒タイツ、ブーツという服装。なんとなく、昔に比べて大人っぽくなった……と思ったが、自分も同じだけ歳を取っているはずなのに、ただジジイ臭くなっていっているだけだと気づき、心の中で溜息をついた。



 その人物は、ひらひらと掌を振りながら、言った。



「どう、びっくりした?」

「いきなりほっぺ突かれたら誰でもするだろ、そりゃあ」



 祐希の同級生である、稲葉友香いなばゆうかの姿が、そこにあった。

 大学時代にはアッシュピンクに染まっていた髪は、今は黒い色を取り戻し、高級なピアノのような艶すら出ている。大きな瞳とやわらかな鼻筋、ぷくりとした唇は変わっていない。人懐こい笑みも、まるで過去から時が動いていないようにさえ感じられた。



「祐希くん、わたしが顔を覗き込んでも気づかないんだもん」

「すぐそばにいるならLINEするなんて思わないだろ、普通は」

「それもそうだねえ」



 友香は笑顔を浮かべた。笑うとその瞳が見えなくなるところも、相変わらずだった。




***




 既に飲み会を一つこなした祐希と、特に空腹ではないという友香の導き出した最初の店は、飲み放題プランの安いことで有名なバーだった。年末ということもあり、さほど広くないカウンターもテーブル席も埋まっていたが、たまたま帰る客と入れ違いになったことで、それほど待つこともなくカウンター席につくことができた。



 ホットワインの入ったグラスを両手で持ちながら、友香が言った。



「祐希くんと二人で飲むの、久しぶりだねえ。わたしが上海シャンハイに行く前かな」

「俺がまだ異動する前だったから、そうだな」



 友香は大学卒業後、航空会社の総合職として働いていた。北海道内の企業に勤めている祐希はせいぜい稚内わっかない網走あばしり程度が関の山だが、国際線も飛ばしている航空会社に勤める友香の異動範囲は、全世界に及ぶ。いまの友香は、赴任先の上海から戻り、東京の本社勤務になっていた。



「高校の同窓会にあわせて昨日帰って来たんだけど、手帳に日付を書き間違えててさ。今日だと思ってたら昨日だったんだよね、同窓会」

「そういう妙なところで抜けてるの、相変わらずだな。安心したわ」

「それ、どういう意味」



 ケラケラと友香は笑い声をあげた。



「ほんで、今日はスケジュールが空いてたってわけか」

「そうそう。祐希くんが空いててよかった」

「稲葉さんと違って、友達いねーからな」

「またまた」



 にこにことする友香を前に、祐希はカールスバーグを喉に流し込んだ。


 祐希と友香は、大学も専攻も違ったが、共通の知り合いを介して互いを知り合ってから、不思議とウマが合った。とはいえ、飲みに出かけたりするようになったのは、二人とも社会人になってからのことだ。それなりに酒の強い祐希と対照的に、友香はわりとすぐに酔いが回ってしまうけれど、酒を飲むこと自体は好きな人物だった。


 一度サシで飲んでいたとき、酔いつぶれた友香を、たまたま飲んでいた店が家の近所だった祐希が、家に連れてきたこともあった。かと言って、一夜のラブゲームがあったとかそういうこともなく、アルコールのにおいに包まれた友香をベッドに叩き込むと、祐希は薄っぺらいタオルケットを羽織って、ソファで眠った。


 そのことは、誰に言うわけでもなかった。どうせヘナチョコ男とか意気地なしとかいう口汚い言葉で、過去の出来事をそしられるだけなら、黙って口を閉ざしていた方がよほど利口に思えたのだ。



 互いに三杯ほどグラスを空けた頃合いだった。



「んで、稲葉さんはそろそろ恋人とか」

「無理」



 チタングラスに注がれたハイボールを一口飲んだ友香は、なんとなく語感が気に入ったのか「むりむりー」と鼻歌のようにハミングしている。



「なんで無理なんだよ」

「だって女の子ばっかりだもん、いまの部署。総合職の同期はいるけど、みーんなCAとくっついちゃったし」



 こういうところに企業の特徴がよく表れるものだ。祐希の会社は男が大半を占めているから、独り身の仕事人間が掃いて捨てるほどいる。自分もその一人になろうとしている……と危機感が、祐希の頭をもたげてきた。



「そーゆー祐希くんこそ、どうなんですか。おい」



 友香が、祐希の脇腹にゆるいひじ打ちを見舞ってきた。



「ねえよ。あったら今頃ここで飲んでるわけないだろ」

「そーかな。祐希くんって結構、やり手っぽいのに」

「稲葉さんならよく分かるだろ。俺にそんな度胸があるわけが」

「そうだね」

「少しくらい言い淀め。このやろ」



 祐希は先程の報復もかねて、友香の白い頬を両手でゆるく引っ張った。ひゃん、と友香が言葉になりきらない声を上げたところで、忙しさでヨレヨレになった店員がラストオーダーを取りに来た。

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