第2話

 結局は、また戻ってきてしまった。


 SF映画の塔を思わせるJRタワーの根元で、色とりどりのカラーリングを纏ったバスが行き交う光景を見ながら、光輝は溜息をついた。


 スマートフォンを取り出す。時間は気づけば既に午後三時を回っている。このポンコツめ。そもそもこいつがサボタージュせずにメールをしっかり送っていれば、今の自分の胸の中に吹く風は、暖かい南風だったのかもしれないのに。しかし、もしそうなっていれば、妻の不倫に気づくこともないまま、ただ自分だけがピエロになっていたのだろうと思うと、これでよかったのかもしれないとも感じた。


 ともあれ、このままこのスマートフォンを使い続ける気にもならなかった。理香とお揃いで買ったものだったし、理香はそれをとうの昔に不注意で壊してしまい、新しいものに買い替えている。それに加えて、さっきの邂逅だ。もはや思い入れのかけらもなく、これを一緒に買えば安くなるからと押しつけられたタブレットと同じく、実体物に形を変えた債務のように、忌々しくしか思えなかった。



 そのまま、光輝はバスターミナルに併設されている家電量販店に入った。もはやいくらかかろうが、中のデータが飛ぼうが構わなかった。いっそのこと、携帯を新しく替えたら、どこか、ここではない遠くに行ってしまいたい。何せここは北見ではなく、札幌なのだ。快速に一本乗れば新千歳空港はすぐだし、そうなれば移動範囲は北海道内にとどまらない。どうせ休暇は今日を含めて四日間ある。一日を移動で潰したところでたいした影響もあるまい。




***




 落ち武者のような足取りで、キャリーバッグを引きずって、店に入った。今の光輝には眩し過ぎるほどの笑顔で、擦れ違う店員が挨拶してくる。どいつもこいつも幸せそうな顔をしている。その裏では、さして下調べもしないでやってきた客に、いかにして高い電化製品をつかませようかという魂胆で渦巻いているはずだ。旦那が居ない隙に男を連れ込む、我が妻のように。



 空っぽになった目でモックアップを見つめていると、光輝の真横の方から「いらっしゃいませ」というゴム毬のように弾む声が聞こえてきた。ちら、と一瞥する。



「……あれ、水原くんじゃない?」

「……あ」



 胸のところにつけられた名札には「松永まつなが」と書かれていた。その苗字と今の声色、さらに前髪をぱっつんにした黒のセミロングには見覚えがある。



「松永、莉子りこか」

「うわ、なんでこんなところで会ったんだろ。久しぶりだね」



 松永莉子は、かつての光輝の同僚だ。北海道内の私大を出て、光輝と同じ年に銀行に入ったものの、勤続が一年になるかならないかくらいで、あっさりと辞めていった。なぜ辞めるのかと光輝が訊いたときには「銀行員って思ったよりずっとつまんなかったから」というブラックホールのような返事が返ってきた。



「どこで働いてんのかと思ったら、携帯売ってんのか。今は」

「結構、転々として、今に至るかな」



 莉子は軽い調子で言った。



「これもまだ、半年経ってないんだよね。いやー、でもまさかこんなところで同僚に会うとはねえ」

「もと、な」

「うるさい」



 ケタケタと、ぜんまい仕掛けの人形のように、莉子は笑った。



「今、どこの支店にいんの。水原くん」

「北見」

「へえ。したっけ、帰省?」

「ああ……まあ、うん」

「帰省なのに、なんで携帯なんか見に来てんの」



 莉子のその一言で、久々の再会によって忘れかけていた重苦しい事実が、再び光輝の頭をもたげてきた。


 そうか。



「……なあ、松永」

「うん?」

「おまえから携帯買ったら、おまえの成績になるのか」

「なるよ、なる、なる。……なに、買ってくれんの」



 莉子は勢い余って、光輝の右手を両手で包み込むと、ぶんぶんと上下に振ってきた。傍から見てどう映っているのかは、どうでもよかった。どのみちそれで困るのは莉子だけで、自分は特に困ることはない。



 財布の中身をのぞいた。入行と同時に半ば強制的に作らされたクレジットカードがあることを確認して、光輝は莉子に、はっきりとした口調で言った。



「最新のiPhone、どれだ」

「はい、はい。こちらですよ、お客様っ」



 今にも踊り出しそうな勢いで、莉子は光輝の手を引きながら、歩き出した。

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