第34話

 陽彩を家まで送ると出迎えてくれたのはお姉さんだった。

 陽彩の家は二十階建てのマンションだった。その十二階に住んでいる。


「あら、陽彩ちゃんどうしたの?」

「桃お姉ちゃん。ヒールが折れちゃって、それで……翼、じゃなくて獅戸君に送ってもらったの……」

 

 桃はなぜか、俺の顔をジーと見ていた。そして、何かに納得したように笑顔になった。


「そうだったのね。獅戸君、陽彩ちゃんを送ってくれてありがとうね」

「いえ……」

「もう、下ろして。大丈夫だから」

「ああ、そうだな」


 俺は玄関先で陽彩を下ろした。


「翼、ありがと」

 

 陽彩が俺の耳元でそう呟いた。


「桃お姉ちゃん。これ直るかな?」

「う~ん。結構、ひどく折れてるから無理かもね」

「えー。せっかく気に入ってたのに~」


 俺は二人のそんなやり取りを見ていて帰るタイミングを失ってしまっていた。


「じゃあ、俺はこれで……」

「あれ、二人ともどうしたの。それに、君は……」


 俺が帰ろうとした瞬間、一人の女性が俺の退路をせき止めた。

 ヒールを履いているその女性は俺よりも少し背が高くて、スタイルのいい体、張りのある肌。一瞬、陽彩の二人目のお姉さんかと思ったが、陽彩が言った言葉でそれはすぐに否定された。


「あれ、お母さん!? 今日は早いね」

「今日は早く終わったからね。ところで、陽彩~。この子は誰?」

「あ、え、っと……」


 なぜか言葉に詰まる陽彩。てか、この人が陽彩のお母さんか。若すぎだろ。大学生って言われても、驚かないぞ。


「なるほど、この子が陽彩の想い……」

「ストップ! それ以上はまだダメ!」


 陽彩がお母さんの口を手でふさいだ。


「やっぱりそうなのね」

「もう! お姉ちゃんまで!」

「せっかくだから上がってもらったら?」


 俺を置いてけぼりで勝手に話が進んでいった。


「無理だよ。獅戸君は明日の朝早くに海外に行くんだから」

「へ~。それは興味深いね~。ぜひ、話を聞かせてもらいたいもんだ」

「ダメだって、時間ないんだから! また、日本に帰ってきたらちゃんと紹介するから、今日は勘弁して!」

「はいはい。分かったよ。その時は詳しく聞かせてもらうからね」


 陽彩のお母さんは妖艶な笑みを浮かべて俺のことを見ていた。一体、どんなことを聞かれるのだろうか。少しだけ背筋がぞっとした。


「もう! 翼、行くよ」

「え、ちょっと……」


 陽彩がスニーカーを履いて、俺の手を取ってマンションから連れ出した。

 最寄り駅に到着すると、顔を真っ赤にさせた陽彩は手を離した。


「なんか、ごめんね」

「ん? 何のこと?」

「ほんとは、まだ会わせるつもりじゃなかったのに……」

「俺は会えてよかったけどね。確かにびっくりはしたけど、どうせいつかは……」

「え?」

「いや、何でもない。てか、陽彩のお母さん若すぎだろ」

「それ、翼が言うの? 翼のお母さんも若いよね?」

「うちの親は四十代だぞ」

「私の親も四十代だよ」

「マジか……」


 まさか、朝美と同じくらいの年齢だとは。

 電車が、駅に入ってきた。

 

「あ、電車来たよ」

「そうだな。じゃあ、今度こそ」

「ねえ、明日は何時に発つの?」

「朝の六時」

「分かった。お見送りに行くね」

「無理はするなよ」

「絶対に行くから!」


 陽彩の声が誰もいない駅内に響いた。

 二人の間に名残惜しい空気が流れた。この時間が永遠に続けばいいのに。陽彩と離れたくないな。そう思ったら、俺は陽彩のことを抱き寄せていた。


「え、ちょっと……」

「帰ってきたら言いたいことがある」

「うん……」

「だから、陽彩も元気でな」

「うん……」

「て、明日も会うんだけどな」

「うん……」

「来てくれるんだろ?」

「行く……」

「じゃあ、また明日な」


 俺は、陽彩から離れて電車に乗った。

 電車が、出発する。陽彩は電車ができから出るまで、ずっと手を振ってくれていた。

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