第4話
「獅戸君、いつまで寝てるの。起きなさい」
俺はその呼びかけで目を覚ました。
確か俺は昼休憩に教室を飛び出して、そのまま保健室に逃げ込んでベッドで眠ったんだっけ。どのくらい寝ていたのだろうか。
「随分とよく寝てたけど、よっぽど疲れてたのね。もう、放課後よ」
俺の心を読んだかのように言ったのは保健室のアイドルといわれている
真澄先生は背もたれのある椅子に座っていてこちらを見ていた。私服の上に白衣を羽織っており、短いスカートからは真っ白な足がスラっと伸びていた。色気のある大人の女性という言葉がよく似合う人だった。
「おはようございます。真澄先生」
「おはよう。獅戸君」
俺は体を起こして、さっき陽彩が座っていた椅子を見た。そこには、なぜか、俺のカバンが置いてあった。誰が持ってきたのだろうか。カバン取ろうと手持ちを掴もうとしたら付箋が貼ってあった。
『荷物持ってきてあげた。感謝しなさい 陽彩』
なんで、上から。まあ、いいか。
教室に荷物を取りに帰えって、残っている生徒に詮索されるのも憂鬱だったのでここはありがたく行為を受け取っておくことにした。
「獅戸君。モテるのね」
「そんなんじゃないですよ。ただのおせっかいですよ」
「そうかしら?」
「そうですよ」
「まあ、そういうことにしといてあげるわ」
真澄先生は足を組んだ。太腿までしかない短いスカートから伸びた足は妖艶に光っていた。そして、僕に向かって右手を出している。
これは、寄こしなさいの合図だ。
俺はカバンからマドレーヌを取り出して、真澄先生の手の上に置いた。
「今日はマドレーヌなのね」
「はい。綺麗に焼けました」
「確かに、綺麗な焼き色ね」
真澄先生には保健室を使わせてもらう代わりに俺が作ったお菓子をあげるという契約を交わしている。
その契約を交わしたのは入学式から一週間が経った時だった。
その日は学年遠足という行事があって、俺たち一年生は地元の名物スポット、城跡に行くことになっていた。春桜高校からその城跡までは徒歩で一時間近くかかる。
その遠足で歩き疲れたのか帰り道で俺は倒れてしまった。
目を覚ました時には保健室のベッドの上だった。
あれから、二年間、俺は真澄先生にスイーツをあげてるかわりに、保健室を使わせてもらっている。
「まさか、真澄先生が家の常連客だったとは……」
「あそこのスイーツはどれも美味しいからね」
「それはどうも」
俺の父は獅戸蓮夜といって世界的に有名なパティシエだった。スイーツの世界大会でも何度も優勝したことがあるらしい。詳しくは知らないけど。
そんな父がやっているお店の常連客として真澄は何度もスイーツを買いに来てくれているらしい。
獅戸なんて珍しい名前なので、遠足の日に俺が蓮夜の息子だということがバレて、さらにカバンに忍ばせていた自作のチョコレートを見つかって、俺もスイーツを作っているというのを知られて、あの悪魔の契約を交わさせられることになったのだ。
「今日のマドレーヌも最高に美味しいわね」
真澄は俺のマドレーヌを一口食べて幸せそうな顔をしていた。いつもは、無表情な真澄が見せるこの顔は破壊力がヤバすぎる。これで、落ちない男はいないんじゃないだろうか。まあ、例外はいるけど。ここに。
「ありがとうございます」
「獅戸蓮夜のスイーツも食べれて、その息子のスイーツも食べれて、私は幸せ者すぎるわ」
「そんなに、甘いものばかり食べたら太りますよ」
「なんですって」
真澄が殺気のこもった視線を送ってくる。
「冗談です」
「そういうのは人を選んで言うことね。あなたが獅戸蓮夜の息子じゃなかったら、今頃どうなっていたことか」
「脅すのはやめてください」
「そのくらい、女性に体重のことを言うのはご法度ということよ。覚えておきなさい」
「すみませんでした」
俺は素直に真澄に頭を下げた。当の本人は何でもないかのようにマドレーヌを幸せそうに食べている。
まったく、怒ったり、幸せそうにしたり忙しい人だ。
「じゃあ、僕はそろそろ帰りますね」
「気を付けて帰るのよ。また、いつでもいらっしゃい」
「スイーツが無くてもですか?」
「それは、ダメね」
結局、この人は俺のスイーツが目当てらしい。嬉しいような悲しいような複雑な気持ちになった。まあ、真澄先生は俺がスイーツ作りが趣味だと知ってても女々しいやつと見下したりしないし、僕が作ったスイーツを幸せそうに食べてくれるからそれでいいか。それに保健室も使えるしな。
なぜだか真澄にも俺の手作りスイーツを食べてもらうことに抵抗はなかった。
「まあ、あなたのことは好きだから、スイーツが無くても入れてあげないことはないけど……」
「え? 何か言いましたか?」
「何でもないわ。早く帰りなさい!」
「はぁ。お邪魔しました」
保健室を出る際、真澄の顔をチラッと見たら真っ白な顔が夕日に照らされて赤く染まっているように見えた。
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