第3話

 教室を抜け出して保健室に向かった。授業には出る気になれなかった。特待生だけど、授業の一回や二回サボったって多めに見てくれるだろう。

 幸いにも保健室の先生はいなかった。クラスで空気を演じてる僕にとって保健室は第二の心の休まる場所だった。第一は屋上だ。空気とはいえたくさんの生徒の中にいると息が詰まる。そんな時は、保健室に逃げ込んだり、屋上に逃げ込んだりしていた。


「もう、行かない方がいいかもな・・・・・・」


 また、屋上で過ごしていると、きっと僕を見つけた陽彩ひいろは話しかけてくる。それだけは、避けなければならなかった。僕の平穏な日々をこれ以上壊してほしくなかった。

 勝手を知っている僕は二つあるうちの奥の方にあるベッドに寝転がった。


 そもそも、僕が間違ってた。陽彩にスイーツをあげなければ、こんなことにはならなかったはずだ。

 最悪だ。空気のまま三年間やり過ごそうと思っていたのに。


「翼いるんでしょ? さっきのこと謝りたいから出てきてよ」


 陽彩が保健室にやってきた。どうやら僕の後を追いかけてきたらしい。

 なんで、追いかけてきてるんだよ! 

 ほっといてくれたら、これ以上被害は広がらなかったかもしれないのに。僕を追いかけてきたなんて、他人が見たらどんな風に受け取るか。考えただけでも寒気がした。最悪だ。

 僕は布団を頭まで被って断固として出ていこうとはしなかった。

 

「やっぱりいた」


 陽彩が僕のいるベッドのそばまでやってきた。布団を無理やりはがすことはしないらしい。陽彩は椅子を持ってきて、そばに座ったみたいだった。


「さっきはほんとにごめんね。翼の気持ち全然考えてなかった。あのマドレーヌが美味しすぎて、翼と同じクラスだったって知ったらテンション上がっちゃったんだ。ほんとに、ごめん。悪気はないんだよ。私ってこういう性格だから、たまに他人の感情に鈍感になるんだよね」


 陽彩の声はだんだんと小さくなっていった。顔を見なくてもその声が悪気がなかったことも反省していることを物語っていた。

 陽彩は自分の気持ちに嘘がつけない人なんだな。誰にでも直球で同じような態度で接している。だから、空気を演じている僕にも雛形さんや有川さんと話すときのような感じで接してくれたんだと思う。自分で言っているように他人の感情に鈍感なところがあるみたいだけど。


「私は先に教室に戻ってるね。ちゃんと私から説明しとくから安心して。それと、もう屋上にも行かないようにするから……」


 陽彩が立ち上がるのが分かった。

 このまま陽彩を引き止めることなく教室に一人で帰ってもらえば、僕の学校生活はまた元に戻るかもしれない。

 そう思った瞬間、頭に昼休憩の時に僕のマドレーヌを食べて幸せそうな陽彩の顔が浮かんだ。どうして、その顔が浮かんだのか僕には分からなかった。もしかしたら、もう一度あの顔が見たいと思ってしまっていたのかもしれない。僕の作ったスイーツを幸せそうに食べてくれた陽彩の顔を。

 だから、僕は陽彩さんを引きとめることを選んだ。


「待って……」

「翼……?」

「その、屋上には来たければくればいい。ただし、一人でにしてくれ……」

「え、ほんとにいいの?」

「……ああ」

「絶対一人で行くから!」

「……そうしてくれると助かる」

「だから、またスイーツ……」


 陽彩はお菓子を欲しがる子供のような可愛らしい瞳で僕のことを見ていた。その顔があまりにも懇願するような顔だったので僕は笑ってしまった。


「分かったよ。ちゃんとまた持ってくるから」

 

 それが、陽彩の癇に障ったのか、頬を膨らませていた。


「つ~ば~さ~君。何がそんなにおかしいのかな?」 

 

 そして、ベッドに乗ってきた。僕の足の間に手をついて陽彩は顔を一気に近づけてきた。艶のある薄い唇がすぐ間近にある。ちょっとでも動いたら触れそうな距離だった。陽彩さんの吐息が頬にあたってくすぐったかった。

 なんで、そんなに堂々としてられるんだ。僕は恥ずかしすぎて逃げ出したかった。


「いいのかな? 私が今ここで大きな声上げたら翼君の学校生活は終わっちゃうよ」


 陽彩さんは妖艶な笑みを浮かべていた。この人なら本当にやりそうで怖かった。


「……それだけはやめてくれ」

「じゃあ、なんで笑ってたか教えなさい!」

「それは……神宮司さんが子供ぽかったから」

「なっ……」


 陽彩の顔が朱色に染まっていく。そして、ベッドから降りて、僕から少し距離を取り背中を向けていた。

 さっきまで堂々としていた姿からは想像できないほど、陽彩は動揺していた。

 

「翼のバカ……」


 陽彩はそう言い残すと保健室から走り去ってしまった。

 一人保健室に残った僕はベッドに横になってこれからのことを考えた。これでよかったのだろうか。ここできっぱちと陽彩との関係を断った方がよかったんじゃないか。そんな考えばかりが頭をよぎる。

 不安しか残っていなかった。でも、約束してしまった以上、僕はそれを守る。しかもそれが女生との約束ならなおさらだ。


「とりあえず、今日は授業をさぼろう……」


 どうせ、戻ってもまだ注目を浴びるだけだろうし。

 僕は目を瞑って寝ることにした。目を覚ました時に教室での出来事がドッキリかなにかであればいいなと思いながら。




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