第4話

    ◇ ◇ ◇


 一年で最も日が長いこの時期だけれど、七時近くなるとさすがに薄暗くなってくる。水色だった空は、沈む太陽に照らされて茜色に色づいていた。

 あと十五分もすれば、暗闇に包まれるだろう。

 親しい人達で宴会でもしているのだろうか。風に乗って、遠くからは人々の賑やかな歓声が聞こえる。

 

 その時、背後のすぐ近くからカサリと音がした。


「夏帆ちゃん、早かったね」


 そう言って振り返った私は、はっと息を呑んだ。


「侑くん……」


 そこには、Tシャツとカーゴパンツ姿の侑希がいた。驚いた私は、その場で立ち上がる。


「どうしたの?」


 侑希は少し緊張したような、強張った顔をしてこちらを見つめていた。

 弱い風が吹き、足元の草を優しく揺らす。普段の侑希らしからぬ表情に、私はどうしたのかと訝しんだ。


「侑くん──」


 ──好きな子を誘ったんじゃないの? 気持ちを伝えられた? 


 そう聞こうと思ったけれど、その言葉は喉元で止まった。

 先に侑希が口を開いたのだ。


「好きだ」

「え?」


 遠くの喧騒、草の揺れるさざめきに混じったその言葉に、聞き間違えかと思った。


 目の前の侑希は、真剣な表情でこちらを見つめている。茶色い髪に、薄茶色の瞳。彫りが深くて、相変わらず憎らしいくらい綺麗な顔。

 今に「信じたのかよ!」とおちゃらけるのと思ったのに、それすらなくこちらを見つめている。


 私はこくんと唾を呑んだ。


「雫が好きだ。俺と付き合ってください」


 呆然として動けない私に、侑希はもう一度、はっきりとそう言った。

 少し強張った表情のまま、こちらをまっすぐに見つめている。


「……なんで? 好きな子がいるんでしょ?」


 言葉の意味は理解できるけれど、状況が理解できない。


 だって、そんなはずない。

 侑希はずっと誰かが好きだったじゃない。

 憎らしいくらい純粋に、誰かさんを想っていたじゃない。


「俺が好きなのは雫だよ。もう……ずっと前から」


 困ったように侑希は首を傾げる。


「嘘なんだ、彼女がいたなんて。雫に迷惑がかかるのが嫌で、あんなこと言った。それで、本当のことを言い出すタイミングを見失っちゃって──」

「嘘……?」


 その口から紡がれる言葉は、信じられないことばかりだった。私は只々侑希を見つめことしかできなかった。


「だから……」


 すっと息を吸った侑希が片手を差し出した。


「雫。俺と付き合ってほしい。幼なじみでも、仮の彼女役でもなくて、本当の彼女として」


 色々な感情が溢れてきて、頬を熱いものが伝う。

 今日は絶対に流さないと誓ったはずの涙は、予想だにしていなかった嬉し涙だった。



 すっかりと暗くなった川沿いの向こうが不意に明るくなる。空に一筋の光が打ち上がり、大輪の花を咲かせた。


 ドーンという音と共に、わあっと歓声が聞こえた。


   ◇ ◇ ◇


 夏帆ちゃんがようやく戻ってきたとき、私は驚きを隠せなかった。

 なぜなら、夏帆ちゃんはにこにこの笑顔で彼氏である松本くんと一緒に戻ってきたのだ。皆がグルだったなんて!


「ええー! じゃあ、最初からそのつもりで誘ってきていたの?」

「ごめん、ごめん!」


 舌をペロッと出してごめんねのポーズをする夏帆ちゃんを、私は半ば呆れ顔で見返した。

 今日の花火大会について侑希から相談を受けた松本くんが彼女である夏帆ちゃんに相談し、夏帆ちゃんが二人で出掛けようと私を誘い出すように最初から計画を練っていたらしい。


 私はそのことに、全く気が付いていなかった。


「いやー、駄目だったら無茶苦茶気まずいけど、倉沢くんと雫ちゃんなら絶対に大丈夫ってわかっていたから。だって、雫ちゃんの好みの人は『優しくて、格好よくて、頭がいい人』でしょ? 倉沢くんそのまんま」


 夏帆ちゃんはいつか私が言った言葉を引用すると、悪びれることなく、あっけらかんと笑う。そして、こちらを向いて嬉しそうに目を細めた。


「雫ちゃん。改めておめでとう」

「……うん。ありがとう」


 いつから夏帆ちゃんは私のこの気持ちに気が付いていたのだろう。

 頬が赤らむのを感じる。


 侑希は松本くんに「よかったなー」と肩を組まれて祝福されていた。


「さ、花火はこれから本番だよ。見ようよ」


 夏帆ちゃんが手招きしたのを合図に、私と侑希もレジャーシートに座る。自然と夏帆ちゃんの隣に松本くんが座ったので、私と侑希が隣同士になった。

 今の今で、ちょっぴり気恥ずかしい。


 チラリと隣を窺い見ると、大空を見上げていた侑希が視線に気が付いてこちらを向く。 そして、照れたようにはにかんだ。


 胸が、トクンと跳ねた。

 そして、じんわりと温かさが広がる、不思議な感覚。


 慌てて上を眺めると、大空にまた赤や黄色の大輪の花が咲く。

 ドーンと大きな音がした。


 今日見たこの花火を、私はきっと一生忘れないだろう。

 そんな、確信めいた予感がした。


 恋は、切なくて、嬉しくて、楽しくて、──そして温かいものだと思った。

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