第3話
◇ ◇ ◇
「おかーさん。変じゃない?」
「大丈夫よ。似合っているじゃない」
鏡の前でくるりと回り、自分の姿を確認する。鏡の中の自分もくるりと体を回し、長い袖がヒラリと揺れた。
藍色の地に艶やかな葵の花が描かれた浴衣は、先日購入したばかりの新作。
仲良しの夏帆ちゃんに可愛い浴衣を着て一緒に花火を見に行こうと誘われ、新調したのだ。元々色白の肌が藍色に引き立てられて、いつもより明るく見える気がした。
「せっかくだから、髪の毛も可愛くしてあげる」
お母さんがゴムやピン、ブラシを持ってきて、私に鏡の前に座るように促す。
肩より少し下、鎖骨の辺りまで伸びた髪の毛をツーブロックに分けた編み上げにし、最後はお団子にしてピンでとめた。そこに、浴衣と一緒に買った白色の花飾りを飾ってくれた。
「あらー、可愛いわ。お母さんの若い頃にそっくり。ねえ」
お母さんは自分の仕上げたこの髪形に満足したようで、にっこりと微笑みお父さんのほうを振り返る。ダイニングテーブルで新聞を読んでいたお父さんはチラリとこちらを
「きっと、照れているのよ。お父さん、若い頃、お母さんにそれはもう、べた惚れだったんだから。あ、今もべた惚れのはずだけどねー」
お母さんは私と目を合わせると、いたずらっ子のように笑った。
「さっき倉沢さんの奥さんに会ったんだけどね、今日、侑くんも花火大会に行くみたい。一緒なの?」
鏡越しにお母さんがそう聞いてくる。私は首を横に傾げて「違うよ」と答えた。
侑希には先日図書館で勉強した際に、好きな子を誘うようにとエールを送った。
その後のことは何も聞いていないけれど、何も言ってこないということは、きっと今日はその子と出掛けるのだろう。
自分が応援したこととは言え、そう考えるとやっぱり胸がチクンと痛む。
「違うの? てっきり一緒だと思っていたからこんなに可愛くしちゃったわ。変な男の子に声をかけられても、付いて行っちゃ駄目よ?」
「付いて行かないよ。夏帆ちゃんも一緒だし」
「でも、気を付けるのよ」
頬に手を当てて心配そうにするお母さんに向かって、私は苦笑する。
今日の花火大会には、夏帆ちゃんと一緒に行く。
てっきり夏帆ちゃんは彼氏の松本くんと行くのだと思っていたのだけど、松本くんは用事があって一緒に行けないらしい。とびきりおめかしして一緒に行こうと、つい先日学校で誘われた。
自室に戻って持ち物の準備をしていると、スマホがピポンッと鳴って緑色のランプが光った。
『予定通り五時に駅の改札集合! とびっきり可愛くして来てね!』
画面を確認すると夏帆ちゃんからだった。私は画面をタップすると素早く返信する。
『一緒に買ったやつ着ていくよー。すごくいい感じ』
暫くすると、クルクルと回って喜びを表現するウサギのスタンプが送られてきた。私からも可愛いスタンプを返信する。
「いつまでも落ち込んでいていても、仕方がないよね。楽しまないと」
自分で自分を元気づけるように独りごちると、鏡に向かってにこりと笑う。
ちょうど目に入った色つきのリップクリームを塗ると唇にほのかなピンク色がさし、華やかさが増した気がした。
(さあ、元気出していきましょー!)
五時過ぎに待ち合わせの駅に到着すると、夏帆ちゃんは既にそこにいた。
一緒に買いに行った、ピンク色に生地に黄色の向日葵が咲く、可愛らしい浴衣を着ている。帯も白いフリルが付いたフェミニンなデザインだ。
「雫ちゃん、こっちこっち!」
夏帆ちゃんは階段を下りてくる私に気付くと、改札口の向こうからぶんぶんと片手を振った。人混みの中でも鮮やかなピンクの生地は人目を引く。
私はすぐに夏帆ちゃんの元へ駆け寄って行く。
「やっぱり結構人多いね。どこから見ようか? やっぱり河川敷かな」
「そうだね。広いから満席ってことはないでしょ。行ってみようよ。出店も見たいし」
「だね」
人の波に乗って、夏帆ちゃんと一緒に歩き始める。
小さな子供を連れた家族連れ、自分と同じような女友達のグループ、趣味の集まりだろうか、年齢も性別も様々な人達──たくさんの人達が楽しげ会話しながら歩いている。その中にはやっぱりカップルも多かった。
(侑くんも今頃、デートかな。もう好きだって伝えたかな。)
そんなことが脳裏に浮かんで、ちょっとしんみりとして慌てて頭を振った。せっかく夏帆ちゃんと来たのだから、今の時間を楽しみたい。
(それにほら。これは私が望んだことでしょう?)
そう自分に言い聞かせる。
隣を歩く夏帆ちゃんは縁日を興味深げに覗いていた。スーパーボールすくいの前では、小学生と幼稚園生くらいの子供たちが人垣を作っている。
河川敷沿いの通りの両側には出店が建ち並んでいるが、その向こう側──河川敷にはすでに多くの人たちが場所取りのレジャーシートを広げ始めているのが見えた。中には、大きなブルーシートを広げた宴会をしているグループもいた。
──祭りの夜は宴会じゃ。
以前、さくらが言っていた言葉を再び思い出した。
──我も機嫌が上がるから、たくさんの縁が結ばれる。
侑希の縁も、無事に結ばれるだろうか。
(どうか、結ばれますように。)
どうせ失恋するのだから、侑希には誰かが付け入る隙がないくらい、めちゃくちゃ幸せになってほしいと思う。そして笑顔で一言、「おめでとう!」って伝えられれば、なんの未練もなく次に行ける気がした。
だって、侑希の恋が叶ったら、私も素敵な縁が結ばれるってさくらが言っていたから──。
夏帆ちゃんは途中で立ち止まると、じゃがバターを購入した。ふうふうと息を吹きかけて冷ましている。揚げたてで熱々のジャガイモと格闘しながら食べている姿が可愛らしい。
「夏帆ちゃん、せっかくこんなに可愛くしてきたのに、松本くんに見せられなくて残念だね。私、スマホで写真撮ってあげようか?」
「へ?」
じゃがバターに集中していた夏帆ちゃんはきょとんとして顔を上げたが、すぐにふわりと笑った。
「大丈夫だよー。でも、せっかく可愛くしてきたから雫ちゃんと二人で撮りたい!」
二人で顔を寄せて自撮りする。距離が近いから胸から上しか撮れなかったけれど、可愛くしてもらった姿が記念に残って嬉しい。
河川沿いの出店があるエリアを抜けると、だいぶ人通りは減った。川の方へ歩き、雫と夏帆ちゃんは持参したレジャーシートを河川敷に敷く。
「今、何時かな?」
夏帆ちゃんがスマホを探しながら呟いたので、「六時三十分だよ」と教えてあげた。
花火の打ち上げは七時から。まだ時間に余裕はある。
「雫ちゃん。私、出店に焼きそば買いに行ってきてもいい?」
「あ、私も食べたいな」
「じゃあ、まとめて買ってくるよ。待っていて」
「うん、ありがとう」
夏帆ちゃんが財布とスマホの入った巾着を持って、パタパタと出店の方へと歩いてゆく。その後ろ姿を見送ってから、レジャーシートに座って空を見上げた。
脳裏には、さくらに言われて不思議な体験をしたあの日のことが蘇る。
◇ ◇ ◇
最後にさくらが夢に現れたあの日、私はギュッと瞑った目を恐る恐る開き目を瞬いた。
「ここ……」
地面が夕焼けで染まる中、誰もいないブランコが風に揺れていた。砂場には今日の昼間に子供が作ったのか、掘りかけのトンネルの穴が開いた小さなお山が見える。
何年も来ていないけど、ここはうちの近くにある公園だ。
「なんでこんなところに……」
私は戸惑って辺りを見渡した。夕暮れが近い今の時間、遊んでいる子供は一人もいない。
──雫よ。縁結びの手伝いじゃ。また、ちょっと話してきてくれ。
突如ベッドの足元に現れたさくらにそう言われたのは先ほどのこと。
そのとき、私は咄嗟に断ろうとして声を詰まらせた。
正直、辛いのだ。侑希の縁結びの願いが叶ったとき、それは即ち、私が完全に失恋するときだ。
そうなったら、多分もう侑希と今の関係を続けることは難しいと思った。きっと、自分は侑希を避けてしまうだろう。
どうしてこんな場所に連れてこられたのかと困惑しながらも家に帰ろうと歩き出したそのとき、公園の入り口から一匹の柴犬が走ってくるのが見えた。
「え? うわっ!」
その柴犬は雫に向かって一目散に走ってくると、まるで大好きな友人にでも出会ったかのように前足を上げて飛びかかってきた。そして、くんくんと匂いを嗅ぎながらぶんぶんと引きちぎれそうなくらいに尻尾を振る。
(か、可愛い!)
こちらを見上げるつぶらな瞳にキュンとしておずおずと頭を撫でてやると、その子は益々嬉しそうに尻尾を振った。しゃがんで目線を合わせると、顔をぺろりと舐められた。
「わわっ、ちょっと……」
ものすごく人懐っこい犬だ。
飼い主はどこに行っちゃったんだろうと不思議に思っていると、パタパタと走ってくるような足音が聞こえた。
「きなこ!」
そう言ってリードを片手に公園に飛び込んできた男の人は、犬と遊んでいる私を見て立ち止まる。
そちらを見上げたけれど、ちょうど西日の逆光でよく見えなかった。眩しさに、思わず目を眇める。
「え?」
私の二メートル位手前で、男の人は驚いたように立ち止まった。
「あ、勝手に遊んじゃってごめんなさい」
私は慌てて立ち上がり、飼い主の男性にぺこりと頭を下げる。そして、顔を上げたときに息を呑んだ。
男性は二十歳過ぎくらいだろうか。ラフなTシャツにジーンズを合わせ、片手には犬用の黒いリードを持っている。急いで飼い犬を追いかけてきたせいか、茶色い髪は少し後ろに乱れていた。
「あ、それは構わないんだ。……ごめんね、遊んでもらっちゃって」
男の人が表情を取り繕ったように、にこりと笑う。
「きなこっていうんだ」
「きなこ? なんか、美味しそうな名前ですね」
「うん。彼女が名付けたんだ」
男の人はそう言うと、きなこの頭を撫でて苦笑いする。きなこは嬉しそうに尻尾を振り、落ち着きない様子で私と男の人を見比べた。
「人懐っこい子ですね」
「こいつ、メスなんだけど女の人にはあんまり懐かないんだ。うちの家族と、彼女くらい」
「そうなんですか? 凄く人懐っこく感じるけど」
私はきなこを見る。きなこは自分の話をされているのをちゃんと知っているのか、嬉しそうに尻尾を振ってこちらを見つめていた。
私は男の人の方をそっと窺う。
彫りの深い顔つきは、やや日本人離れしている。茶色い髪の毛は西日を浴びてまるで金髪のように見えた。
「……彼女さんには懐いているんですか?」
「はは、そうだね。きみくらいのときから、ずっと付き合ってるから」
こちらに向いた茶色い瞳がにこりと細まる。少し照れたように頬を掻く仕草は、今とちっとも変わらない。あんまり嬉しそうに笑うから、泣きたい気分になった。
幼稚園からずっと一緒なんだもの。見間違える筈がない。
(きっと、上手くいくんだ……)
そう悟ると「よかったね」と心の中で祝福を贈る。
私はね、侑希の笑った顔が好き。
こんなに幸せそうに笑うなら、背中を押すぐらい、お安い御用だよ。
全力で応援してあげる。
だから、ひとつだけ許してほしい。
今夜だけは、泣いてもいいかな。
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