第2話

◆ ◆ ◆

 

 もう深夜だというのに、ちっとも眠くならない。

 ベッドの上で寝返りを打ちながら、俺は今日何回目かわからないため息をついた。


「あー、わかんねぇ」


 ベッドの仰向けに倒れたまま、顔を手で覆う。


 ここ最近、雫の様子がおかしい。

 今日はついに、体が近づいたらあからさまに避けられ、転ばないようにと気を利かせて差し出した手は無残にも振り払われた。

 その場では平然とやり過ごしたけれど、実はかなり傷ついていた。


 昨年の夏以来、少しずつだけれど雫との距離を縮めていると思っていた。

 けれど、ここにきてあの態度。明らかに避けられている。


 二人の距離が元々のそれ以上に広がった気がした。年明けごろからは結構いい感じなのではと自惚れていたのに、勘違いだったらしい。


 それに、先日だって痛いところを突かれた。

 温厚な性格でいつもニコニコしている雫が、未だに煮え切らない態度をとる俺に対し『男らしくない』と言ったのだ。

 すぐに顔を青くして謝罪されたが、自分自身でも全くその通りだと思っていた。いつまでズルズルと引っ張るつもりなのだと。


 それに、最近気になることがもうひとつ。


 雫が前にも増して可愛くなった。


 雫は前から可愛いのだけど、なんて言えばいいのだろう、少し服装が変わって、ほんの少し大人っぽくなったような気がする。

 先日も、普段はつけない色つきのリップを付けていて、ピンク色の唇が妙に色っぽく見えてドキリとした。


 もう高校二年生なのだから、学校に行かないときはお洒落や化粧をしている女子も多いとは思う。塾でも、化粧をしてくる女子はいる。

 けれど、雫に限ってはそういうことに全く興味がなさそうに見えたので妙な焦燥感にかられた。


(もしかして、好きな人でもいるのかな?)


 そんな不安が湧いてくる。

 それは誰なのだろう。やっぱり、普段から仲がよさそうにしている久保田彰人だろうか。


「やっぱり、ちゃんと言うしかねーか」


 白黒つけるためにはそれしかない。

 そうは思うけれど、一体いつどこでどういうタイミングで言えばいいのか。


 考えたくはないが、断られたらどうすれば? 「なーんてな、冗談だよ!」と言えば元通りの関係になれるだろうか?

 いや、そんなちゃらちゃらしたふざけた冗談を言う男だと雫に思われるなんて耐えられない。


(では、どうすれば?)


 考えても答えは見つからず、同じようなことの堂々巡り。


「当たって砕けてみるか……」


 暗闇の天井に白く浮き上がる蛍光灯を見つめながら、独りごちた。




 その一週間後のこと。


 俺はその日も雫と一緒に図書館に行った。

 並んで一緒に勉強していると、チラチラと視線を感じる。わからないところでもあるのかとノートから顔を上げて雫の方を向けば、今日もパッと目を逸らされてしまった。


(やっぱり、避けられてる?)


 ずーんと気持ちが沈むのを感じた。


 帰り際、図書館の出口にある掲示板の前で、雫が足を止めた。


「どうしたの?」

「先週も貼ってあったけど、もうすぐ花火大会だなあと思って」


 雫は掲示板に貼られた一枚のポスターを指さした。


 それは、先週から貼りだされている、八月の第一週に開催される花火大会のお報せだった。去年、どうやって雫を誘いだそうかと悩んでいるうちに雫が怪我をして出かけられなくなってしまった花火大会だ。


「今年は、好きな子を誘わないの?」


 雫が穏やかな声で、そう言った。


「誘いたいとは思うけど……」


 俺は言い淀む。


「うん、誘いなよ。花火大会の日ってね、縁結びの神様の機嫌がいいから、たくさんの御縁が繋がるんだって。侑くん、頑張れ」


 雫はそう言うと、にこりと微笑んだ。


(──雫。俺が好きなのは……。)


 伝えたいのに、あと少しの勇気が足りない。


 雫は空の星を眺めるように、顔を上に向けた。

 猫みたいにくりっとした目が、空を見上げたままパチパチと瞬く。少し伸びた髪が、さらりと肩から零れ落ちた。


 つられるように見上げると、満天の星が広がっている。


「あそこ、夏の大三角形が見えるよ」

「えー、どこ?」


 雫はそれを探すように、視線を彷徨わせる。


 星座のことは、話すと雫が喜ぶから必死で覚えた。今ではどの星が何座のなんという星なのか、大抵のことは言い当てられる。

 得意げに教えると感心したように聞き入って笑う、雫の仕草が好きだ。


(今度こそ、伝えよう。駄目でも、言おう。)


 流れ星と天の川は見えなかったけれど、満天の星にそう誓う。


「なあ、雫」

「ん?」

「…………。なんでもない」

「なーに。変なの」


 雫はこちらを見てくすくすと笑う。その笑顔が、たまらなく可愛らしく見えた。

 願わくは──。


 ──きみの隣で、ずっとこの星空を眺めていたい。


 そんな小説の一節みたいな臭い台詞が浮かんだけれど、とうとう口にすることはできなかった。

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