第九章
第1話
今日からいよいよ二年生だ。
今までの校舎の二階の教室から三階の教室に移動しただけで、だいぶ景色が変わった気がする。窓から見下ろした校庭では、朝練習を終えたサッカー部のメンバーが校庭整備に使った『トンボ』と呼ばれる器具をしまっているのが見えた。
「雫ちゃーん!」
席でぼんやりと外を眺めていると、元気なかけ声がした。にこにこ笑顔の夏帆ちゃんが駆け寄ってくる。
「今年もよろしくね」
「こちらこそよろしくね」
私も笑顔で返事をする。
「雫ちゃんは理系コースだっけ?」
「うん、そう」
「じゃあ、それも一緒だ。やったー!」
さくら坂高校では三年間、ベースとなるホームルームのクラス替えはない。そのかわり、二年生になると理系コース、文系コースに別れての授業が始まる。そして三年生になると国立理系コース、国立文系コース、私立理系コース、私立文系コースと更に細かく細分化されるのだ。
私は理学部に進学希望なので理系コースを希望した。夏帆ちゃんも建築士として設計事務所を経営している父親の影響で建築学科に行きたいそうで、理系コースだ。
理系コースに進む女子は、女子全体の三分の一弱しかいないので、夏帆ちゃんがいてくれたことをとても心強く感じた。
「あーあ。聡も一緒だったらよかったのになー」
「でも、ホームルームが一緒だからそんなに変わらないでしょ?」
「まあ、そうなんだけどさ。授業も一緒がいいじゃん」
不貞腐れたように口を尖らせた夏帆ちゃん。
夏帆ちゃんの彼氏である松本くんは、将来法律の勉強をしたいからと文系コースに進んだ。皆、目標とする未来に向かって一歩一歩、歩き始めているのだ。
「そういえばさ、もうすぐ体育祭だね」
夏帆ちゃんが思い出したように、そう切り出す。
「そういえば、そんな時期だね」
さくら坂高校の体育祭は年に一度、五月の最終週だ。去年は入学した直後に練習が始まり、右も左もよくわからないうちに終わってしまった印象しかない。あんまり運動は得意じゃないけれど、今年は楽しみたいな、と思った。
「今年も多分、聡がクラス対抗リレーの選手に選ばれるから、私絶対に応援するの」
「リレーかぁ。松本くん、運動神経いいもんね」
「うん」
松本くんはサッカー部のエースだけあって足が速い。彼氏を褒められて嬉しそうに笑う夏帆ちゃんに、私は相槌を打つ。そういえば、侑希も昨年、クラス対抗リレーの選手に選ばれていたな、なんてことも思い出した。
◇ ◇ ◇
燦々と照りつける太陽に、思わず目を細める。
日差しを遮るように手で傘を作り額に添えると、眩しさは少し和らいだ。少し顔を上げると、雲ひとつない真っ青な青空がどこまでも続いている。今日は、絶好の体育祭日和だ。
「今日、暑いねー。まだ五月なのに」
隣にいる夏帆ちゃんと優衣ちゃん、それに美紀ちゃんがパタパタと体操着を扇ぐ。天気予報では、今日の最高気温は二十七度まで上がるそうだ。まだ午前中だというのに、ひなたにいると汗が吹き出てくるような暑さだった。
一、二、三の掛け声に合わせて、屈伸やジャンプなどをする全校生徒の体操から始まった体育祭は、昼近くになっていよいよ最高潮の盛り上がりになっていた。
競技を行う校庭の周りには生徒用の席もあるが、それとは別に応援用スペースも確保されていた。なので、生徒達はプログラムを見ながら思い思いに移動して応援を行っている。
「私、そろそろブラスバンドの準備に行った方がいいかも」
お昼ご飯を食べていると、プログラムを見ながら一緒にお弁当を食べていた美紀ちゃんが時計を確認する。
ちょうどそのとき、体育祭実行委員会の事務局によるブラスバンド参加者の集合場所への集合を告げるアナウンスが流れた。
「お。頑張ってね!」
「うん!」
立ち上がって手を振る美紀ちゃんを見送り、私達は再びプログラムに視線を落とした。
「午後のプログラムって、この次がブラスバンドで、その後はなんだろう?」と私が呟くと、
「二年男子の棒倒し」と優衣ちゃんが即答する。
「あー! 毎年盛り上がるやつだ!」
指でプログラムを追いながら確認する優衣ちゃんの一言に、夏帆ちゃんが叫ぶ。
男子の棒倒しはその名の通り、相手のチームの棒を先に倒したチームが勝ちというシンプルな競技だ。ただ、その棒の前に見方の守りがいたりするので、皆手に汗握って勝敗がつくまでに大いに盛り上がる。
「その次が一年の綱引きで、その後はうちらの出番だね!」
優衣ちゃんはプログラムをなぞりながら、そう言った。
「え、本当? そんなにすぐ出番だっけ?」
私は驚いて聞き返した。
「本当。だって、二年女子の障害物競争って書いてあるもん。で、その後は暫く出番なしで、最後がクラス対抗リレー」
夏帆ちゃんが優衣ちゃんの持っているプログラムを指さす。そこには確かに『二年女子 障害物競争』と書かれていた。
「午後も大盛り上がりだね。楽しみ!」
両手を上に伸ばした夏帆ちゃんはうーんと伸びをしてにかっと笑う。校庭に目を向けると、入場ゲートの辺りに楽器を手にしたブラスバンドのメンバーが隊列を組んで並んでいるのが見えた。
私も出場する障害物競争は、二年生の女子全員で行われる。
スタート待機の場所に座った私達は、先に走り出した同級生達に声援を送りながらその様子を眺めた。ざっと見た限り、最初から縄跳び、ネットくぐり、跳び箱、バスケットボールドリブル、ハードル、最後は駆け抜けてゴールとなるようだ。全部で五レーンあり、A組からE組までの五人が同時に走る。
(よし! がんばろう!)
お腹の近くでこっそりと拳を握ってガッツポーズを取り、気合を入れる。私は少しばかりどんくさいところがあるけれど、障害物競争ならそこまで問題にならない気がする。
前列の五人がスタートすると、体育祭実行委員にスタートラインに進むように促された。白い石灰でマーキングされたスタートラインでダッシュのポーズを取る。
──シュパーン!
先生が発砲音用ピストルを上に向けて撃つと、独特の音が鳴り響く。
それと同時に、横並びの五人が走り出す。
私も最初の障害である縄跳びに向かって走った。陸上トラックの地面に転がる縄跳びを手に取ると、普通飛びを五回。終わるとすぐにまた走り出す。
三メートルほどのネットを潜り抜け、六段の跳び箱を飛ぶ。
思ったより、ずっといい感じ。
バスケットボールを手に五回ドリブルをすると、そのボールを転がらないようにボール置き用の段ボールに置いた。
「雫ちゃーん! 頑張れー!!」
「雫ちゃーん」
既に走り終わったクラスメイト達が応援してくれている声援が聞こえた。あとはハードルを三つ超えるだけだ。
前にはひとりだけ。ここで追い越したら、一位になれるかもしれない。
すうっと息を吸うと、一つ目のハードルを飛び越える。難なく着地して二つ目。一位のC組の子との差は一メートル位だ。
二つ目を飛び越えて三つ目に入ろうとしたとき、隣のレーンを走る子がよろけるのが見えた。後ろ足がハードルに引っ掛かり、ハードルが回転する。
それを咄嗟によけようと、体を捩った。そのせいで助走が足りず、自分のレーンのハードルはなんとか飛び越えたものの、うまく着地できずに正面に派手に転んだ。ガシャンと大きな音がして、バシンと叩きつけられるような衝撃。
「雫ちゃん!」
クラスメイト達の悲鳴が聞こえる。
急に近くなった地面に、一瞬わけがわからなくなった。
顔を上げると、先に転んだC組の子はすぐに立ち上がったようで、横を駆け抜けていくのが見えた。さらに続いて、別のクラスの子も駆け抜けていった。
「あ……」
どんどん遠くなっていく、体操着の背中を呆然と見つめる。
「雫ちゃん、頑張れー」
みんなの声が聞こえた瞬間、痛いとか全部忘れて、咄嗟に立ち上がって走った。ゆうに十メートル以上離れた距離を、巻き返すことはできない。けれど、全力で走った。
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