第2話

 ◇ ◇ ◇


 桜ほど日本人の心を惹きつけて止まない花はないと思う。

 かく言う私も、桜が大好きなひとりだ。けれど、人混みが好きかと言われると、それとこれは別の話。あまりの人の多さに、中ば呆気にとられてしまう。


「すごいね……」

「去年もこんな感じだったよね? 入学式の日」

「そうだったっけ? 公園には来なかったから、気が付かなかった」

「そうだったよ。すっごい人が多くて、びっくりしたもん」


 隣を歩く夏帆ちゃんは去年の今頃を思い出したのか、ケラケラと笑う。


 三月の最後日となる今日、私は仲のよいクラスメイトの夏帆ちゃん、美紀ちゃん、優衣ちゃんの三人と、学校の近くにあるさくら坂公園にお花見に来ていた。


 ここの公園はちょっとしたお花見のスポットとして有名で、毎年多くの人が訪れる。そうは知っていたけれど、去年実際に来たわけではないので、あまりの人の多さに驚いた。


 等間隔に植えられた桜の木の下の芝生には、ぎっしりとビニールシートが敷かれている。近所の会社の人なのか、ブルーシートで席取りをしているサラリーマン風の人もいれば、子供を連れたママ友達風の人、それに、私達と同じく春休み中の高校生や大学生グループの姿も多かった。


「夏帆ちゃん、雫ちゃん、こっち! ちょっとまだ空いているよ」


 席を探していた美紀ちゃんと優衣ちゃんが空きスペースを見つけたようで、こちらに向かってぶんぶんと手を振る。


「あ、本当だ。ちょうどいい場所が空いていてよかった」


 大きな桜の木の下は、そこだけがすっぽりと空いていた。

 もしかすると、お昼にお花見をした人がビニールシートをどかしたばかりなのかもしれない。私と夏帆ちゃんは小走りでそこに寄ると、持っていたビニールシートを取り出した。


 大きなビニールシートを広げて、四人で円を作るように座ると、持ち寄った軽食を取り出す。もう二時近いので、お菓子が中心だ。

 私は自宅で今朝作ってきたフィナンシェをそこに置いた。他には、コンビニで買ってきたチキンナゲット、ポテトチップス、それに、チョコレート菓子などだ。


「ではでは、かんぱーい!」


 それらを可愛らしく並べると、ペットボトルのお茶やジュースで乾杯する。

 部活の話に、恋の話に、気になるアイドルの話、それと勉強の話を少しだけ。しばらくは他愛のない話で盛り上がっていたけれど、ふと優衣ちゃんが言った言葉に私はドキッとした。


「ねえ、雫ちゃん。倉沢くんって彼女と別れたの?」

「え? なんで?」


 突然の質問に動揺を隠すように聞き返すと、優衣ちゃんは口元に人差し指を当てて眉を寄せる。


「実はね、バレンタインデーにクラスの子が倉沢くんに玉砕覚悟で告白したらしいの。そのとき、倉沢くんが『彼女はいない』って言っていたって噂を聞いて」

「……そうなの?」

「うん。でも、結局『好きな子がいる』って断られたらしくて」

「ふうん」

「雫ちゃん、倉沢くんと仲いいよね? 話聞いてない? 相手が誰とか知らないの?」

「彼女と別れたことは聞いていたけど、今好きな人が誰かは知らないよ」


 私は左右に首を振る。


(侑くん、いつの間に告白なんてされたんだろう?)


 バレンタインデーの日は一緒に帰ったけれど、そんなことは一言も聞いていない。


 そのことに思った以上にショックを受けた。


 クラスの女子に噂で広まっていることを、毎週のように一緒に図書館に行っていた自分は全く知らないなんて。


 この感覚、知っている気がする。そう、侑希が中学二年生のとき、初めて彼女ができたことをクラスメイト経由で聞いたときもこんな気持ちになった。

 自分だけのけ者にされたみたいな、寂しさ。


「私、それって雫ちゃんのことじゃないかと思うんだけど」


 隣で聞いていた夏帆ちゃんが、体を乗り出して口を挟む。


「だって、倉沢くんって雫ちゃんと仲いいじゃん? よく一緒に帰っているよね?」

「確かにそうだよね」と美紀ちゃんが頷く。

「うんうん、それ有り得る!」優衣ちゃんまでそんなことを言い出した。


 その場にいた三人が盛り上がり始めたので、私はびっくりしてすぐにそれを否定した。


「ちょっ、ちょっと! そんなわけないって。一緒に帰るのは、方向が同じだけ。それに、だって──」

「「「だって?」」」


 三人が一斉にこちらを向く。

 私は続ける言葉が見つからず、言葉を詰まらせると視線をさ迷わせた。さくらに言われて侑希の縁結びの手伝い──侑希の仮の彼女役をしていることは、ここで言うべきではないだろう。


「侑くんの好きな人、多分だけど、塾の人だと思うんだ。本人から聞いたわけじゃないけど……」

「あ、そう言えばさくら祭のときに倉沢くんの塾の友達が来ていたよね? 女の子もいた気がする!」

「確かにいたね! 何人かいたよ。あの中の一人かな?」

「そっかー、雫ちゃんじゃないんだ」


 三人はすぐに納得したように盛り上がり始めた。

 私はその会話を聞きながら、所在なく視線を彷徨わせる。


 いつの間にか、レジャーシートの上には食べ終えたスナック菓子の袋が散らばっている。

 紅茶を飲もうとペットボトルを持ち上げると、殆ど入っていなかった。


「私、お手洗いのついでにゴミ捨てに行ってくるよ。自動販売機でお茶も買いたいし」

「あ、うん。ありがとう」


 散らばっているごみを余ったレジ袋に纏める。三人は相変わらず大盛り上がりなので、それを持った私は立ち上がり、その場を後にした。


「えっと、お手洗いは確かこっちだよね……」


 さくら坂公園には入学してから何回か来たことがある。けれど、こんなに人が多いことは初めてで戸惑った。いつもの公園が、まるで初めて来る場所のように感じる。


(どっちだろう?)


 私は周囲を見渡す。

 見える範囲の芝生は、レジャーシートの上で横になってのんびりする人やお弁当を広げて歓談する人で溢れていた。通路ぎりぎりまでブルーシートが敷かれ、歩くのも一苦労だ。

 ちょうど視界に入った若い男女のグループは大学生だろうか。まだ日が明るいうちから缶チューハイを片手に盛り上がっていた。


(お花見の季節には、やっぱり神様も宴会しているのかな?)


 美しく咲く桜を眺めながら、ふとそんなことを思う。


 さくらは以前、祭りの夜は神様達で宴会をして楽しく酒を酌み交わすので、さくらの機嫌がよくて縁がたくさん繋がると言っていた。


 春は出会いの季節だ。今頃、さくらもお花見をしながらたくさんの縁を繋いでいるのかもしれない。

 けれど、あんな小さな子供の姿なのにお酒なんて飲んで大丈夫なのだろうか。実際には小さな子供の年齢ではないのはわかっているけれど、ちょっと心配になってしまう。


(あれ?)


 人の波を潜り抜けてお手洗いを見つけたとき、見慣れた茶色い髪の後ろ姿が見えた気がして雫は足を止めた。少し長めの茶色い髪の襟足が、時々着ているのを見かけるグレーのパーカーのフード部分に掛かっている。


(あ、侑くんだ。 お友達とお花見かな?)


 後ろ姿を見ただけで、すぐにわかった。


「侑……」


 呼びかけようと片手を上げて声を出しかける。けれど、その横をにいる人の横顔が目に入って、すっと気持ちが冷めるのを感じた。


 背中の真ん中の辺りまである長いロングヘアはサラサラのストレート。

 横にいる侑希と笑顔でお喋りしていたのは、以前に高校の文化祭で見た女の子だった。


 ──祭りの日は、我は機嫌がよい。たくさんの縁が繋がるじゃろう。


 以前にさくらが言った何気ない一言が、反響するように蘇る。

 上げていた片手を所在なく下ろすと、私は侑希に話しかけることなくその場を後にした。


 ◇ ◇ ◇


 タイミングが悪いことに、その日の夜は侑希と一緒に図書館に行こうと約束していた。


 問題集とノートを広げて勉強に集中しようと思うのに、なぜか頭の中で今日の昼間に見た光景が繰り返し再生される。その度に、感情が湧きたつような感覚に襲われ、目の前の問題に集中できない。

 あのときの侑希の表情は見えなかったけれど、きっと楽しそうに笑っていたんだろうな。 そんなことを思うと、無性にイライラした。


「雫、どうかしたのか?」


 侑希の声に、はっと我に返る。

 気付けば、怪訝な顔をした侑希がこちらを見つめていた。シャープペンシルを持ったまま、ぼーっとしてしまったようだ。ノートには字になっていない黒芯の跡が残っていた。


「あ……、ちょっと疲れちゃって……」

「さては、春休みだからって遊び過ぎたんだろ?」


 侑希がからかうように笑う。いつもだったら「そんなことないもん」って軽く流せるのに、なぜか今日はムッとした。


「侑くんほどじゃないよ」


 少しとげのある言い方に、侑希はこちらを見つめたまま僅かに眉を寄せた。


「俺、全然遊びまわってないよ? 塾と部活ばっかりだし」

「どうだか」


 今日の夕方だって、可愛い女の子とデートしていたじゃん、という言葉はすんでのところで呑み込んだ。四時過ぎという時間的に、塾の帰りにそのままあそこに花見に立ち寄ったことは容易に想像がつく。


「なんだよ、その言い方」


 私の挑発的な言い方に、侑希も少し苛立ったように口調がきつくなる。


 険悪な空気に居心地が悪くなり、私はすっくと立ちあがった。


 なんでこんなにイライラしてしまうのか、自分で自分がわからない。

 私が友達とどこかに遊びに行くのを侑希に伝えないのと同様に、侑希がどこに誰と行こうが私が干渉すべきではない。

 そうはわかっているけれど、無性に腹が立った。


「私、帰る」

「え?」


 突然のことに驚く侑希の横で、私は机の上のものをまとめ始めた。乱雑に鞄の中に突っ込むと、それを肩に掛ける。


「おい。雫、待てよ」


 侑希も慌てて机の上を片付けると、小走りで私の後を追いかけてきた。


「夜遅いから、ひとりだと危ないだろ」

「危なくない。塾に行っている子はみんな普段、もっと遅い時間にひとりで帰っているじゃない」

「それはそうだけど……」


 追いついた侑希は雫の横を歩きながら、言葉を詰まらせる。


 閑静な住宅街の道路は数十メートル置きの街頭に照らされているものの薄暗く、人通りもまだらだった。

 誰もいない夜の街は、別の世界に迷い込んでしまったのではないかと不安を覚える。


 ちらりと横を無言で付いてくる侑希を窺い見た。

 普段だったら閉館のチャイムが鳴るまで図書館にいるのに、もしかして自分を心配して追いかけて来てくれたのだろうか。


 ありがとう。ただその一言を伝えればいいだけなのに、口から出たのは意地悪な言葉だった。


「侑くん、好きな子にまだ気持ち伝えてないの?」

「え? ……うん」


 侑希が戸惑ったように、言い淀む。

 どうしてだろう。その態度が、ささくれ立った気分を益々苛立たせた。


「仲良くしているって言っていたじゃん」

「それはそうなんだけど……」

「いい加減に言えばいいのに。もう半年以上も経っているのに。男らしくない」


 その瞬間、侑希の表情がわかりやすく強張った。


(しまった。)


 そう思ったときには、もう遅かった。


 一度口から飛び出してしまった言葉のやいばは、二度と元には戻せない。なんでこんな事を口走ってしまったのだろうかと、すぐに後悔の気持ちがどっと押し寄せてきた。


「ご、ごめん……」


 謝ったって、相手を傷つけた事実を変えることなんてできない。そんなことわかっていたけれど、とりあえず謝った。それしかできることがなかったから。


 侑希は信じられないものを見るように、こちらを見て目を見開いていた。


「本当に、ごめん」


 もう一度頭を下げて謝ると、侑希は首を左右に力なく振る。


「いいよ」


 それは、とても静かな口調だった。

 怒っているように言葉を荒げるわけでもなく、なんの感情も読み取れないような、落ち着いた言い方。

 目に入った侑希の表情を見て、思わず息を呑んだ。歪んだ口元が、まるで泣いているように見えたのだ。


「本当に、男らしくないよな。わかっている」


  自嘲気味な笑いを漏らして、侑希が呟く。


「侑くん……」

「ごめん。俺、ちょっとひとりになりたい。またな」


 侑希はそう言うと、さっさと玄関を開けて自宅に入ってしまった。残された私は呆然とその後ろ姿を見送り、立ち尽くした。


「……ただいま」

「おかえりー。今日は早いのね?」


 玄関を開けると、リビングからお母さんの明るい声が聞こえた。

 なんだか返事する気になれなくて、トントンと足早に階段を駆け上がる。自室の扉を後ろ手にパタンと閉じると、そこにもたれ掛かったままズルズルとへたり込んだ。


 先ほどの、表情を歪める侑希の顔が脳裏をよぎる。


 傷つけた。虫の居所が悪かった自分が不用意に口走った一言で、なんら非のない大切な幼なじみを傷付けたのだ。

 自らの浅はかさに、思わず涙が零れ落ちる。けれど、一番悲しい気持ちになったのは侑希だろう。


「なんであんなこと、言っちゃったんだろう」


 私は顔を覆い、両足を抱えるように項垂れた。

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