第八章

第1話

 

 三月も半ばになると、空気に春の色が色濃く混じり始める。

 肌を刺すように冷たかった風はいつの間にか温かなものに変わり、桜に似た、梅の花が通学途中の民家の軒先に咲いているのが見られるようになった。


 さくら坂はその名前からも想像がつく通り、道路の両側に桜並木がある。そして、さくら坂駅の近くにはさくら坂公園があり、そこには百本近いソメイヨシノがあるとして桜の名所として有名だ。

 そのため、三月の最終週から四月の第一週まで『さくら坂祭り』というお祭りが開催される。さくら坂高校の学園祭と名前が紛らわしいけれど、全く違うお祭りだ。

 駅前商店街は今、そのさくら坂祭りの広告で溢れていた。


「なあ。本当にそんなのでいいのか?」

「いいよ。なんで?」

「聡と海斗は隣のショッピングモールで、なんとかかんとかっていうところの菓子を買いに行くって言っていたから」


『なんとかかんとか』では、何のことだかさっぱりわからないと、私は苦笑した。


 先日、侑希にホワイトデーのお返しになにが欲しいかと聞かれた私は、さくら坂商店街で歴史があるとしてちょっと有名な日本茶専門店のスイーツを希望した。

 年度末試験が終了した今日、ちょうど金曜日だったこともあり、侑希とくだんのお店に寄る約束をしたのだ。


 目的のお店には、『日本茶 風来堂』と書かれた木彫りの大きな看板がかかっていた。

 創業当時から使用しているのか、とても年季が入っているように見える。

 暖簾をくぐると日本茶独特のよい匂いが漂ってくる。ショーウインドウには様々な産地の煎茶、ほうじ茶、麦茶などに加えて、お茶を使用したスイーツが並んでいた。


「わぁ、美味しそう。どれにしようかな」


 ショーウインドウを覗き込んで目を輝かせていると、「いらっしゃいませー」と声がして店の奥から店主のおばさんが出てきた。


「あら。また来てくれたのね。いつもありがとうね」


 おばさんは、私達を見て表情を綻ばせる。


(いつも?)


 不思議に思って振り返ると、斜め後ろに立っていた侑希がぺこりと頭を下げた。


「侑くん、時々ここに来るの?」

「──まあ、ぼちぼち」

「ふうん? 教えてくれればいいのに。どれがおすすめ?」

「いつも、この抹茶白玉を二つ買ってくれるのよね。うちの一番人気よ」 


 侑希が口を開く前に、おばさんがにこにこしながら答える。


 抹茶白玉は、小さなプラスチック製のプリンカップのような器に抹茶ゼリー白玉、あんこが盛られていた。


「じゃあ、私もこれにしようかな」

「店の前で食べていく?」

「はい」

「じゃあ、お茶はサービスするわね」


 おばさんはにこにこしながらショーケースから二つ抹茶白玉を取り出すと、それをお盆に乗せた。そして、湯呑みにあつあつのお茶を二杯淹れてくれた。


 初めて食べる風来堂の抹茶白玉は、あんこの甘さと抹茶の苦みが絶妙に混じり合い、絶品だった。そこに、白玉のもちもちした触感がいいアクセントとして効いている。


「美味しい」

「うん」


 お店の前に置かれた、赤い布がかかったベンチに二人で腰かけて頂く。時々吹く弱い風が、頬を優しく撫でた。


「侑くん、時々ここに来るの?」

「うん」

「二つって、誰と食べているの?」


 侑希の家は、四人家族だ。両親と、侑希と、小学五年生の妹。

 だから、さっき『二つ買う』と聞いて不思議に思ったのだ。侑希は答える代わりに、困ったようにこちらを見つめ返す。


「わかった。女の子と食べているんでしょ?」


 ちょっとした悪戯心でそう言った瞬間、侑希がふいっと視線を逸らす。 

 冗談で言ったつもりだったのに、思わぬ侑希の反応に驚いた。


(あ、本当に女の子と食べているんだ。)


 すぐにそう思った。

 私に『女の勘』なんて大それたものはないけれど、明らかにこれ以上は突っ込んでほしくなさそうな態度の侑希に、急激に胸のうちにもやもやが広がるのを感じる。


 その相手は、いつも嬉しそうに話す例の『好きな子』なのかな、なんて思ったり。

 もちろん、自分がそのことをとやかく言う立場でないことはわかっている。

 でも、なぜだろう、気持ちが落ち込む。


「雫? あんまり好きじゃなかった?」


 急に黙り込んだ私を見つめ、侑希が心配そうに顔を覗き込む。


「ううん、凄く美味しいよ。ありがとう」


 私は慌てて表情を取り繕うと、笑顔でそう言った。自分でもなぜこんなにもやもやするのかがわからない。


「春休みだけどさ、部活と塾があるからあんまり時間がないんだけど、もしわからなくて困ったところがあったら言って。夜なら時間が取れると思う」

「うん」


 食べ終えた抹茶白玉の器をトレーに置くと、先ほど淹れて貰ったばかりの日本茶の湯飲みを手に取った。透き通った薄緑色のお茶は、一口含むと独特の苦みと、それを打ち消すような甘い味わい。


「──私も、塾とか行ったほうがいいのかな」

「え? なんで?」

「最近、みんな通い始めているし、いつまでも侑くんに教えてもらうのも悪いし」

「そんなの、気にしなくていいって。俺が教えたくて教えているんだから。来年のコースも同じ理系だし」


 先日行われた進路調査では、侑希と私は同じ『理系コース』を選択した。来年度からは成績による習熟度別授業なども始まるが、コースが同じであればそこまで授業内容は変わらないはずだ。

 侑希は気にするなと明るく笑う。けど、本当にそんな風に甘えてしまっていいのかと迷っている自分がいた。


「もう二年生かー」


 侑希の呟きが、風に乗って消える。

 見上げた青い空には一本、クレヨンで描いたような飛行機雲が伸びていた。

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