第3話
◇ ◇ ◇
今日の部室はいつも以上にピンクが溢れている。
バレンタインデー当日のとなったこの日、クッキング部では『バレンタイン』をテーマにプレゼント用のお菓子のクッキングが行われた。作ったのは、ミルクチョコトリュフ、ハートのガトーショコラ、チョコチップクッキーの三種類だ。
作ったものを彼氏に渡すという部員も何人かいて、みんな真剣な面持ちで作業に当たっていた。
「わー。この型すごくいいね。綺麗にできる」
オーブンを開けると、甘ったるい香りが調理室全体を包み込んだ。取り出したミニケーキ型から焼きあがったミニケーキを取り出した友達の優衣が、歓声を上げる。
今日の部活のために、私は先日ショッピングモールで購入したハートのミニケーキ型を持ってきた。初めて使用したのだが、思った以上に綺麗な焼き上がりだ。一回に十二個焼けるので、すぐに洗って二回目を焼き始める。
「うーん、美味しい」
「本当だね。上手くできた!」
部員が口々に感想を言い合う。
クッキーやトリュフも完成したので、みんなで一通りの試食してみたら、作ったものはどれも美味しく出来上がっていた。
多分、お店で買ったと言っても通じるくらいの仕上がりだと思う。
その後、部員は各自でラッピングとデコレーション作業を始めた。完成したものを詰める箱や袋は皆で持ち寄り、好きなものを使用することになっている。
私はトリュフとクッキーとミニケーキをそれぞれ別々にラッピングして、最後に少し大きめの箱に一緒にいれた。飾り用の紙を細く切った緩衝材を入れると、二つ作ったそれらは両方ともそれなりに可愛らしくまとまった。
ひとつは父親に、もうひとつはいつも勉強を教えてくれる侑希に渡すつもりだ。
周りの部員が作っているものを見渡すと、思い思いにラッピングしたそれらはどれもとても可愛らしく仕上がっていた。
「終わったー。上手にできた方を塾の先生にあげよっと」
優衣は作業をしている手を止めると、にまっと笑う。
優衣の通っている個別指導塾では近隣の大学のアルバイトの学生が先生をしており、今の先生は大学一年生の新米先生らしい。テニスサークルに入っており、爽やかなイケメンなのだと教えてくれた。
「雫ちゃんは、だれか好きな人にあげるの?」
にこにこしながら聞いてくる優衣ちゃんの言葉に、なぜかドキッとした。
「ち、違うよ。お父さんと……いつもお世話になっている人。勉強を教えてもらっているの」
「ふーん。じゃあ、私と一緒だね」
優衣はそれ以上話を突っ込んでくることもなく、トリュフが乗せられたバットに手を伸ばした。
「先輩が言っていたんだけどね、毎年、男子が完成品狙って外で待ち構えているらしいよ。それはトリュフ一つにしよう」
優衣はそう言いながら、余っているトリュフを一個ずつキャンディーのように包み、端に置いた。私も真似して、同じようにキャンディー型のトリュフを用意した。
「チョコレート何個貰ったかで勝負しているらしいよ。バカだよねー」
五個ほどトリュフを包んだ優衣は、呆れたように笑った。
部活が終わった後、クッキング部を出ると普段は誰もいない廊下に、男子生徒が何人も待ち構えていた。
勝負のためとはいえ、本当に待ち構えていることに、ちょっとびっくりしてしまう。
「チョコちょうだい」
「はいはい」
同じクラスの男子からそう言われた優衣ちゃんは、トリュフの包みをひとつ手渡す。手を差し出されたので、私も同じように一粒差し出した。
教室に戻ると、明かりがついていた。誰だろうとそっと覗くと、いつかと同じ光景。クラスメイトの久保田くんがひとりで机に向かっていた。
「久保田くん、どうしたの?」
声を掛けるとハッとしたように振り返った久保田くんは、私に気付き苦笑する。
「今日は日直だったから、生物のプリントを作るのを手伝えって山下先生に頼まれてさ。ちょっと部室にも用事があったら先にそっちに行ってから作業していたら、遅くなった」
「もうひとりは?」
「山田さんだったんだけど、今日はピアノなんだって」
「そっか」
寄ってみると、久保田くんは印刷されたプリントを五枚ひとまとめにして、ホッチキスで留める作業をしていた。私は持っていた鞄を机に置くと、久保田くんの前の席を前後ろ逆にして置き直し、そこに座った。
「手伝うよ。私が五枚ひとまとめにするから、久保田くんがホッチキス止めしてくれる?」
「ありがとう」
無言で作業していると、紙を重ねてゆくカサリという音とホッチキスを止めるカシャッという音が辺りに響く。
「よし。全部できた!」
二人でやると、作業はあっという間に終わる。最後のひとセットをトントンと机の上で揃え、久保田くんに手渡した。
「ありがとう、原田さん」
「どういたしまして。これ、先生に届けるの?」
「うん。──原田さんは、今日も部活?」
「そうだよ。バレンタインデーだから、チョコのお菓子作ったの」
そこまで言って、雫はまだキャンディータイプのトリュフが残っていることを思い出し、鞄を開けた。思った通り、あと二粒残っている。
「これ、よかったらどうぞ。トリュフだよ」
「え? いいの?」
久保田くんが、戸惑ったようにこちらを見つめる。
「いいよ。久保田くんはモテそうだから、チョコはもうたくさんって感じかもしれないけど」
「そんなことないよ。ありがとう」
久保田くんは嬉しそうに笑うと、それを受け取った。
「部活が終わるのに合わせて、廊下の前に男子が何人も待っているの。これは、そういう人達にあげるよう。おかしいでしょ?」
話しながら、先ほどの光景が脳裏に甦って笑いがこみ上げてくる。あの人達、一体いつから待っていたのだろう?
「私、帰ろっかな」
教室を見渡したけれど、侑希はいなかった。
いつも待っていてくれるのに、今日に限って先に帰ってしまったのだろうか。
「じゃあ、俺もこれ届けに行こうかな」
プリントの束を持った久保田くんが立ち上がる。私も鞄を持って、立ち上がった。
夕方の人気のない校舎を並んで歩いていると、聞き覚えのある足音が聞こえた。上履きの踵を履き潰した、パタん、ペタん、という独特の音。階段で下を向くと、思った通り、侑希だった。
「侑くん!」
階段を登ってきた侑希は、私達の姿を見ると私と久保田くんの顔を見比べて表情を怪訝なものへと変えた。
「二人で何しているの?」
「私は帰るところだよ。侑くんがいないから置いて帰られたのかと思っちゃった。久保田くんは、先生に頼まれたプリント出しにいくところ」
「置いて帰らないよ。俺、教室に荷物置きに行ったら帰るから、エントランスで待っていて」
「わかった」
手を上げて別れると、再び久保田くんと歩き始める。
「原田さんってさ」
「うん?」
「倉沢と付き合っているの?」
「へ!?」
思いがけない質問に驚いて、思わず大きな声をあげてしまった。私は慌てて両手をブンブンと振って否定した。
「ち、違うよ!」
違うよね? 違うと思う。
仮の彼女役と言われたけど、あれはあくまでも好きなこと付き合ったときに上手くいくようという練習相手役だ。
だから、付き合ってはいない。
「違うの? 一緒に帰るのに?」
「うん。全然違う。家がとなりだから、方向が同じなだけ」
付き合うどころか、恋の悩みの相談相手だ。何も役に立っていないけれど。
「そっか」
久保田くんはなぜかホッとしたような、安堵の表情を浮かべる。
「久保田くんは、自転車通学だっけ?」
「うん、そうだよ。──じゃあ、俺あっちに寄るから、気を付けてね」
職員室の前で、久保田くんが片手をあげる。
私も手を振り、その場を後にした。エントランスで待っていると、程なくして現れた侑希は片手に紙袋をぶら下さげていた。
「お待たせ」
「うん、平気。それ、チョコ?」
「かな? なんか、貰った。義理チョコは受け取った。一、二、……、五こかな」
「相変わらず、たくさんだねぇ」
私はその紙袋を覗いて苦笑する。
鞄に入れた、今日作ったばかりのチョコを軽く触れる。こんなにたくさん貰ったなら、これ以上増えたら迷惑かな。
「雫は?」
「え?」
「雫はくれないの? 俺、結構雫サンの面倒見てあげているんだけどなー」
侑希は大袈裟なため息をつくと器用に片眉をあげ、両手を上に向けるポーズをとる。
さすが四分の一とはいえ外国人の血が混じっているだけある。オーバーリアクションが
「ええ?」
(なんですか、その〝子供の世話をしています〟的な態度は!)
頬を膨らませた私がぽすんと鞄を叩くと、侑希はおどけたように笑った。
「あげようかと思っていたけど、侑希サンがひどいこと言うからやめよっかなー」
「え? くれようと思っていたの?」
侑希はその返事を予想していなかったようで、驚いたように目を見開く。
「うん。クッキング部で作ったから。けど、どうしようかなぁ?」
「ください。お願いします。雫サマ」
「雫サマって何よ?」
両手を合わせてちょうだいのポーズをする侑希の様子が面白くて、思わず噴き出してしまった。
「はい。どうぞ」
「ありがとう」
鞄から先ほどラッピングしたばかりのチョコを取り出すと、侑希に差し出す。
侑希はそれを受け取ると、それは嬉しそうに相好を崩した。
ここ数年、侑希にチョコレートをあげたことはなかった。
こんなに嬉しそうにしているのを見たのは初めてな気がする。
「侑くんも、義理チョコの数の競争をしているの?」
「え? なんで?」
「なんか、すごく嬉しそうだから。言ってくれれば、クッキング部のみんながばら撒き用にトリュフ用意していたのに」
笑いながら教えてあげると、侑希は気恥ずかしかったのか、ふいっと目を逸らしてしまった。
「帰るか」
「そうだね」
並んで歩くさくら坂で、さくら坂神社へと向かう曲道に通りかかる。そう言えば、本命の子からはチョコレートを貰えたのだろうか。でも、他校の子なら後日かな?
「ねえ、侑くん」
「なに?」
横を歩く侑希が、こちらを見下ろして首を傾げる。その顔を見たら、なんとなく聞こうと思った気持ちがシュルシュルと縮んでゆく。
「……。なんでもない」
「なんだよ、変な奴」
侑希がクスッと笑う。
「悪かったですね」
「いいよ、別に。雫だし」
またからかっているのかと思って言い返そうと横を見上げると、予想外に優しく見下ろしている薄茶色の瞳と目が合った。
トクンと、間違いなく胸が跳ねる。
「……うん」
「なんか、今日は本当に変。どうしたー。もしかして、作りながらチョコの食い過ぎで腹痛か?」
「違うって!」
怒ったように侑希の鞄を叩こうとすると、すんでのところでひょいっと避けられる。
(くー、このやろう!)
目が合うと、お互いぷっと噴き出す。
そして、どちらからともなくけらけらと笑い合った。
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