第2話

    ◇ ◇ ◇


 今朝二回目の目覚まし時計を止めた俺は、深いため息をついた。

 時刻は六時五十分。そろそろ起きて行く準備をしないと本当に遅刻してしまう。


 何年か前から、この日が嫌いだ。

 町に溢れるリア充爆発しろ! とか、そういう理由で嫌いなのではない。万が一、相手が本気だったときにどう反応すればいいのかがわからないから、そして、本当にほしい子からはいつも貰えないから嫌いなのだ。


 学校に着くと、さっそく始まる報告会。


「俺、二つゲットした。妹と、母親」と正直な報告をしたのは健太。

「俺も今のところ二つ。けど、俺の勝ちだな。この後、夏帆から本命を貰える。それに、今日は部活があるからマネージャー一同からひとつは貰えるはずだ」と少し得意げなのは聡。

「俺三つ。女子から二つに、朝コンビニ行ったら男性にはサービスしておりますってチロルチョコ貰ったから。それに、俺も放課後彼女と約束しているから確実にもう一つ貰える」


 そう言ってニヤッと笑ったのは、結構モテる友人、笹島海斗。


「まじか!? くっそ、どこだよそのコンビニ? いや、でもまだわかんないだろ? 俺も放課後にバスケ部のマネージャーから貰えるはずだ! なあ、侑希?」

「え? ……ああ」


 隣で朝から何個のチョコレートを貰ったかを競い合っている友人達に、俺は気の抜けた返事をした。そのぼんやりとした様子に、友人達は怪訝な顔をする。


「お前、圧倒的な勝者だからって余裕見せすぎだ!」


 健太が不貞腐れたように突っかかってくる。毎年のことなので、俺は「そんなことないって」と軽くあしらった。

 机の横に引っ掛けた紙袋には、すでに三つのチョコレートが入っている。義理チョコだと言って渡してくる子のものはありがたく受け取っているけれど、問題は本気で告白してくる子だ。 

 今年はいなければいいけれど、と切に願う。

 これまでは、そういう子には『彼女がいるから』と断っていた。


(あんなこと、言わなきゃよかった。)


 自分がついた嘘に、心底落ち込む。

 雫は、ずっと俺にラブラブな彼女がいたと思っている。そして、今もどこかの誰か──雫じゃない女の子を好きなのだと思っている。


 本当に、最悪だ。あんな嘘さえつかなければ、とっくのとう──高校入学のタイミング位にこの気持ちを伝えられていたかもしれないのに。

 もう三回目。今度こそ上手く立ち回れると信じている。


 実は今朝、玄関の前で雫に会った。「おはよう」と会話を交わしてからそわそわしながら待っていたけれど、結果は何もなし。

 仮の彼女役だし、今年こそ義理でもいいから何か貰えるかな、という淡い期待は泡と消えた。 


 最近、雫とはだいぶいい関係だと思う。

 部活が一緒の日は一緒に帰るし、数日おきに二人で図書館に行くし、クリスマスプレゼントもきちんと渡せて使ってくれているのも確認した。

 お返しには、保温機能付きの水筒を貰った。

 このプレゼントのチョイスには少し驚いたけれど、なんとも雫らしいと思ってしまった。今日も鞄には、家で親に淹れてもらった温かいお茶が入っている。


 けれど、その先の一歩が進めない。


 その一言を伝えて、この関係が壊れるのではないかと思ってしまう。そのくせ、今に雫が別の誰かに掻っ攫われてしまうのではないかと不安になる。

 我ながら情けない、完全にチキン野郎だ。


 年末年始に訪れた祖母の生地、イギリスではバレンタインデーは大切な人に向けて、男性が匿名でメッセージを贈る習慣がある。もしも匿名で雫にメッセージを伝えたら、どんな反応を示すだろう。


(きっと、その相手が俺だなんて夢にも思わないのだろうな。)


 昼休み、食事をとろうかと立ち上がると、クラスメイトの女子のひとりからこそっと声をかけられた。


「ねえ、倉沢くん。お昼終わったら、ちょっとだけ時間作れる? 理科室に来てほしいんだけど」

「……わかった」


 答えながら、気分が重くなる。

 満面に笑みを浮かべたクラスメイトが、クルリと振り返り後方へと走ってゆく。そちらを向くと、何人かの女子が固唾を呑んでこちらを見守っていた。


「あれ? 侑希、今日食べる量少なくね?」


 お昼ご飯の食堂のカレーを普通盛りにしたせいで、一緒に食事した健太達には訝しがられたが、のらりくらりとかわして、「ちょっと用事がある」と言ってその場を後にする。


 理科室の前では、さっき声を掛けてくれたクラスメイトが待っていた。

 俺に気付くと、手を大きく振って手招きする。トンっと背中を押されて中に入ると、何回か目にしたことがある光景。クラスメイトの、比較的仲のよい女子が立っていた。 


「あの……。倉沢くんに彼女がいるっている噂は聞いたことがあるんだけど……、好きです!」


 両手で差し出されたのは、クリーム色にピンクの水玉模様、黄色いリボンがかけられた小さな箱。今日のために用意したチョコレートだろう。そして、その箱は小刻みに震えていた。


「ごめん……」


 謝罪の言葉に、目の前の女の子の肩が小さく揺れる。胃がズンと重くなるような感覚がした。

 自分を叱咤するように、ぎゅっと腹に力を入れた。もう、嘘をつくのはやめよう。


「彼女はいないんだけど……好きな子がいるんだ。その子が好きだから、気持ちには応えられない」


 驚いたように見開いた瞳が、こちらを見つめている。


 最初から、こう言えばよかったんだ。

 変な嘘なんかつくから、こんなに拗れたりして。


 たった一言が伝えられずにいつまでもうじうじしている自分に比べて、玉砕を覚悟で挑める目の前の子はどんなに勇敢だろうかと思う。


「俺なんかに、好きって言ってくれてありがとう。本当に……ごめんね」

「そっか……」


 ショックを受けた様子のその子は、静かに目を伏せると教室を立ち去る。

 ひとり残された俺は額に手を当てると机に寄りかかり、はあっとため息をつく。


 これほどまでに自分が間抜けで情けない野郎だと思ったことは、これまで一度もなかった。


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