第3話
◇ ◇ ◇
町中にクリスマスイルミネーションが溢れる十二月も半ばのこの日、一年B組は独特の緊張感に包まれていた。
名前の順に、山下先生がクラスメイトの名前を呼ぶ。私の名字である『原田』は五十音順でちょうど真ん中位。最初に青木さんが呼ばれ、次が有川くん。だんだんと自分の番が近づいてくるこの瞬間は、いつもドキドキする。
「原田」
「はい」
返事をして教壇に向かうと、半分に折り曲げた答案用紙を山下先生が差し出す。恐る恐る受け取るタイミングで、山下先生は黒縁の眼鏡を押し上げた。
「原田、今回頑張ったな」
「え? はい」
とりあえず受け取って、自席に戻るとこっそりと答案用紙を開き、点数を確認した。百点満点中、七十八点。全員に答案用紙を返却し終えた山下先生は、チョークを持つと黒板に向かう。
「今回の平均点は七十三点だ。六十点以下のやつは、再テスト」
カツカツと音を鳴らし、黒板に『73』、『60』の文字を書く。教室の一部のクラスメイトからは「えー!」と悲鳴が上がった。前の席に座る夏帆ちゃんが振り返り「雫ちゃん、どうだった?」と聞いてきた。
「大丈夫だったよ」
「私も。でも平均はいかなかったから、危なかった。数学Ⅰが一番問題だったから、これで安心して冬休みに入れるね」
夏帆ちゃんは苦笑したような、でも安堵したような表情を浮かべる。期末テストが返却された今、残りの登校日もあと僅かだ。
その日の放課後、私はひとりで田中精肉店にメンチカツを買いに行った。
さくらにお告げを受けてから早五ヶ月。侑希にこれといった恋のアドバイスはできていないが、私の成績は明らかに上がった。
間違いなく侑希に勉強を教えてもらっているおかげだ。一番苦手な数学も平均点より上だったし、これはお礼でも言わなければならないと思い立ったのだ。
「こんにちはー」
「こんにちは。あ、お嬢ちゃんまた来てくれたんだね」
「はい」
精肉店のおじさんは、こちらを見つめて柔らかく目を細めた。この五ヶ月、私は定期的にさくらに会いに行っており、その度にメンチカツをお土産に持って行っているのだ。そのため、精肉店のおじさんに顔を覚えられたのだろう。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます。──あれ? 二個入っていますよ」
「いつも買ってくれるからサービスだよ」
おじさんは人の好い笑みを浮かべ、レジ袋ごとメンチカツを差し出す。私は「ありがとうございます」と言って、ありがたくそれを受け取った。
「メンチとかコロッケとか売り出してからさ、お嬢ちゃんみたいな、さく高の生徒がたくさん来てくれて嬉しいよ」
他にお客さんがいないこともあり、おじさんはいつもより饒舌だった。ちなみに『さく高』とは、『さくら坂高校』のことだ。
「前は売っていなかったんですか?」
「十年くらい前からかな? おじさんの親父が突然言いだして、始めたんだ。それまでは生肉だけで、こういう半加工肉もなかったんだよ」
おじさんが指さしたのは、牛カルビのタレ付けだった。味がしみ込んでいて、そのまま焼けば美味しく頂ける。
「そのときは『また親父の気まぐれが始まった』って家族も呆れていたんだけど、おかげでお嬢ちゃんみたいな子達もたくさん来てくれるようになったもんなぁ。揚げる前のトンカツとかの半加工品も、会社帰りの働くお母さんに評判がよくて、よく売れるんだよ」
「へえ」
「なんでも、お客様が増えますようにってそこの坂の途中にある神様にお祈りしたら、夢に綺麗な女の子が立って、今まで生肉を買ってくれなかった人達にも肉を売る新しい方法を考えろってアドバイスされたらしいんだよ。おかしなことを言うだろう?」
当時のことを思い出したのか、おじさんは懐かしそうに目を細め、ケラケラと笑う。
一方、私は我が耳を疑った。綺麗な女の子?
それは、もしかして、いや、もしかしなくても、さくらのことではなかろうか。なんと、こんなところでも縁をつないでいたとは驚きだ。
「ねえ、さくらって田中精肉店とお客様の縁を繋いだの?」
「さあ、どうだったかの」
その日もぺろりとメンチカツを食べた(しかも、やっぱり今日も二つとも食べたのだ!)さくらは、虹色の瞳を瞬くとすまし顔だった。
身に覚えがなければどういうことか聞き返してきそうなものなのに、それをしてこないところを見ると、さくらが縁を繋いだことは間違いない気がする。
けれど、さくらはそこのことについて話す気もなさそうなので、私も聞くのをやめた。
「私、学校の成績上がったの。一学期より二学期の方がだいぶよかった」
「それはよいことじゃ」
「うん、ありがとう」
「大学との縁はわれが結ばなくてよいのか?」
「うん。自分で結ぶからいい」
きっぱりと言い切ると、さくらはその瞳を細める。
先日、さくらに大学との縁結びをお願いしたら、少し考えろと言われて不思議な体験をした。
特に何をしたわけでもなく女の人と話しただけだけど、さくらはそれでいいと言った。
その後、さくらにまだ縁を結んでほしいのかと聞かれ、悩んだ末に「やっぱり、いい」と伝えた。
ズルしてそんなことをしても、ちっとも嬉しくない。あの女の人の満ちた表情は、自分が頑張ってその成果として何かを成し遂げようとしているからなんだろうなと思う。
クッキング部で料理の腕が上がるのだって、好きなゲームをクリアするのだって、こうして成績が上がるのだって、きっとそう。
今日の結果を侑希に報告したら、侑希は「すげーじゃん」って言って満面の笑みを浮かべた。
実はそれだけで、結構嬉しかった。だから、自分で頑張ってみようと思う。
そう言えば──。
「──侑くんは、好きな子とどんな感じかなぁ?」
「本人に聞けばよかろう」
「それはそうなんだけどさ」
なんだか、本人には聞きにくいんだよ、と私は言葉を詰まらせた。
仮の彼女役だって、名ばかりで何をしているわけでもない。
一緒に帰って、一緒に勉強して、ついでにどこかでお茶をしながらお喋りをして。
本当にこんなことで役立てているのかと不安な一方、まだ侑希から「上手くいったからもういい」と言われていないことにどこかでほっとしている自分がいた。
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