第4話

    ◇ ◇ ◇


「ポテトフライ二つと枝豆一つ、シチューとテーブルロール入りまーす」

「はーい。ポテト二つに枝豆、シチュー、テーブルロールが一つ、了解です」


 午前中の開店直後は人もまばらだった一年B組のメイド・執事喫茶だったが、昼時になると一気に人が増えてきた。

 しかも、次々と入る注文のほとんどがクッキーやプリンなどのデザートではなく食事ものなので、目が回る忙しさ。二つある電子レンジは常にフル稼働。自然解凍OKの枝豆の解凍も間に合わないほどだ。


「昨日より混んでいるかも」

「うん、そんな気がするね。枝豆、もう何袋か解凍し始めちゃっていいかも」

「そうだね。了解」


 一緒に料理係をしている美紀ちゃんが、冷凍庫から冷凍枝豆を取り出す。袋を見て「あ、時間がないときは流水解凍もOKって書いてあるよ」とちょっとホッとしたような表情を見せる。

 私はその間に先にオーダーが入っていたサンドイッチを紙皿に並べた。


 続いて今さっきオーダーが入ったポテトフライをレンジに入れようとしていると、がやがやと大人数が入ってくるような気配がした。作業をしながらチラリとフロア席を覗くと、同じ歳位の男女のグループが入ってくるのが見えた。


「おー、本当に執事だ! すげー」

「写真撮ろうよ。写真」

「やっぱり倉沢くん、格好いいね」


 俄かに辺りが賑やかになる。


 男女のグループは、執事姿の侑希を見つけると盛り上がり始めた。侑希は苦笑しながらもそのグループに近づくと、笑顔で対応を始める。


「あの人達って、雫ちゃんと同じ中学の人達?」


 急ににぎやかになったので、同じくフロアの様子を窺っていた美紀ちゃんが目線はそちらに向けたままそう尋ねてきた。

 私は首を横に振る。


「違うと思う」


 仲のよかった中学の頃の同級生達は、昨日来てくれた。今日も来てくれるかもしれないが、今侑希がお喋りをしている集団は全員知らない人達だった。小学校の友達でもない。


「倉沢くんの知り合いっぽいね」

「うん、そうだね」


 男女グループは執事姿の侑希と一緒に、スマホで写真を撮っていた。皆笑顔なので、きっと仲のよい友達なのだろう。私が知らないということは、学校繋がりではない。となると、塾だろうか。


「雫。オムライス六個お願い」


 戻ってきた侑希がオーダーメモをマグネットで調理場の壁に留める。 


「はい。オムライス六個、了解です」


 そこで言葉を止め、私は侑希を見つめた。


「あの人達、塾の人?」

「うん、そう。学園祭があるって言ったら、来るって言ってさ。賑やかなやつらだろ?」


 侑希は楽しそうに笑う。


 私は、テーブルに向かって座りながら学園祭のパンフレットを見て盛り上がっているグループを見た。

 男の子が三人と女の子が三人、頭を寄せ合っている。きっと、この後どこに行くのかを相談しているのだろう。


 侑希は用意されたサンドイッチを受け取ると、それを注文したテーブルに運んでゆく。

 それが終わると先ほどの友人グループのひとりに呼ばれたようで、またそちらに向かう。ひとりの女子の前で立ち止まると、かがんで横にしゃがみ込む。それを、正面の別の友人が写真に撮っていた。


「雫ちゃんと美紀ちゃん、そろそろ交代時間だよ」


 エプロンと三角巾をつけたクラスメイトが、調理場に現れる。時計を見ると、いつの間にか十二時半を指していた。


「あ、本当だ。今さっき注文が一気に入ったから、それが終わったら抜けるね」


 つい、ぼうっとしてしまった。言い終わるか否かというタイミングで、稼働中だった電子レンジがチーンとなる。素早く扉を開けると、中身を取り出そうと私は手を伸ばした。


「熱っ!」


 素手で電子レンジ内の温めに使うお皿に触れてしまい、慌てて手を引く。急いでいて、ミトンをつけるのをすっかりと忘れていた。

 繰り返し使っているせいか、少し触れただけのレンジ対応耐熱皿は、びっくりするくらい熱くなっていた。


「できた? 次入れていい?」


 別の作業をしていた美紀ちゃんがこちらを振り返る。慌ててその指を片方の手で隠すと、「うん、できたよ」と答えた。


(火傷しちゃったかな……。)


 指先がじんじんと痛い。

 今度はミトンをつけて取り出したオムライスをお皿に盛りつけながら確認すると、耐熱皿に触れた右手の人差し指が赤くなっていた。


「オムライスできましたー」


 紙皿に移し替えたそれを、火傷した人差し指を庇うように中指と親指で摑むと、配膳のためにこちらに戻ってきた侑希に差し出した。

 痛いけれど、直接なにかに触れなければ我慢できる痛さ。なんとか頑張れそうだ。


「残りのオムライスもでまーす」


 残り五個のオムライスも、笑顔で出し切った。


    ◇ ◇ ◇


 エプロンと三角巾を外し、それを畳みながらふうっと息をはく。


 三連休の中日だからか、はたまた今日の午前中は侑希を含めた一年B組の三大イケメン(これはクラスメイトの女子が勝手に選定した。松本くんが入っていないことに、夏帆ちゃんは大変立腹している。ちなみに、後の二人は久保田くんと、侑希とも仲のよい笹島海斗だ)が午前中のシフトに集中していたせいか、想像以上に忙しかった。

 一緒に午前シフトに入ったクラスメイト達と「忙しかったねー」と慰労しあう。


「雫ちゃん。私、急いでお昼食べて吹奏楽部にいかなきゃだから、またね」

「あ、うん。演奏は二時半からだよね? 見に行くね」

「そうだよ。ありがとう!」


 先に片付けを終えた美紀ちゃんが、ひらひらと手を振りながら去って行く。夏帆ちゃんも先ほど、聡と一緒にどこかに行ってしまった。


(さてと、どうしようかな。)


 このあとどう過ごそうかと、私は学園祭のパンフレットを取り出した。


 目ぼしいものは昨日のうちに夏帆と回ったので、面白かったところをもう一度まわるか、昨日は行かなかった生物部や文芸部のコーナーにでも行ってみようかと思案する。


 でもその前に、お昼ご飯だ。一年B組のメイド・執事喫茶は今とても混んでいるので、身内が行くのは申し訳ない。

 ざっと見て、お昼の腹ごしらえができそうなところを探すと、水泳部の焼きそばかバスケ部のフランクフルト屋か……。


「雫」


 そのとき、不意に声をかけられてパンフレットから顔を上げる。そこには制服姿に戻った侑希がいて、こちらを見下ろしていた。


「あれ? 侑くん、どうしたの?」


 きょとんとする私の片手を、侑希はむんずと摑んだ。何かを確認するような仕草をして顔をしかめると、「行くぞ」と腕を引く。


「え? どこに?」


 私は慌てて空いている左手で自分の鞄を持つ。侑希は私の質問に答えることなく、腕を摑んだままずんずんと歩いた。


(どうしたんだろう?)


 何か悪いことをしただろうかと、不安になる。


「先生ー。けが人です」


 保健室のドアを開けて侑希が中に呼びかけると、椅子に座っていた保険の藤井先生が振り返った。


 どうでもいい情報だが、藤井先生は若くて童顔なので、密かに男子生徒に人気のある先生だ。

 今日も膝まである白衣を洋服の上からはおり、胸まである髪はくるりんとカールしていた。


「あら、どうしたの?」

「こいつ、手を火傷している」

「あらあら」


 藤井先生は立ち上がると、こちらに歩み寄って私の手を覗き込んだ。


「本当ね。赤くなっているわ」


 保健室の端にある冷蔵庫に向かうと、冷凍庫から凍った保冷剤を取り出す。棚からガーゼを引っ張り出すと、それで保冷剤を包んだ。


「冷やしておきなさい。火傷ってね、甘く見ていると痛い目に合うのよ。皮は剥けていないから大丈夫だとは思うけれど、最低三十分は握っていて」

「……はい」


 差し出されたガーゼに包まれた保冷剤を受け取り、右手に握る。じんじんしていた指先の痛みが、少し引いたような気がする。

 藤井先生は、「もし水膨れになってペロンって皮が剥けちゃったら、休日でも病院に行くのよ」とアドバイスしてくれた。

 見たところ、水膨れにはなっていないので少しホッとした。


「ありがとうございます」


 保健室を出るとき、侑希も藤井先生に「ありがとうございます」とお辞儀をした。

 ドアを閉めた私は、おずおずと侑希を見上げる。


「侑くん、いつから気付いていたの?」

「ん? オムライス出されたとき。明らかに持ち方がおかしかったもんな。その後も、ずっとおかしいし」

「そっか……」


 まさか、気付かれているなんて思わなかった。

 俯くと、侑希の履きつぶした上履きが目に入る。『1-B 倉沢』と少し癖のある字で書かれた文字は、薄くなって消えかけていた。


「今日来ていた人達ってさ」

「うん?」

「仲いいの?」

「うん。塾で同じクラスなんだ」


 侑希はそう言いながら、表情を綻ばせる。


 幼稚園からずっと一緒の侑希だけれど、私の知らないこともたくさんあるようだ。そんなことは当たり前なのに、なぜか寂しさを感じる。


「ふーん。お友達、案内してあげなくてよかったの?」

「え? いいだろ。あいつら、好きなように回ると思うよ」


 ──あの中に、侑希が好きな人がいるんじゃないの?


 その言葉は喉元まで出かかったのに、すんでのところで止まってしまう。


「それより、昼食べようぜ。人に出してばっかで、いい加減腹減った」


 鞄から学園祭のパンフレットを取り出すと、侑希はパラパラとそれを捲り始めた。


「誰かと回る約束とかしてないの?」

「してないよ。健太あたりと適当に回ろうと思っていたから」


 相変わらずパンフレットを眺めていた侑希は、とあるページで捲る手を止めると、「ケバブ屋はどう? もう昨日行った?」と店舗紹介を指さす。そこには、『ハンドボール部 ケバブ屋』と書かれていた。


「ううん、行ってないよ」

「じゃあ、ここにしようぜ。俺、ケバブ食べたことない。雫は?」

「私も、ない」

「よし、決まり」 


 侑希はにかっと笑うと、パンフレットを丸めて鞄に突っ込む。


 初めて食べるケバブは丸いナンのような袋状のパンを半分に切ったものに、たくさんのキャベツと薄切りトマト、それに牛肉が挟まっていた。


「ケバブって照り焼きバーガーの味なんだな」


 一口齧った侑希がしげしげと手元を眺める。確かに、初めて食べるケバブは甘辛い照り焼きソースのような味がした。

 先ほどまで整髪料で後ろに撫でつけられていた侑希の髪の毛はいつも通り、無造作に下ろされている。けれど、髪を洗ったわけではないので一部は後ろ方向に癖が残っていた。


「侑くん、執事姿似合っていたよ」

「え?」


 侑希はパッとこっちを向くと、驚いたような顔でこちらを見つめる。

 突然褒められて照れたのか、少しだけ顔が赤らむ。「ありがと」と短く答えると、黙々とケバブを食べ始めた。


(私も、侑くんと写真を撮ればよかったな。)


 そんなことを思ったけれど、もう制服姿に戻ってしまったので仕方がない。

 持っていたケバブをガブリと齧る。

 やっぱりこの味は──。


「テリヤキバーガーだ」

「だな」


 小さな呟きに応えるように、侑希が相槌を打つ。これが本場のケバブと同じ味なのかはわからないけれど、とても美味しかったので今度作ってみようと思った。


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