第3話

    ◇ ◇ ◇


 電子レンジに入れてタイマーを回し、待つこと三分。チーンという音とがして扉を開けると、食欲をそそる香りが鼻孔をくすぐる。


「最近の冷凍食品は凄いよねー」


 ミトンを付けた手で中のものを取り出すと、お母さんの口癖を真似ながら被せていたラップを外す。

 お皿の上では、ほっかほっかのオムライスが完成していた。


 冷蔵庫から取り出したケチャップをかけてスプーンで掬うとぱくりと口に含む。


「うーん。美味しい!」


 卵の優しい味わいとケチャップの酸味が混ざり合い、絶妙のコンビネーション。昔の冷凍食品のクオリティについては知らないが、今現在の冷凍食品が凄いという点については同意する。


 週末の日曜日となるこの日、お父さんはゴルフ、お母さんはお友達とお出かけに行ってしまったので、ひとりっ子の私はひとりで留守番をしていた。

 お母さんは私ひとりを留守番させることを気にしていたが、もう高校生なのだからと笑って送り出した。きっと、今頃羽を伸ばして普段は食べないような美味しいランチを堪能していることだろう。


 そして当の私はと言えば、クッキング部なこともあり料理が好きだ。

 当然自分で料理するつもりだったのだけど、いざ冷蔵庫を開けたら夕食の食材以外ほとんど何も入っていなかった。雨の中を買いに行くのも面倒くさくなって、冷凍庫まで漁ると、冷凍食品のチキンオムライスが出てきたのでそれをお昼ご飯にすることにしたのだ。


「そうだ。さくら祭で出す料理、冷凍食品はどうかな……」


 ふと思いついて独りごちる。


 あの日、久保田くんに『さくら祭で出す料理を考えてみる』と約束したので、自分なりに誰が調理係になっても大丈夫な料理を考えてみた。

 結果、思いついたのは『サンドイッチ』と『フランクフルト』。あとは『カレー』『ビーフシチュー』『クリームシチュー』と見事に液体系ばかり。


 なんともアンバランスなメニューにどうしたものかと悩んでいたので、今お皿に乗っているチキンオムライスは目から鱗の救世主に見える。

 これなら火を使わずに電子レンジさえあれば誰でも作れるし、世の中にはから揚げやアメリカンドックの冷凍食品もあるはずだ。それに、そんなに高くない値段で提供できるはず。


「よし。週明けに学校でみんなに提案してみようかな……」


 空になったチキンオムライスの袋には、食品加工会社の名前が記載されていた。よくよく考えると、カレーもビーフシチューもクリームシチューも、ルーを使えば誰でも簡単に同じような味で作れる。


(こういうのって、どうやって作っているのかな?)


 インスタントラーメンの始まりが日清食品の創業者である安藤百福氏であるのは伝記で読んだことがあるけれど、他のインスタント食品のことは何も知らない。


 部屋に戻ってからちょっとした好奇心が湧いてスマホで調べていると、机の脇の窓ガラス越しに青色が動くのが視界の端に映った。目を向ければ、となりに住む侑希がちょうどどこかに出掛けるところのようだ。

 透明のビニール傘を持ち、イラストがプリントされたTシャツにジーンズ姿で、背中に黒のリュックサックを背負っている。


(塾かな? それとも、友達と遊びに行くのかな?)


 私は立ち上がって窓の前に立つと、雨の中遠ざかる後ろ姿を眺める。


(今日行くところに、侑くんの好きな人がいるのかな?)


 未だに私は、侑希の好きな人のことをよく知らない。聞いてもいつものらりくらりとはぐらされてしまうのだ。


 なんとなくモヤッとした気持ちを感じ、胸に手を当てて首を傾げる。

 気分転換にテレビでも見ることにした。


    ◇ ◇ ◇


 さくら祭が明後日に迫ったこの日、調理係のリーダーを任されていた私は当日までの準備品を確認していた。


 ケチャップ五本。業務用からあげ二十袋、オムライス五十食、クリームシチュー用のルー五箱、配膳用紙皿三百枚、紙コップ五百個、箸にスプーン、紙ナプキン……。

 漏れがないかと確認していると、ノートに影が射した。


「雫ちゃん、ごめん!」


 顔を上げると、眉尻を下げ、手を合わせてごめんなさいのポーズをした夏帆ちゃんがいた。私は突然のことに、目を瞬かせる。


「夏帆ちゃん? どうしたの?」

「あのね、実は──」


 さくら祭は十月の三連休のうち、土日の二日間を使って行われる。

 前々から、この二日間とも同級生で仲の良い夏帆ちゃんと二人で回る約束をしていた。しかし、夏帆ちゃんはさくら祭前々日の今日になって、日曜日は彼氏である松本くんと回りたいと言い出したのだ。

 なんでも、サッカー部のポップコーン屋さんのシフトを変えてもらえたとか。


 両手を合わせたままペコリと頭を下げ、しきりに「ごめん」と謝る夏帆ちゃんに、私は「いいよ、いいよ。気にしないで」と笑いかける。


「雫ちゃん、一緒に回る人いる? もしいなかったら一緒に──」

「大丈夫。適当に誘うよ。みんな駄目なら、クッキング部の友達と回ればいいし」


 私はぶんぶんと両手を胸の前で振った。


 カップルで回りたいと言っている友人に誘われて、のこのこと付いていくほど無粋ではないつもりだ。夏帆ちゃんは私がクッキング部の子と回ると言うのを聞いて、ホッと安堵の表情を浮かべた。


「もしひとりになっちゃいそうだったら、私、聡の誘いを断るから言ってね。雫ちゃんが先約だもん」

「平気だよ」


 夏帆ちゃんを安心させるように、にかっと笑う。


(さて、誰を誘おうかな……。)


 とりあえず、クッキング部の友達に後で声をかけようかな。後はクラスメイトの美紀ちゃんか、優衣ちゃんか。そんなふうに簡単に考えていた自分の考えの甘さに、数時間後には打ちのめされた。


「ごめんね。その時間、中央ホールで演奏会があって……」

「ううん。大丈夫!」


 申し訳なさそうに眉尻を下げる友人に、私は慌てて手を振る。


 三人目に声を掛けた美紀ちゃんも、予定があった。

 吹奏楽部のミニコンサートが校舎の中央にある吹き抜けのホールであるそうだ。演奏自体は二十分で終わるが、その前後にリハーサルや反省会で時間を取られてしまうらしい。

 今のところ、声をかける人全員に断られている。


(うーん。一人で回るかなぁ。)


 日曜日の午前中はクラスの出し物で予定があるけれど、午後はクッキング部の出店の片づけをする四時まで、ほぼ丸々空いている。

 よくよく考えれば、当日の二日前になっても用事もないのに一緒に回る人がいない生徒など、ほとんどいないだろう。


(なんなら、料理係のリーダーとして調理補佐に入っちゃおうかな?)


「雫ちゃん。買い出しそろそろだけど、行ける?」


 うーむと悩んでいると、一年B組のさくら祭クラス委員を務めている飯田由紀がこちらへとやってきた。

 本番が明後日なので、これから必要なものの買い出しに行くのだ。前日にしないのは、万が一買いに行ったお店で売り切れていた場合に他のお店に買いに行く時間的余裕を確保するため。


「行けるよ」

「よかった。二時にエントランス付近に集合して出発するから、一緒に行こう」

「うん、すぐ行く」


 机に広げていたノートを閉じると、それを鞄にしまう。

 腕時計を見るとあと五分位しかない。慌てて廊下に出てエントランスへと向かうと、そこには既に何人かの同級生たちが集まっていた。


「原田さん、こっちだよ」


 久保田くんがこちらに気付き、手を上げた。

 私は小走りで同級生の元へと向かう。集合していたのはさくら祭クラス委員の久保田くんと由紀、それに、メイド係のリーダー役の木村芽衣きむらめいと男子生徒五人。その中には侑希や阿部健太もいた。


「あれ? 一緒に行くの?」

「うん。木村さんに人手が必要だから手伝えって言われた」


 苦笑する侑希の横から、芽衣が口をはさむ。


「荷物持ちだよ。飲み物は配達だけど、冷凍食品って結構重いじゃん? 紙コップやストローもかさばるし」


 芽衣は人差し指を立てて、にっと笑った。


 九人で向かったのは、さくら坂駅の隣駅にある大型ショッピングセンターだった。


 この三階建てのショッピングモールは数百メートルにわたって大小様々な専門店が並び、欲しいものがなんでも揃うのだ。

 普段は来ることのない平日の昼間のショッピングモールは、母親と小さな子供の親子連れが目立った。おもちゃ売り場はたくさんの子供で賑わっている。

 両側にお店が並び、明るい音楽が流れる通路を通り抜け、私達は一番奥の大型スーパーへと向かった。


「えっと、紙コップがもうちょいいるかも」

「了解。紙皿は?」

「もう平気だと思う。ラップが二本じゃ足りないかな? あ、あとゴミ袋も忘れないようにね」


 事前に用意した準備リストを見ながら、次々と商品をカートに入れてゆく。

 手分けして必要なものを探したので、買い物自体は一時間もかからずに終了した。先生からお金を預かった由紀ちゃんが会計を済ませる。


「芽衣ちゃんの言うとおりだったね。人手が必要だ」


 帰り道、両手にレジ袋を持ってぞろぞろと歩く同級生達の後姿を眺めながら、私は苦笑した。かく言う私の両手にもパンパンのレジ袋がぶら下がっている。


「本当だね。俺じゃこんな気が利かなかったから、木村さんに感謝だ」


 隣を歩く久保田くんが相槌をうつ。久保田くんの両手にもレジ袋がぶら下がっている。


「戻ったら、ちゃんと看板できているかなー」

「ペンキを乾かすのに時間がかかるからね。できているといいけど」

「メニューはほぼ完成していたよ」

「本当? 楽しみだな」


 会話しながら、両手に持っていた袋を片手に持ち変えた。


 最初に持ったときはそれほど重いとも思わなかったのに、ずっと持っているとじりじりと重さが効いてくる。持ち手の紐が手のひらに食い込んで、痛い。


 電車に乗ると、まだ四時前という時間帯のせいか、中は空いていた。私はホッと息を吐いて席に座る。少しの間だけれど、荷物を膝に乗せていられるのは助かる。


「なあ、雫。俺の袋、嵩張りすぎだから、中身を少し交換してくんない?」

「え? いいけど……」


 となりに座った侑希が、自分の荷物を指差す。

 確かに、侑希の荷物は私の袋以上にパンパンに膨らんでいた。頷くと、侑希は早速中身を入れ替え始めた。侑希の袋からは嵩張るストローや紙コップが取り出され、私の持っていた袋のケチャップやソース、食卓塩などが代わりに入れられる。ものの数分で中身をある程度入れ替えると、侑希は満足げに「よし」と言った。


『次は、さくら坂、さくら坂です』


 電子音の女性の声でアナウンスが流れ、みんなが一斉に立ち上がる。

 駅からさくら坂高校に行くには、長い坂を下らなければならない。私は自分に気合を入れると、荷物を両手に握った。


(あれ? なんか、軽い?)


 すぐに変化に気付いた。電車に乗る前より、明らかにレジ袋が軽い。斜め前を歩く侑希のレジ袋を見て、私はハッとした。


「ねえ、侑くん」

「何?」


 侑希がくるりと振り返り、首を傾げる。


「あの、荷物……」

「ああ。交換してくれて、ありがとうな」


 にこっと微笑まれて、それ以上何も言えなくなってしまった。

 少し小走りで後を追い、侑希の隣を歩き始める。侑希はチラッと私のほうを見たが、すぐに前を向いた。


「侑くんの好きな人ってさ、さくら祭来るの?」

「来るよ」

「一年B組のメイド・執事喫茶にも来るかな?」

「絶対来る」

「へえ、よかったね」

「まあね」


 侑希は意味ありげに片眉を上げると、歯を見せて嬉しそうに笑った。


 さくら祭は、もう明後日だ。

 侑希の好きな人は、どんな子なのだろう。優しい侑希が好きになるくらいだから、きっと、優しくて素敵な子な気がした。

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