第2話

   ◇ ◇ ◇


 さくら坂高校では年に一度、さくら祭という学園祭がある。


 ネーミングからすると春にやりそうなこの学園祭だけれども、学校の名前を付けただけで桜は関係がない。だから、実際に開催されるのは十月の三連休がある週末だ。


 夏休みも明けたこの日、私のクラスである一年B組では、さくら祭でどんな出し物をするかについて議論がされていた。


「この他になにかあるか?」


 担任の山下先生が、黒板から目を離してこちらを振り返る。


 黒板には、『お化け屋敷』『メイド・執事喫茶』『劇』『占いコーナー』の四つの案が出されている。

 教室を見渡して誰も手を挙げないことを確認した山下先生は、こちらを振りむいて教壇に両手をつく。


「どうやって決めるか、案はあるか?」


 しばらくシーンと静まり返った教室の中で、一人の生徒──久保田彰人くぼたあきひとがおずおずと手を上げた。


「お化け屋敷はA組がやると聞いたので、違うものがいいと思います」


 教室にいる生徒達からも、賛成の声が上がる。山下先生は黒板の『お化け屋敷』の文字の上からチョークで取り消し線を引いた。


「残り三つだ。どうやって決める?」

「多数決がいいと思います」


 また、久保田くんが手を上げてそう言った。


「いいでーす」

「賛成!」


 久保田くんの言葉に、何人かの生徒が同調するように賛成の声を上げる。山下先生は両手を胸の前で下に抑えるようなポーズをして、静かにするようにと促した。


「他に意見はあるか?」


 教室は静まり返り、誰も何も言わない。


 その後、クラス全員による投票が行われ、さくら祭の出し物は『占いコーナー』との僅差で、『メイド・執事喫茶』に決まった。


 その数日後のこと。

 部活を終えて戻ると、教室に明かりがついていた。


 今日は通常のクッキングに加えて、夏休み中に市が開催していたレシピコンテストにどんなレシピを出したのか報告し合ったので、いつもよりも少しだけ時間が遅かった。こんな時間に誰だろうと、私は教室を覗く。


「あれ、久保田くん。どうしたの?」


 そこにはクラスメイトの久保田彰人がいた。

 机に向かい、ノートになにかを書き連ねている。こちらに気付いた久保田くんは、目の前のノートを差し出すように見せた。近くに寄ってそれらを見ると、さくら祭の準備リストのようだ。


「先生に頼まれたの?」

「そう。早めに何を買ってどうするか決めないといけないんだけど、飯田さんが風邪ひいてここ最近休みだから、とりあえずひとりでできるところまでやっちゃおうかと思って」

「そっか。久保田くん、学園祭係だもんね」

「完全に押し付けられた感じ。言い出しっぺ的な」


 久保田くんは少し垂れ気味の目じりを更に下げて苦笑した。


 『飯田さん』とは、久保田くんと一緒に一年B組の学園祭係に選ばれた女子生徒だ。本名を飯田由紀いいだゆきという。

 ノートには、調理係、メイド係、執事係をそれぞれ何人にするか、紙皿や紙コップなど当日に必要なものは何か、料理はどうするかなど、これから決めなければならないことがびっしりと書かれていた。


「すごい! 手伝うよ。ひとりじゃ大変でしょ?」

「本当? 助かる。今日、みんな部活あるって逃げられてさ」


 本当に大変だったようで、久保田くんはホッとしたように息を吐く。


「ところで、原田さんはなんでこんな時間まで?」

「私? 私も部活だよ。クッキング部」

「クッキング部なんだ」

「うん。今日はクッキー作ったの。あ、そうだ。たくさんあるからあげるよ」


 私は鞄を漁ると、透明のフィルムに包まれたクッキーを差し出す。たくさん焼いたので、同じものがあと四つある。久保田くんは目をぱちくりとさせてそれを受け取ったが、すぐに嬉しそうに笑った。


「ありがとう。糖分補給する」

「どういたしまして。久保田くんは部活は?」

「俺、陸上部。短距離が得意なんだ」

「へえ」


 そういえば体育の授業のとき、久保田くんはクラスで一番足が速かった気がする。その姿がかっこいいと、クラスメイトの一部の女子が密かに盛り上がっていた。


「部活もあるのに、なおさら大変だよね。じゃあ私、料理のところ考えようか? 誰が調理係になるかわからないから、あんまり難しい料理はやめた方がいいと思うんだよね」

「そっか。時間帯によってクオリティが違うとよくないもんね」


 そんなことを話して盛り上がっていると、ガラリと教室の扉が開いた。


 そちらに目を向けると、侑希が立っていた。こちらを見ると、少し不機嫌そうに眉間に皺が寄る。


「……何やってんの?」

「何って……、さくら祭の準備だよ」

「ふうん」


 なぜこんなに不機嫌そうなのかと、私は首を傾げた。

 手に持った鞄から、スポーツタオルが半分飛び出しているところを見ると、侑希も今部活が終わったところだろう。つかつかとこちらに歩み寄ると、こちらを見下ろす。


「今日はもう遅いから明日でいいんじゃない?」

「え? もうそんな時間?」


 久保田くんは侑希の指摘に、慌てて時計を確認する。時刻は午後六時五十分。さくら坂高校の最終下校時刻まで後十分しかない。


「本当だ」


 いつの間にか思ったより遅くなっていて、私も慌てた。


「雫、帰るぞ」

「あ、うん」


 侑希が椅子に座っている私の片腕を引く。私はとっさに振り返って久保田くんに手を振った。


「久保田くん、また明日」

「うん、またね」


 侑希もチラッと久保田くんのほうを向き、「じゃーな。久保田も早く帰った方がいいよ。自転車、暗いと危ないよ」と私の腕を摑んでいないほうの片手を上げる。

 久保田くんは机の上を片付けながら、「うん、ありがとう。またね」と言った。



    ◇ ◇ ◇



 まだ九月とはいえ、夜の七時近くになると辺りはすっかりと夜の帳が降りていた。昼間はセミがまだ鳴いているのに、夕方になるとどこからかチリリリリーンと虫の声が聞こえてくる。

 秋は確実に近付いているようだ。


 私は隣を無言で歩く侑希をチラッと見た。なんだか、今日は機嫌が悪いような気がする。


「雫って昔、足の速いやつ好きだったよね」


 突然何の脈絡もなく、侑希が口を開く。

 私は侑希が言っていることがわからず、首を傾げた。


「昔っていつのこと?」

「小学校低学年のとき」


 そう言われて、思わず吹き出してしまった。

 小学校低学年。女の子なら誰だって運動ができる男の子が好きだと思うけど。侑希は笑う私を非難するように、眉根を寄せた。


「今もそうなの?」

「今? どうだろう。気にしたことなかったな」


 私は笑いながら、侑希のことを見上げる。


「なんでそんなこと聞くの?」

「いや……。足が速いとモテるのかなって思って」

「そんなわけないじゃん!」


 耐えきれずに、今度は声を上げて笑ってしまった。

 足は遅いより早いに越したことはないかもしれないけど、それでモテるってないと思う。


「そっか」


 侑希はそれだけ言うと、黙り込んでしまった。本当に今日は、どうしたんだろう。


「侑くんさ、執事やんないの?」


 私は隣を歩く侑希におずおずと尋ねた。


 誰がメイド役や執事役をやるのかはこれからクラスの皆で決めるが、侑希は誰がどう見ても執事役が似合いそうな気がした。

 現に、侑希は皆から執事役に推されていた。元々が綺麗な顔立ちなので、蝶ネクタイをつけて「お嬢様」などとかしずけば、たちまち来店した女子生徒達から大人気になるだろう。


「やだよ。面倒くさい。着せ替え人形じゃないんだから」


 ぶっきらぼうで吐き捨てるような口調は、本気で嫌がっていることを窺わせる。


「うん、そうだよね」


 悪いことを言ってしまったかもしれない。

 少しの沈黙を経て、侑希が小さく呟くのが聞こえた。


「俺、自分の顔嫌い」

「え?」


 驚いてパッと顔を上げると、俯き加減の侑希の表情が目にはいる。少し唇を噛んだその表情に、私は戸惑った。


(何か嫌なことでもあったのかな?)


 侑希は、母親譲りで彫りが深く、整った容姿をしている。平凡な容姿の私から見れば羨ましい限りだけれど、何かそのことで嫌なことでもあったのだろうかと心配になる。


 少し迷い、侑希を元気づけようと私は口を開いた。


「私は、好きだよ」

「え?」

「侑くんの顔、私は好きだよ。すごく綺麗だもん」


 侑希は目を見開いて絶句したまま、こちらを見つめていた。

 私はにかっと笑ってみせる。

 そして、肩から下げる鞄を手探りで漁り、カサリとした感触のものを見つけて取り出す。


「ほら、これあげるよ。侑くんお菓子好きでしょ。前に、『クッキング部で作ったものってないの?』って聞いてきたから、ちゃんととっておいたんだから!」


 差し出したのは、今日のクッキング部で作ったクッキーだ。侑希は無言で受け取ると、じっとそれを見つめた。


「これ、さっき久保田が持っていたやつ?」

「あ、うん。ひとりで頑張っていて凄いなって思って。ひとつあげたの」

「ふーん」


 侑希が少し不満げに返事する。

 私は慌ててもう一度鞄を漁る。一袋に二枚しか入っていないので、少ないと思われたと思ったのだ。すぐにもうひとつ取り出すと、それを差し出す。


「ほら」


 侑希はきょとんとした顔でそれを見つめ、首を傾げた。


「雫の分は?」

「自分の分はちゃんとあるから大丈夫だよ。また作れるし」

「久保田にも二つあげたの?」

「え? ひとつだけど?」

「そっか。ありがとうな」


 侑希は差し出されたそれを受け取ると、嬉しそうに笑った。


(あ、機嫌直った。)


 食べ物で機嫌が直るなんて、以外と子供っぽい。でも、よかった。


 最寄りのすみれ台駅からの帰り道、口数か少なかった侑希は「なあ」と声をかけてきた。


「雫も、俺の執事姿が見たい?」


 その質問は、どう答えるべきか難しい。


 先ほどの侑希の反応を見る限り、『別に見たくない』というべきなのかもしれない。けれど、本音を言うと、侑希の執事姿を見てみたい気がした。だって、絶対によく似合うから。

 少し考えてから、私は言葉を慎重に選びながら口を開く。


「見てみたい気もするけれど、侑くんが嫌なら見なくてもいい。でも、きっと似合うと思うよ。だから、着るならすごく楽しみ」


 侑希は返事することなく数回目を瞬くと、首の後ろをぽりぽりと掻いた。昼間とは打って変わって涼しさの混じる風が吹く。


「ん」


 返事がどうかも分からないような、小さな声が聞こえた。

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