第3話

 地下室は湿度が高く、まるで粘ついたかのような空気が充満しており常に一定の温度に保たれている。


 犯罪者の卑猥な罵声やうめき声を耳にしつつもそれらすべてを無視してついにミランダは地下研究室の扉の前に到着した。


 ごくり、とつばを飲み込みノックする。


「サントリウス卿、レガリス殿より仰せつかり参上しました。中に入らせていただきます」


 だが一向に返事はない。しびれを切らしたミランダはそのまま扉を開いた。


「……火急の用につき失礼いたします!」


 扉を開けると中で奇妙な踊りを踊っていたサントリウスと目が合った。頭髪の薄くなった平たい顔をした男だった。二人の間に数秒の沈黙が流れる。


「な、なんじゃい! いきなりなんで入って来とんねん! かーっ! 異世界人ちゅーのはマナーもしらんのかマナーも! なぁ!?」


「え、ええ!? いえノックしました!」


「してへんやろ! 嘘つくなや!」


 サントリウスはミランダを威圧するかのようにずかずかと歩を詰めてくる。


「いや、しました! ほら、手のここ、赤くなってるでしょう!?」


「見せてみんかい! お前嘘やったら承知せえへんぞ!」


 そういってサントリウスは乱暴にその拳を掴んで顔を近づけ、まじまじと見つめると「まじか」とつぶやいてその手を放した。


「……まぁそんなもんどうでもいいわ、ワシが聞こえんかったら意味ないんやからな。ほんでなんや」


「も、もうこの城はゴブリン帝国に落とされます。そこで軍師どのは最後にサントリウス卿のクラフォスを飲みたいとおっしゃられました。王に無礼を働き本来死罪となる程の罪を犯した貴方、サントリウスどのがどうして今まで生かされていたお考えください。今こそ王の慈悲に報いる時だとは思いませんか」


「おお、クラフトボス異世界バージョンの進捗状況聞きに来たんかい。ってか何度も言うとるけどサントリウスってなんやねん。ワシはサ〇トリーの臼井じゃ言うとるやろがい。 だがまぁタイミングは良かったなァ。まだまだ完成には程遠いがとりあえず試作としてはなかなかのもんが出来たところなんや。ほらこれ飲んでみろや」


 そういってサントリウスは香ばしい黒水……クラフォスを注いだカップをミランダに手渡した。


 ミランダはその匂いを小さくかぐととろけるような表情と共に飲み干した。


「これは……あの時あなたが持っていたクラフォスとほとんど同じ香り……! こちらの世界には材料がないとおっしゃっていたじゃないですか!」


「せやろはい来た!! やっぱワシは天才なんや! 天が才能を授けまくった存在なんや! ……ああ、それなー確かにめっちゃ難しかったわ。あっちの研究室では全世界から取り寄せた最高級の多種多様なコーヒー豆をチョイスして200以上の工程を経てていねーにていねーに作り上げた豆つこてベストバランスに仕上げる事が出来たんや。でもこっちやとお前らコーヒー豆とか無い言うし戦争の真似事ばっかで全然詳しないしもう無理やおもててんわ。でもな、ワシは諦めんかった。『やってみんかい』の精神がワシには流れとるからな! そんな時散歩で山うろうろしとった時にちょっとしたアイデアが閃いてな……見事作り上げたっちゅう話や! わかるか!」


「わかりませんよ! ですがそれなら山の中で理想の豆があったという事ですか? この国の領域内にはマズマーメの木しかなかったはず……いったいどんな豆を!?」


「おお、よう覚えとるやないか。その通りや、確かにコーヒーに使えそうやったのはあのどう炒っても美味くならんマズマーメだけやった。あの豆はそもそも不味いからヤマネッコしか喰わんし、食用としては適してない様に思っとったんや。だがな、わしは思い出した。元の世界での知識をな……」


 サントリウスは勿体ぶりながら腕を組みにやりと笑った。


「聞いて驚け、そうして見つけたのが……猫のウンコや」


「ネコノウンコ……?」


「ちゃうわ、何ネクロノミコンみたいに言うとんねん。ネコの、ウンコや! フンや!」


「ウンコ……?」


「そうや!」


「ウンコってあのウンコ……?」


「だからそうやゆーとるやろ!」


 ミランダはその言葉の意味を理解すると一度手にしたカップに残された黒い水を見やり、笑顔を作る。


 次の瞬間思い切りカップをサントリウスに投げつけた。


「こ、このやろー! 嫁入り前の乙女に何飲ましてくれてんだ!」


「あっち! あっつ! あほかお前美味い言うとったやろが! それにワシの世界でも似たような事やっとったんじゃ!コピルアクゆうて最高級のコーヒー豆なんやぞ!」


――コピルアク。

 ジャコウネコの体内で熟成された豆を使うことで淹れる最高級のコーヒー豆である。未消化の珈琲の実から作られることで面白おかしく揶揄されることの多い本種だが、その味は本物だった。

 猫の消化器官を通る事で深く熟成された味となるがその原理は異世界においてもまだ完全には解明されていないという。


「お前の世界じゃウンコ煮出して飲んでたってのか嘘つくなこのヤロー! もう勘弁ならねえぞこの変態研究者!」


「あついて! やめえやお前は! アルパカみたいに熱なるなや! ウンコゆーてもあれじゃ、コーヒー豆を食べた山猫が未消化のままぷりっと出した豆を使うってだけや! 綺麗に洗うし加熱消毒するから全く問題無いわ! コアラだって子供にウンコ喰わせよるやろ、同じようなもんじゃ! エコじゃエコ!」


 サントリウスがまた良く解らない事を言い出した。ウンコを飲み物にするなど発想が狂っている。


 だがそれならウンコで作った飲み物を美味しいと感じた自身も……。


 いやそんなことは無い自分は大丈夫、こいつはおかしい、でもクラフォスはうまい。


 クラフォスはウンコでなど作っていない、ヒッヒッフー、ヒッヒッフー。


 自らに何重もの暗示をかける。


「くそ、この馬鹿ちん研究者め……ですが、確かにこの味なら……きっと軍師殿や皆も満足して下さるに違いない……! それでは早速クラフォスを……」


「まだ一樽分しかないけどな。重いからお前かついでくれるか」


「えっ」


 サントリウスは言い残すとさっさと研究室を出て行った。


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