マスキュラー・エルフ(旧) 〜エルフは貧弱で困ると言われたので、思い切って百年ほど筋トレしてから冒険者になりました〜

しめさばさん

マスキュラー・エルフ

 それはまさに、肉塊だった。



 広大な地下迷宮を擁する城塞都市ファランドール。その迷宮攻略のため設立された冒険者訓練学校の、今日は六十四期生の入校式である。彼らはここでこれかは一年間迷宮探索の基礎を学び、その後に冒険者となる。

 校庭に集められた新入生たちは、いつまでもソワソワザワザワと落ち着かない。しかし、それはこれからの訓練生活に対する不安や期待の現れではなかった。

 魔術師学科の新入生たちの集団の中に、ひときわ巨大な人影が佇んでいるのだ。


 迷宮から彷徨い出てきた巨人と思われても不思議ではない威容だった。他の生徒や教官たちと比べても頭二つは大きく、その身体は全身筋肉で膨れ上がっていた。顔より太い猪首、今にもはちきれそうな胸板、岩を並べたような腹筋、丸太のような腕、巨木の根を思わせる脚。鍛冶場や鉱山で力仕事を続けるドワーフたちでもここまでにはなるまい。見事を通り越して、恐ろしい筋肉であった。

 そんな裸の上半身を惜しげもなく春風に晒し、腰には白い布を一枚巻いただけの姿で、それは魔術師の卵たちの中に突っ立っていた。


「おい新人、並ぶ場所を間違えているぞ。戦士志望はあっちの列だ」


 魔術教官の一人が、巨人の側にやってきて言った。「お陰で他のモヤシっ子達が震え上がってる。さ、わかったら行ってくれ」


「いえ、僕は魔術師志望です」


 巨人はキッパリと答えた。見た目に似つかわしくない、落ち着いた静かな声だった。


「セシル・ローディです。魔術師志望で入学申込みをしたはずです、確認して頂けないでしょうか」


 しばらく呆気に取られていた教官が、慌てて持っていた名簿のページを忙しく繰り始めた。周りの生徒は教官よりさらに信じられない顔をしている。この恐ろしい巨人が自分たちと同じ科だということもショックだが、それよりもちゃんと言葉を喋れたということがまず衝撃だったのだ。


「セシル、セシル・ローディ……確かにあった……魔術師志望だ……」


 教官が信じられないような声を絞りだす。そしてもう一度ゆっくり慎重に名簿を確認し、ある項目のところを見た時に、「ふぇ」とも「ひゅ」とも聞こえるような奇声をあげた。


「……セシル・ローディ、確かに魔術師志望で申し込まれているな。疑って悪かった」

「いえ」

「……もう一点だけ確認させてもらっていいかな。種族欄のところなんだが……『エルフ』と書かれている。間違い無いか?」


 巨人は身体ごと教官に向き直った。日焼けした逞しい身体で春の陽射しを受け止めながら、巨人が答えた。


「セシル・ローディ魔術師志望のエルフです。よろしくお願いします」


 巨人の耳が誇らしげに揺れた。先の細い、長い耳であった。






  

 エルフ。森に暮らす美しい長寿の民である。細く長い耳を持ち、その耳が魔力の流れを捉えるためか、呪文を扱う職と相性がいい。その代わり腕力や体力には恵まれず、前衛職になるエルフはほとんどいない。なれて斥候か猟兵だが、迷宮では流れ矢や視認性の問題で弓は推奨されていなかった。


 セシル・ローディは、そういう世間一般のエルフのイメージを跡形もなく粉砕してしまった。唯一顔の作りだけは、エルフらしい穏やかな青年のものだが、首から下にあるものが顔の良さを全て台無しにしていた。悍ましい筋肉に恐れをなして、皆顔を見ようとしないのだ。


 彼の授業態度は極めて真面目であり、座学でも教室の一番後ろで毎日ちゃんと講義を聞いている。実技でも、先日最下級呪文の「火球」を習得した。


「見た目がちょっと……相当アレなだけで、教える分には何の問題もない。生徒がアイツだけならな」


 入校式の日にセシルと話した教官が、戦士学科の教官相手に愚痴をこぼしていた。


「他の生徒が、半分以上授業に出てこなくなってる。残りのやつらも教室には来るが、終始アイツにビクビクしてて授業どころじゃねえ。下手したら今年は卒業生があの筋肉だけなんてことになるかもしれねえ」

「何なんだろうなアイツは。生まれてこの方、あんな身体の冒険者なんて見たことがない。前衛職でもだ。本当にアイツは魔術師志望なのか? ちゃんと確認したのか?」

「したとも。入校式の後でアイツだけ呼んでな。絶対に魔術師がいいそうだ。他の職は考えてないらしい。今年の魔術師学科の就職実績は過去最低になるだろうな」


 自嘲気味に笑う同僚に、戦士教官が顔を近づけて小声で話しだした。


「ひとつだけ手がある。訓練校の規則で、『飛び抜けて優秀な素質のある生徒は、基礎教育課程が終わったら残りの課程をすべて飛ばして卒業できる』ことになってる。その枠にセシルを入れろ。校長の承認がいるが、校長もセシルを怖がってるから喜んでこの案に乗るだろう。卒業させて冒険者ギルドに渡しちまえば、あとはどうとでもなる。ギルドはややこしい連中を扱うのには慣れっこだからな」


 かくしてセシル・ローディは、二ヶ月という異例の早さで訓練校を特別に卒業することとなった。別れの寂しさではなく、大きな安堵からくる同級生のすすり泣きの声を背に受けて、セシルは訓練校の門を出ていく。初夏の日差しが盛り上がった彼の僧帽筋を焼いていた。







 冒険者ギルドに併設された酒場に、また一組、パーティが帰還してきた。戦士が二人、僧侶、斥候、賢者が一人ずつ。そこまではよく見る職業の編成だった。しかし、最後に酒場の扉を潜ってきた男は、他のメンバーより飛び抜けて大きく、そして……


 悍ましい筋肉をしていた。


 セシルはギルドにいるベテランパーティに配属されることになった。訓練校からは「素晴らしい素質あり」として特別に早期卒業した人材と言われたが、どう見ても難ありなアレだということは一目でギルドも見抜いたらしく戦士アレフが率いる、そこそこ経験豊富で、かつメンバーの一人が用事で一時帰省していたパーティにセシルを推薦……もとい押しつけたのだ。



「今日も無事帰還できましたね」


 酒場の客からの好奇と畏怖の視線を広背筋で全て弾き返してニコニコしているセシルが、テーブルを囲んでいる仲間達に言った。今のセシルは魔術師と言うことで、フード付きのマントを纏っているが、身体が大きすぎて腰までしか届かず、その下は入校式の日同様、全裸に腰布であった。普通の規格の服は入らないのだ。なので無理やり普通の店売りのマントを着てみたが、かえって怪しさは加速していた。


「無事ねえ」


 斥候のルハンが鼻で笑いながら返す。それもそのはず、今日の彼らは新人のセシルを連れて地下二階まで進んだにも関わらず、戦闘になったのは奇襲に成功した二回だけであった。


「敵さんがみんなオレ達見た瞬間にビビり散らかして逃げるんだよなあ」

「あんなきれいに回れ右するゾンビ初めて見たわぁ」

「スケルトンがスッて目を逸らしてたもんな」

「ラージバットが心臓麻痺起こして天井から落っこちてきた」


 そんな風に口々に言い合う仲間を、セシルは尊敬の眼差しで見つめていた。彼らのベテランの風格が、魔物達を恐れ震わせているのだと信じて疑わない顔だった。

 実際に魔物達に恐慌を引き起こしていたのは、言うまでもなくセシルの恐ろしい風体の方である。心のないはずのゾンビやスケルトンすらも、本能的に怯えて逃げ出すのだ。

 

「……それにしてもさ、セシル君だっけ、キミなんで魔術師目指したの?」


 仲間の一人に尋ねられ、セシルはポツポツと話しだした。







「……僕がまだ子供だった時の頃です。だいたい百年ほど前でした」


 長寿のエルフは、だいたい人間の十倍くらいの寿命がある。セシルは現在二百歳。人間でいえば二十歳ごろである。


「僕には年の離れた兄がいて、兄も迷宮に潜る冒険者でした。魔術師として、パーティで頑張っていたそうです。ただ……

「我々エルフ族は、長寿ですが身体はさほど頑丈ではありません。迷宮を地下深く進むにつれ、強くなっていく敵の攻撃に晒されて、ついに兄は……命を落としました」


 その死体は寺院で焼いて骨にされ、遺品と共に仲間の手でセシルと家族の元に届けられた。


「そして帰り際、彼らの話が聞こえてしまったんです。『エルフは貧弱すぎてダメだ。次は別の種族の魔術師を入れよう』と……

「それが僕には、兄をバカにされたようで、なんだか悔しくて……だから、僕が兄の代わりに体を鍛えに鍛え抜いて魔術師になろう、貧弱じゃない魔術師もいるのだと証明しよう、そう思ったんです。だから故郷で百年ほど、ありとあらゆる方法で身体を苛めに苛め抜きました。少しは丈夫になれたかと思ったので、冒険者になりにこの街に来たのです」


 そう話し終えて、セシルは逞しき大胸筋を誇らしげに反らした。仲間たちは黙って、その筋肉の盛り上がりから目を背ける。

 百年間の筋トレ。人間では到底できることではない。ドワーフや、他の種族だって無理だろう。彼らは皆、百年生きる途中で天寿を全うしてしまう。長寿を生きるエルフだからこそできることだ。有り余る時間を、雪辱を胸にひたすら身体を鍛えることに費やした。その結果が、魔物すら震え上がる恐怖の肉体なのだ。


(でもそれ、三年くらいで良かったんじゃないかな)


 アレフ達は皆、心の中でそう思った。







 それから半年が過ぎ、アレフのパーティは、迷宮の地下七階を踏破し、八階を探索するようになっていた。ここまで来れるパーティは、一行を除けばほんの数組だけだ。


「流石にこの階層まで来ると、魔物も普通に襲ってくるな。肝が据わってるぜ」

「というより、怖いけど無理やり魔物としてのプライドで押し殺して襲ってくる感じだけどね」


 ようやく普通の迷宮探索になってきた一行である。しかし、パーティの編成は少し普通ではなかった。

 普通の迷宮探索では、前衛を戦士や僧侶が務め、斥候や術師職はその後ろにいるのがセオリーだが、このパーティに限っては、僧侶の代わりにセシルが前衛に立っていた。己の肉体の頑丈さを確かめたいというセシルの希望である。敵のブレスや呪文などで燃やされにくい素材のマントに変えたとはいえ、ほとんど裸同然なのは変わらない。それでもその筋肉は、魔物の爪や牙のほとんどを弾き返していた。


「また魔物だ! ワイバーン二体!」

「迎え撃ちます! ハァッ‼︎」


 アレフの声に弾かれたように、セシルが敵前に飛び出す。ワイバーンの炎の息を片手で振り払い、そのまま逆の拳を竜の眉間に叩き込む。ゴキッという嫌な音がしたかと思うと、ワイバーンは力なくその場に崩れ落ちた。それを見たもう一体は、慌てて向きを変えて通路の奥に飛び去っていく。無事勝利だ。


「……ねえセシル君、なんで君魔術師なのに素手で闘ってるの……?」

「えっ、……できるだけ呪文は温存しておこうと思っているのですが……ダメでしたか?」

「……わかった、うんごめんね変なこと聞いて」


 メンバーの中に微妙な空気が流れる。素手でワイバーンを殴り倒す筋肉オバケの魔術師が存在することが、皆そう簡単には受け入れられないのだ。戦士でさえ、ワイバーンとは重装備と鋭い剣があってようやく対等になれるというのに。

 用事でパーティを抜けている元メンバー、モンドという名の魔術師が帰って来れば、彼のリハビリだの何だのと理由をつけてセシルを酒場で留守番させられるのだが、未だに帰還の気配がない。


「用事はそんなにかからないって言ってなかったか、いつになったら帰ってくるんだモンドは」

「……それなんだけど、少し前に一度酒場でモンドを見かけたのよ。遠目にだけどね。でもそのとき、セシル君も私たちといたから……」


 セシル以外の全員が理解した。モンドはもう二度とパーティに戻ってこないに違いない。自分が抜けている間に、悍ましい筋肉をした巨人みたいなものを仲間が飼い始めたのだ。全力で距離を取りたくもなろう。モンドが戻ってこない以上、自分たちはずっとこの肉塊と一緒にいなければならない。もしセシルを追い出したり除け者にしたりすれば、パーティの評価は一気に下がるだろう。彼はギルドから預かったメンバーなのだから。

 重苦しい空気が、一同を包み込む。気にしていないのは、セシルともう一人、ルハンだ。ルハンはワイバーンが落とした宝箱を相手に、さっきから皆から少し離れたところであーでもないこーでもないと一人格闘していた。


「うーん、石つぶてのような毒針のような……いや、止めだ。自信がないまま解除に入ってもロクな結果にならねえ」


 結局罠の解除を諦めて、ルハンは皆のところに戻ってきた。不安材料があるなら、決してその先に進んではいけない。金よりレアアイテムより大事なのが己の命だ。無理そうならキッパリ諦めるのも、プロの大事な条件である。


「悪いな、せっかくの宝箱だったのに」

「仕方ないわよ。私達まで罠に巻き込まれたら目も当てられないし」


 斥候と僧侶、賢者がすんなり諦めたのに対し、


「チキショウ、開けてぇな」

「こういうときに限ってレアな装備とかが入ってるんだぜきっと」


 前衛職二人は未練たらたらである。激しい攻撃に晒されるポジションなだけあって、生存確率を上げられる良い装備への執着はかなり強い。

 例外的に装備らしい装備も着ないで元気に前衛にいる魔術師は、宝箱と斥候たちと前衛職に変わるがわる目をやっていたが、


「あの……もし良ければ僕が開けましょうか」


 そう遠慮がちに切り出してきた。「少し離れたところで開けます。爆弾でも耐えられると思いますから」


 確かにいける。ルハン達はそう確信した。今更セシルに石つぶてごときが効くとは思えず、毒針や麻痺針は皮膚に弾かれて終わり。ワイバーンのブレスをものともしないセシルなら、爆弾だって耐え切るだろう。恐ろしいのは石化の呪いが込められた罠「メデューサ」だが、石化の治療は僧侶が呪文でやってくれるので問題はないはずだ。


「よしわかった、任せる!」


 アレフがゴーサインを出した。セシルと宝箱を残して、いそいそと距離を取って後退する。それを確認したセシルが、屈み込んで宝箱の蓋に手を掛け……



*ピロリロピロリロピロリロピロリロピーーン*

*うわっと! テ レ ポ ー タ ー*



 蓋が開いた瞬間、間の抜けた音声と共に眩い光が放たれる。それはほんの一瞬だったが、宝箱の正面にいる魔術師を未知の場所に転送するのには充分だった。光が収まったとき、宝箱の前にセシルの姿はなかった。


「き、消えた……」

「テレポーターだって……?」


 宝箱に仕掛けられている罠の中でもトップクラスに厄介なのがテレポーターである。罠にかかった者を、同じ階の別の場所に強制的に転送してしまう。運が良ければ数歩後ろに戻されるだけで済むが、下手をすれば全く見たこともない場所に飛ばされることもある。


「迷宮の最深部でしかお目にかかれない罠らしい。道理で判別できなかったわけだ」

「つまりこの階が最深部ってことか……」

「それより、セシル君を探さないと。ギルドから頼まれた人なんだもの。何かあったら問題よ!」

「も、問題って……事故みたいなもんだろォ? オレたちの責任になるのか⁉︎」


 ギルド、問題、と言われて慌て始めたアレフ達を置いて、ルハンは宝箱のそばに向かった。あんぐりと開いたままの宝箱の前に、さっきまで存在していなかった石や土がばら撒かれている。

 テレポーターの一番恐ろしいところは、飛ばした先が何処であろうと、そこに"無理やり"犠牲者をねじ込むところにある。地中だろうがお構いなしで、本来そこにあった地面と犠牲者を、そっくり入れ替えてしまうのだ。

 地面に散らばった「地面だったもの」を見て、ルハンはがっくりと肩を落とした。


「残念ながら手遅れだ。セシルはいま壁の中にいる」








 かつて一人の魔導師によって作られたファランドール地下迷宮。最初の主人だった魔導師が斃れた後も、魔導師の残した異界への門は迷宮のどこかに残ったままであり、時折強大な力を持った魔物が門の向こう側から現れて新たな迷宮の主人の座に就く。そして新たな支配者は、門からさらに大量の魔物を呼び寄せ、迷宮を魔物の巣窟に変えるのだ。


『よくぞ来た、冒険者よ』


 現迷宮の主である金色の獣神が、翼を優雅に揺らしながら、威厳に満ちた声で吼える。

 獅子に似た顔と黄金の鬣。四本の腕に、金毛に覆われた、見上げんばかりの屈強な身体。獣神の名に相応しい姿であった。

 対峙するのはアレフ達の五人パーティである。ギルドから頼まれた優秀(ということになっている)な人材を壁の中に埋めてしまった今、その失態を帳消しにするには迷宮の主を倒すしかないというリーダーアレフの判断だった。迷宮の主を討伐すれば、国王から多額の報奨金が出る。万が一ギルドからセシルの件で弁償だのなんだのと言われたらそこから払えばいい。とにかく今は目の前の相手に勝つしかない。一人足りないのが辛いが、ここまで戦っては来れた。慎重にやればなんとかなるかもしれない。


 しかし、一か八かに賭けた冒険者の決死の攻撃は殆どが躱され掻き消され、ろくな有効打も与えられないままに、アレフ達だけが消耗していった。僧侶と賢者の魔力は底をつき、前衛の二人も幾度となく獣神の鉤爪に襲われて、立っているのもやっとだった。

 対して獣神はまだ肩慣らしといった具合で、迷宮の壁を背に一対の腕を組んだまま直立不動。残った腕だけでアレフ達と戦っていた。


「くそ……この階の他の魔物とレベルが違いすぎる……」


 やはり五人で挑むのはあさはかだったか。自分たちの保身に目がくらみ、こんな相手にほぼ無策で挑んでしまった。慎重にやればとかそういう次元ではなかったのだ。

 

『つまらぬ、所詮この程度か』


 戦意を挫かれた五人の頭上に獣神の哄笑が響き渡る。もはやここまでか。そうアレフ達が思ったと同時に、獣神のすぐ横の壁が吹き飛んだ。


『何……⁉︎』

 

 驚愕しながらも横を見た獣神の目に飛び込んできたのは、壁に開いた巨大な穴と、そこから瓦礫や砂埃とともに玄室に現れた巨大な筋肉の塊であった。獣神ほどではないにせよ、他の冒険者より明らかに大きい。一瞬巨人族かと思ったほどだ。

 

「ああ……なんとか外に出れた。もう少しで窒息するところだったよ……」


 セシルは肩で大きく息をしながら、身体の砂や埃を逞しい腕で払い落としている。一息ついて、ようやく部屋の様子に気がついた。一匹の魔物と、何やら疲労困憊の仲間たちだ。


「ああっ、よかった皆さんここにいたんですね! 僕、宝箱を開けたはずなのに、気がついたら地面の中にいて……」

 

 致命の罠にかかった報告を、ちょっと道を間違えまして、みたいな軽い感じでする筋肉である。


「さすがにそのままだと息が苦しくて、地面を掘って進んでたんです。ちょうど皆さんと合流できて、本当によかった」

「お前はモグラかよ……」

 

 モグラよりなおたちが悪い。モグラは迷宮の壁に穴を開けたりはしない。


『誰が来ようが結果は変わらぬ。貴様達はここで死ぬのだ』


 黄金の獣神が再び吼える。今まで封じていたもう一対の腕をほどき、その鉤爪をセシルに向かって振り下ろした。新たに解放した爪は、麻痺毒を備えた毒爪である。少しでも相手を斬りつければ、そこから毒が流れ込み、ただちに獲物は動けなくなる。あとは残りの爪で獲物を引き裂けばそれで終わり。この巨体の男もそうなる、はずだった。


 しかし獣神の鉤爪は、セシルの肉を引き裂くどころか、弾かれて傷をつけることすらできなかった。


『なんだと……?』


 鎧どころか、服すらまともに着ていない剥き出しの身体に、傷一つつけられていない。アレフ達の鎧は何箇所も爪で削られているのに。

 躱されたのでもない。確かに身体に爪が当たる感触はあった。しかしその爪は皮膚を破り、筋肉に突き刺さるどころか、表面で弾かれたのだ。


『貴様の身体が、鎧より硬いというのか⁉︎』

「鍛えていますから!」


 セシルが誇らしげに言う。百年間鍛えに鍛えた筋肉は、迷宮の主ですら傷つけられない代物へと成長を遂げていた。


『有り得ぬ‼︎』


 四本の腕が、矢継ぎ早にセシルを襲う。しかし、獣神の鉤爪はどれも、守りを固めたセシルの皮膚を切り裂くことすらかなわない。まるで岩を殴っているような感触。

 それならば、と獣神は深く息を吸い込み、灼熱の息をセシル目掛けて吹きつけた。ワイバーンの炎の息とは比べ物にならない程の威力。直撃すれば焼死は免れない……が

 

パァン‼︎


 セシルが炎に向けて、猫だましのように力強く両の手を打ち合わせる。そこから生まれた風圧は玄室の空気を揺るがし、獣神のブレスを吹き飛ばした。


『何なのだ……何なのだ貴様は!』


 捨て鉢になった獣神が大きく腕を振りかぶる。爪も効かぬ、ブレスも消されるとあれば、もう力づくでどうにかするしかない。しかし、四本の腕が振り下ろされるよりはやく、セシルは獣神の懐に潜り込んでいた。積み重ねた鍛錬により生まれた太く逞しい脚の筋肉は、神速の踏み込みをも可能にしたのだ。


「せいッ‼︎」


 真下から打ち上げられたセシルの渾身の一撃が、ガラ空きの獣神の顎を打ち砕いた。力なく膝から崩れ落ちた黄金の獣神の顔面に、もう一撃、見事な右ストレートが叩き込まれる。何かが砕ける嫌な音がして、仰向けになぎ倒された獣神はそれきりピクリとも動かなくなった。







「それでは、短い間でしたが、お世話になりました」


 ファランドールの南門で、セシルは仲間たちに頭を下げた。

 迷宮の主、黄金の獣神を倒したセシルは、ファランドールの領主の屋敷に招かれ、そこで正式に表彰された。多額の報奨金と、迷宮の主を討伐した証であるメダルの授与が執り行われ、その日はファランドールの新たな記念すべき日となった。

 恐るべき筋肉を前にして、領主が式の間ずっと挙動不審だったり、屋敷のメイドが三人ほど泡吹いて気絶したりしたことは、一部関係者が知るのみである。


「これで兄にも、良い報告ができます」そう言って誇らしげに胸を張るセシルは、特製の紺のローブに身を包んでいた。商会ギルドの計らいで、特別に作ってもらった特大サイズの一点ものである。顔と手足以外を隠してくれるこのローブのおかげで、故郷に帰るセシルを見てぶっ倒れる人間の数が減ることだろう。


「故郷に帰ってからは、どうするんだ?」

「しばらくは向こうでのんびりしようと思います。両親も待っているだろうし、僕もやりたいことができたので」

「? そうか、まあ、元気でな!」


 アレフたちに見送られて、セシルは帰途に着く。その後ろ姿を見ながら、アレフが仲間たちに問う。


「さて、オレたちはどうする?」

「とりあえず、モンドのところに行こう。今なら話を聞いてくれる……と思う」

「それからもう一度鍛え直しだな。今度こそ、迷宮の主クラスの奴とも戦えるように」

「そうだな……よし、行くか!」

「おう!」


 それからしばらく後、魔術師モンドが再加入したアレフたちのパーティは、この街で大きな功績を上げるのだが、それはまた別の話である。


 そして……







 黄金の獣人が討伐されて百と数年後。

 ファランドール地下迷宮に新たな主が現れ、街はその討伐を目指す冒険者達で賑わいを見せていた。

 冒険者訓練学校では、今日の入校式の為に校庭に続々と人が集まっていた。人間ばかりでなく、エルフやドワーフの姿もあちこちにある。


 突然、悲鳴と共に何人かの新入生が校庭に転がり込んできた。何事かと門の方を見た他の生徒や教官も、門の外にあるものを見た恐怖で思わず叫ぶかへたり込む。


 それはまさに、肉塊だった。

 顔より太い猪首、今にもはちきれそうな胸板、岩を並べたような腹筋、丸太のような腕、巨木の根を思わせる脚……をしたエルフ。


 それが、六人。


「ここが先生も学んだ訓練学校なんですね」

「人がいっぱいいるなあ、うまくやれるかなあ」


 そして、その六人の後ろには、さらに大きな筋肉の巨躯。


「大丈夫、君たちはみんな、百年間僕の教えについてこれた。ここでもきっとやっていける。自信を持つんだ」


 そう言って穏やかに笑うのは──かつて二ヶ月という異例の早さで訓練学校を卒業し、後にその拳のみで黄金の獣人を屠った魔術師、セシル・ローディその人であった。


「卓越した魔術も、使い手が貧弱では意味がない。身体も同じくらい鍛え上げてこそ真の魔術師だ。さあ、行って来なさい!」

「「「「「「はい、セシル先生‼︎」」」」」」


 六つの肉塊が、校庭に向かって歩き始めた。そこかしこから響く悲鳴が、彼ら六人の入場行進曲。


 長い寿命を魔術でなく身体の研鑽に充てた彼らはのちに、通常のエルフ達とは別に、『マスキュラー・エルフ』と呼ばれるようになる。




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マスキュラー・エルフ(旧) 〜エルフは貧弱で困ると言われたので、思い切って百年ほど筋トレしてから冒険者になりました〜 しめさばさん @Shime_SaBa

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