第2話
▼どんど焼きが開かれるはずだった広小路
【第1話からたった二週間ほどあとのお話。今日は小正月の十五日。界隈でもっとも広い場所を確保できる、ここ広小路では、つい先日まで順調に左義長の催しの準備が進んでおりました。そして今日は、風もなく穏やかな天候に恵まれております。ところが、今この広小路に見えるのは、まばらな人影と大きな木桶の数々、時折見栄えのよい棺桶もやってきますが、残酷に貧富の差を映すだけでありましょう。あとは、穏やかな天候に似つかわしくない巡査の怒号】
巡査一 「くれぐれも大人数で集まらんように。こら、そこ、散れ、散れ。おい、棺桶を先に通せ。どけ」
老人 「あのう、鈴木家はどちら?」
巡査一 「近づくな。知らぬ、自分で探せ。こら、何度言ったらわかる、静かに静かに」
巡査二 「距離を取って、一列に。先に外出許可証を提示してから、火に近づくように」
老人 「あのう」
巡査二 「うるさい。わからんなら出直せ」
人足 「おーい、榊原家の棺桶だ」
巡査三 「これはこれは、県令の」
人足 「待ってくれ。今、外出許可証を」
巡査三 「いい、いい。さ、こちらへ」
巡査一 「おい、そこの女、死体をそのままでは駄目だ。まて、それ以上近づけると逮捕するぞ」
老人 「ナムカラタンノトラヤア」
巡査一 「こら、そこ、ただちにやめよ」
老人 「・・・」
【正月の慌ただしさを過ぎた小正月に、巡査たちの耳をつんざくがなり声を聞けば、誰もが耳を疑うでしょう。ただ、そもそも人がまばらなので、さながら戒厳令下の町の風景。士族の反乱か、打ちこわしか、はたまた大火事か。本来、年の習わし通りに松飾りに達磨、団子を焼く左義長のどんど焼きのはずが、一体どうしてこんなことになったのでしょう。見ると、おとなしく順番を待つ人のなかに、お花と葬儀屋の姿が】
お花 「っくしゅん」
葬儀屋 「まだまだ列が続いてますね」
お花 「そうですか」
葬儀屋 「許可証はまだまだしまっといて大丈夫そうですよ」
お花 「そうですか」
葬儀屋 「近づいてきたら、向こうからお棺を持ってきますんで」
お花 「なにとぞお願いします」
葬儀屋 「・・・」
お花 「・・・っくしゅん」
葬儀屋 「今までの長いお付き合いに恩返ししたかったのですが。葬式葬式葬式のこのご時世で、ようやくあの二つのお棺が確保できたぐらいで」
お花 「ありがとうございます」
葬儀屋 「あ、いや、申し訳ない。恩着せるわけじゃ」
お花 「わかっております。うちもうちで、家の父も母もこうまで立て続けに」
葬儀屋 「本当に残念な。申し訳ない、こうも待ち時間が長いと話がつい痛ましいほうへ」
お花 「いえ、もう変な話、麻痺してしまいました。だってつい先月は亭主が」
葬儀屋 「そうですね・・」
お花 「亭主の時もそうだったのですが、今はまだ麻痺しているような」
葬儀屋 「そういう方、多いでしょうね」
お花 「なにぶん、生前、亡くなる前の苦しむ様子が気の毒で気の毒で」
葬儀屋 「悪疫の憎いところです」
お花 「病状からは、きっと怖い風邪のほうだったんだろうと」
葬儀屋 「お父様もお母様もまだまだ若かったから」
お花 「きっと、このあと、また急に悲しくなるのでしょうね」
【ひそひそと話す二人を見咎めたのか、先ほどの巡査が鬼の形相で戒めます】
巡査一 「そこ、無用なおしゃべりは慎め。さもないと、行列は無効だぞ」
葬儀屋 「・・・」
お花 「・・・」
【去年とは、いや、ほんの一週間ほど前とも似ても似つかない界隈のありさま。これは実は、松の内を過ぎた頃から界隈に二つの病魔が本格的に襲来し、あたりの様子はさながら地獄絵図のごとき様相に一変したため。甲府の町なかからとうとう郊外に至ったコレラに、昨年からじわりじわりと波が寄せていた新しい風邪もついには大波となりました。ピークアウトも依然見えず、葬儀も火葬も埋葬も死の舞踏に追いつかないむごいありさま】
葬儀屋 「ばれないように、ひっそり話しますがね、こうも世の中で葬式葬式となったからには精一杯やるだけです」
お花 「頑張ってくださいね。っくしゅん」
葬儀屋 「数年前まで火葬は禁ぜられていたでしょう?今もあれが続いてたら大変なことになってましたよ」
お花 「山や庭でしょうか」
葬儀屋 「世も末です」
【冷静になれるいとまもなく、当事者たちは自分たちが言うことが素っ頓狂であることにも気づきません】
葬儀屋 「お花さんも、身重なのにこの寒空に、しかも火葬の火まで見てしまって」
お花 「家のお母さんにもお正月に似たようなことを言われました。まさかこうなるとは」
葬儀屋 「もう少しの辛抱です。お家のほうは弟さんがいらっしゃるのでしょう?」
お花 「近々東京からいらっしゃるそうですが、今はこの病の蔓延ですもの、すぐにはいらっしゃれないわ」」
葬儀屋 「そうですか、心細い」
お花 「ええ、とうとう一人になってしまって、なんとも」
巡査二 「おい、何を無駄口をきいている?黙って、距離を取って待て」
葬儀屋 「・・・」
お花 「・・・」
【昼近くなり、弱い風が吹くようになってきました。広小路の片隅に並べられた桶や棺が徐々に消えてゆくとともに、澄んだ空に火の粉と煙が舞い上がります。まさか小正月の風物詩であまたの遺体がまとめて荼毘に付されるなど、誰が予想したでしょう。死者を送るのも、今では遠くで独り聞こえぬ経を唱える老人だけ】
巡査二 「次」
葬儀屋 「お、ようやく。呼ばれましたぞ、ささ」
お花 「では、お別れにゆきましょう」
葬儀屋 「おおい、これ、あちらのお棺を運べ。あの、花輪が目印のものだ」
巡査二 「もたもたするな。すみやかにせよ」
葬儀屋 「はい、ただいま」
お花 「っくしゅん」
【まとめられ、離され、急かされ、怒鳴られる即席の火葬場に、弔いも何もありません。ただただ、床の間に仏間に坪庭に持て余した死者を火に運ぶような素振り。死者は死して時が止まって燃やされる。生者は生きて時が止まってなお生かされる。くだらない警句が口をつくほどの惨憺さが行き着く先は。次回のお話にて】
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