最終回 繋がる未来

「タッチ!」


「わ、タッチされた!じゃあ次は先生が鬼だからね」


「乃々香先生。お兄さんがお見えになっていますよ」


 汗を拭いながら、園長先生の声に振り返るとその奥に洸希くんの姿を見つけた。


「洸希くん!」


「乃々香ちゃん、大人気の先生だね」


「どうしてここに?」


「寄付でおもちゃを持ってきた帰り。最近実家にも顔出してないみたいだし、少し顔を見たくてね」


「そうだったの。ごめんね中々おばさん達の顔も見に行けなくて」


 便りがないのはいい頼りっていうからね、と笑う洸希くんの横顔はやっぱり変わらず柚希に似ていて、懐かしさと切なさに何年経ってもあの日の気持ちが鮮明に蘇るようだった。


「シュガー元気にしてる?」


「うん、元気だよ。でももう10歳だからね、のんびり生活してるよ」


「そうか。あれからもう10年も経つか」



 10年。色々なことがあった。

 #ここ__・__#に居れば、柚希を感じられるような気がして、休みの度に何度も通った施設。ネックレスにいる柚希に子供たちの声が届くようにと、何時間もこの場所でシュガーと過ごした日が昨日のことのようだ。

 そんな私達に気付いた園長先生に、ここで働いてみないかと誘われてからもう何年も経った。私はこの場所で柚希が叶えるはずだった夢を、今一緒に叶えている最中だ。


「…実はさ、子供が出来たんだ」


「え!本当に?おめでとう」


「無事に産まれたらまた顔見に来てやってよ」


「もちろんだよ。ふふ楽しみだなぁ」


 洸希くんは結婚してとびきり綺麗な奥さんを迎えても、こんな風に私やシュガーを心配して今も変わらずはたまに顔を見せに来てくれる。


「乃々香ちゃんは、いい人いないの?」


「いい人いるよ」


「本当?紹介してよ!」


「洸希くんのよく知ってる人だよ」


 洸希くんは直ぐに誰だか理解したようで、切なそうに目を伏せて小さく笑った。


「あいつ幸せ者だな」


「…私の方が幸せだよ」


 何度も柚希を思い出しては、涙する。それは、私も、洸希くんも同じ。

 何年経っても、お互いの環境が変わっても、柚希を想う気持ちも、過ごした時間も何一つ色褪せたりしない。




「乃々香先生~!」


「あ、呼ばれてるよ。ごめんね仕事中に長話して」


「ううん!会えて嬉しかった」


「…僕達はずっと乃々香ちゃんの味方だから。どんな時も力になるからね」


「ありがとう。また遊びに行くね」


 最初のうちは、柚希は私の幸せを望んでくれているはずだからと、新しい恋愛をするように勧めてくれていた洸希くんも、今は温かく私を見守ってくれるようになった。

 この先どうなるのかは私自身も分からない。もしかしたら、この人となら…という人に出逢えるかもしれないし、母親にだってなる日が来るのかもしれない。

 でも全ては未来のことだから、私は今を生きていくしかない。今はまだ、この胸の中にいる彼にずっと恋をしたままなのだから。











「もしもし?」


"乃々香、今仕事終わったの?"


「うん、今帰りだよ。最近イベントもあってちょっとバタバタしてて」


"そう。ご飯ちゃんと食べてるの?お父さんも寂しがってるわよ"


「食べてるよ。今週末は一度顔見に帰るから」


"約束よ。桜も満開だし、お花見の準備しておくわね"


「ふふ、うん分かった楽しみにしているね。じゃぁまた」





 桜はもう満開なのか…日々におわれてゆっくり桜も見れていなかったな。 今日はシュガーとゆっくり、あの場所で桜を眺めるのもいいかもしれない。いつもの河川敷で、桜の花びらに包まれたあなたの姿を思い出す私たちの大切な時間。

 消えていくと思っていた記憶は、何ひとつも消えていなくて、感じられなくなると思っていた温もりは、思い出すだけで私の心を満たしてくれた。どんなに離れていても、こんなに近くにあなたを感じられるのは、きっといつも隣りに居てくれているからだよね。私はそれだけで今日も生きていける。未来に失望せずに、ずっとこうやって10年歩いてきた。


 駅前の人混みの中で、あなたがいないか探す癖も、部屋に帰った時にあなたが帰ってきていないか確認する癖も、まだ直ることは無いけれど、また会えると信じて止まないこの気持ちが、今もあなたを愛しているのだと気付かせてくれる。









「シュガー!ただいま」


「ニャーン」


「ね、今日は二人でお花見に行かない?」


「ニャー」


「今日も、星が綺麗だよ」












-------------------------------------



「乃々香先生どこ~?」


「ここにいますよ!どうしました?」


「新しく入ってきた子が食堂で待っているから、自己紹介してあげて欲しいの」


「あ、先日話していたお喋りが出来ないっていう…」


「そう。少しずつ意思疎通が取れるように、ゆっくり頑張りましょう」



 食堂に座っていたのは7歳の男の子。少し茶色の髪の毛に大きな瞳の奥は澄んだグリーンに見えた。



「結くん、初めまして。乃々香先生って呼んでね。心の声でも大丈夫だよ!これからよろしくね」














「ののかせんせ~!ゆうくんがそこでないてる」


「ありがとう教えてくれて。結くんどうしたの?」


「……」


「どこか痛い?」


 小さく頭を振る結くんの視線の先は花壇の奥の方へ向けられた。


「あそこに何かあるの?」


「……」


「あ…雛が…!」


 木の上の巣から落ちたのであろう鳥の雛を慌てて手に取ると心配そうな結くんの手が重なった。


「大丈夫だよ。園長先生に手当てしてもらおうね」



 家族になって数ヶ月経った今も結くんの声を聞いたことはないけれど、不思議と考えていることが理解できている気がする。

 嬉しい時も、悲しい時も、言葉なんかなくたって大きな瞳とその手の温かさで全て伝わってくるようだった。


「結くん、雛さんのこと教えてくれてありがとう」


「……」


「元気になるまで園長先生がここでお世話しようって。お手伝いしてくれる?」


 笑顔で頷いて教室へ戻っていく結くんの後ろ姿を見て園長先生は嬉しそうに微笑んだ。


「結くん、乃々香先生といることで表情豊かになってきたわね」


「結くん生き物が大好きみたいで。この間も小さな虫を見つけて皆んなに見せてあげたり、みんなが気付かないようなものを見つけるのが得意みたいです」


「とても感受性の豊かな子だから、これからの成長が楽しみね」


「あ…そうだ。園長先生、今度シュガーをここへ連れてきてもいいですか?」


「もちろんよ。動物と触れ合えるなんて結くんもみんなもきっと喜ぶわ」



 柚希、聴こえないものを聴くということはすごく難しいね。でも子供たちの耳にはいつでも私の声が聴こえるように、何度も何度も言葉にして、私の想いを伝えているよ。そうやって、いつかは私も柚希のように、小さな音にも気付ける素敵な先生になれるかな。その日が来るまで、ずっと、私の側で見守っていてね。











「シュガー、今日は沢山の子供たちと遊べるよ。いい子にしてね」


「ンニャー」


「ふふ、シュガーの方が疲れちゃわないように気を付けなきゃね」


「……!」


「あ、ちょっと!シュガー?どこに行くの?」


 最近は歳をとってきたせいか動きがのんびりしていたシュガーが、何かに反応するように私の腕から地面へ飛び降りて走り出した。


「ミーミー」


 やっと追いついたシュガーの目の前には花に水やりをする結くんの姿があった。


「あ、結くんがいたのね。結くんおはよう」


「ミー…ミー…」


 シュガーは何かを訴えかけるように必死に鳴き声をあげる。


「こら、静かにしなきゃ驚かすでしょ。結くん、猫は好き?この猫はね乃々香先生の…」






「シュガー…」





 それは聞き逃してしまいそうなほど小さな声だった。


「結くん…なん…て?」


「シュガー」


 聞き間違いなんかじゃない。


「ど…して…」


「ミー…ミー…」


 シュガーの泣いているような声に視界がどんどん歪んでいく。


「ど…して…この猫の名前を知っているの…?」


「"ゆずき!ゆずき!"」


「シュ、シュガー…この子は柚希じゃ…」


 分かっているのに、必死に鳴くシュガーの声に溢れる涙が止まらない。


「ぼく…しってる」


 結くんの声に、震える手で涙を拭うと、何粒もの涙が結くんの大きな瞳からもこぼれ落ちている。


「シュガー…ぼくはきみのことをしってる…」


「ミー…ミー…」


「シュガー、ぼくは…ずっときみをさがしていたんだよ」




 柚希、この世界は信じられないことで溢れている。

 それはあなたとシュガーが教えてくれた。



「これ…」


 結くんがポケットから取り出したのは、ミント色の小さな輪っかのようなもの。形は違うけれど、信じられないけれど、それを見間違うはずがない。その小さな輪っかは、あの日柚希と一緒に消えてしまったブレスレットと同じものだった。


「それ…どうしたの?」


「ぱぱにかってもらった、ぼくのたからものなの」


「お父さんはどこでそれを…?」


「ぱぱはびょうきでてんごくにいったから、わからない」


 結くんはそのブレスレットを目の前で鳴いているシュガーの前にそっと差し出した。


「シュガーのゆめをたくさんみたよ。これは…きみのなの?」


 シュガーはそれを確かめるように何度も鼻を擦り付けて、結くんに向かって鳴き声をあげた。


「やっぱりきみのなんだね」


「結くん、あなたは…柚…希なの…?」


「そのひとはだれ?」


「ふっ…ぅ、その人は、先生の…大切な人…」


「ごめんなさい。そのひとはわからない」


「い、いいの…!結くんの…声が聞けて嬉しい」


 小さな身体を抱きしめると、滲んだ景色の先に恋しかった人の姿がぼんやりと見えた。


「ののせんせい。なかないで」


 私の名前を"のの"と呼ぶ人は一人しかいない。


「結くん…もう一度先生の名前を…呼んで」


「…ののせんせい」





 









 神様。最後に乃々とシュガーに会わせてくれてありがとう。


 俺、天国でも地獄でもどこへでもいくよ。


 ちゃんと自分の運命を受け入れる。


 だからさ。


 いつかまた生まれ変わりたいと願うことを許して。


 もう願いを叶えてもらったのにごめん。


 でも願わずにはいられないんだ。


 いつか、いつの日か。


 乃々を幸せにしてあげられる、そんな人間に生まれ変わりたい。


 どんな形でもいいから。


 もう一度二人の側で生きていきたい。


 



 暗い暗い闇の向こう。


 暗い暗いその先で。


 また二人に会えますように。






-------fin-------

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Sugar moco @moco-moco7

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ