第92話 辿り着けない境地

 序盤はサチが積極的に攻め、イルゼがそれを防ぐという展開だった。


 イルゼとしては、様子見というのもあるのだろう。


(なんでござるか。この圧倒的な差は!?)


 自分が攻めている筈なのに、攻めている気がしない。


 それは試合開始直後に感じた違和感であり、アマサワ・サチの素直な感想だった。


 表面上は拮抗してるように見えても、イルゼは何一つとして崩れていない。


 動きに無駄がなく、それでいてまったくブレのない精密機械のようだった。


 安定して次の行動に移っているイルゼとは反対に、サチは一つ一つの動作が遅れている。


 それは焦りからだ。


 長年の経験から、イルゼの剣筋が見えなくても、それを感じ取り、即座に対応する事は出来た。


 しかしイルゼのスピードは、サチの考える二手三手先で動いているため、その処理が追いつかず、決定打を与える事ができない。


(これがイルゼ殿の本気のスピードっ! ついていくだけで精一杯でござる。レーナ殿の時は、あれで手加減していたということ……)


 サチの指摘は半分正解で、半分間違いであった。


 イルゼはレーナとの試合で、手を抜いたつもりはない。


 しかし、心のどこかでセーフティーが発動していたのだろう。


 これ以上力を出せば、レーナの命に関わってくると。


 本人にその意思はなくとも、心は正直だ。知らず知らずの内にイルゼは自身の力を制限していた。


 そう結論づけようとした時、イルゼの剣捌きが一層鋭くなった。


「――くっ!」


 慌てて意識を現実に引き戻し、全神経をイルゼに集中させる。


 左手の小手で、迫り来る剣の腹を叩き、その直撃を逸らす。


 剣先が逸れ、切っ先がサチの真横を通り抜ける。右頬から出血した。


(この感触……)


 今の刺突が、ギリギリの所で防げるよう、手心を加えられていた物だと分かった。


 これで全力を出されていたら、間違いなく今の一撃で貫かれ、サチは戦闘不能になっていた。


「サチ、戦いの最中に考えごとは良くないよ」


「そうでござったな。今相手しているのはイルゼ殿。他の事を考えている余裕はないでござる」


「ん!」


 サチの受け答えに満足したのか、イルゼは嬉しそうに剣を振るう。


 それに応えるように、サチもまた刀を振るった。


 キンキン、キンキンキン!


 剣戟、絶え間なく連なり、 重なり、止まるところを知らずに鳴り響く。


 白刃閃く度、散る火花に――照らされる相貌、二つ。


 【剣聖】イルゼ。ここでの二つ名は【白閃姫】。


 対するは【放浪の剣士】サチ。異国から遠方遥々やって来たさすらいの侍少女だ。


 観客達から見れば、彼女達はずっと斬り合っているように見えるが、実際は動きを止め、互いの出方を窺ったり、間合いをはかる時間もあった。


 だがそれも一瞬の事。その事を認識できぬ間に試合は進んでいく。


 今、観客達の目に見えているのはただの残像であり、それはすでに起こり終えた光景だ。


――観客席


「何が起きているのか、まったく分からないわね。リリスは?」


「余はなんとなく分かるぞ。サチが押されていることもな」


「リリスさん凄いですね。ネルなんかほら、もう魂が抜けちゃってますよ」


 アデナがぐいっと隣にいたネルを引っ張り、リリス達の方に向けると、完全に目が死んでいた。


「仕方なかろうて。余はお主達とは違い、魔王じゃからな」


「魔王?」


 小首を傾げるアデナにレーナが耳打ちする。


「アデナさん気にしないで。イルゼから聞いてはいると思うけど、いつものアレらしいから」


「あーアレですね」


「ん? 二人はなんの事を言っておるのじゃ?」


「いえ、気にしないで下さい」


 レーナとアデナから痛い子認識されている中、リリスはそうとも知らずに解説を続ける。


「ほれ、今イルゼが空中で反転して斬りかかったぞ。お、サチがミガワリノ術というのを使ったな。これは一度見たやつじゃのう。おおっ、次はサチが東方っぽい剣技を――」


 レーナはリリスの若干適当な解説に、ほんとかなぁと思いながらも、大人しく試合に目を戻す。


 リリスの解説が加わっても、やっぱり何が起きてるのか分からなかった。


 既にレーナの両親は諦めの境地に立っているようで、母父共々、微かな笑みを浮かべるのみである。そしてそれは、他の観客達も同じだった。


◇◆◇◆◇


(底が見えないでござる……)


 サチは偶然にも、かつて【剣聖】イルゼと戦った暴虐の魔王リクアデュリスと同じ感想を抱いていた。


(このままでは、いずれジリ貧になり拙者の負け……)


 母国では神童と謳われていたサチであっても、イルゼの全力には、ついていくのが限界だった。


 このままでは負ける。ならば自分の最高の技で勝負するしかない。



「――ここでござるっ!」



 距離を取るという選択肢を取ったサチは、イルゼからある程度離れると、刀を鞘に仕舞い、目を閉じる。


 それが降伏を示していない事は、サチから放たれる気で分かった。



「ん。受けて立つ」



 何かすごいのがくる。そう感じたイルゼは、剣を構え、静止する。


 レーナの時と同様に、真っ向から勝負を受けるつもりだ。


 高速の世界が止まり、イルゼとサチが距離をあけて立っている所が、はっきりと観客達の目に映る。


 サチは呼吸を整え、刀に手を掛けたまま姿勢を低くする。


(あの体勢。本に書いてあった)


 それは東方に伝わる剣術の一つ、抜刀術であった。


「行くでござるよ!!」


「んっ! こい!!」


 カッと目を見開いたサチが、そのままイルゼに向けて疾駆し、目にも止まらぬ速さで刀を抜き放った。


「――ん」


 イルゼは、サチの抜刀術を真正面から受け止めた。


 そしてイルゼの横を高速で通り過ぎたサチが、少し離れた所で片膝をついた。



「…………拙者の負けでござる。それと、久々に楽しかったでござるよ」



 刀には悪い事をしたでござると言って、サチが刃先にちょっんと触ると、刀はボロボロと砕け散った。


 サチの抜刀術はイルゼに通用しなかった。


 彼女の刀が砕けたのは、摩耗に加えて、外部からの強い衝撃が原因だった。


 イルゼはサチの刀が触れる直前、剣に魔力を乗せ、本来の聖剣としての力を発揮させ、その閃光のような斬撃を防いだのだ。


 ただの刀では、イルゼの持つ聖剣を打ち砕く事は出来ない。


 もちろんサチも、刀に魔力を乗せなかったわけではないが、東方地域は元々魔力に頼らない者が多い。


 サチの家は、その歴とした家元だ。


 魔力に頼らず、自分の力だけで武術を極める事を信条としている為、サチも幼い頃は魔力というものを知らなかった。


 魔力を知ったのは、ある日の御前試合で、魔力を用いて戦う異国の剣士を見た時からだ。


 彼女は魔力も自分自身の力だと考えていた。


 魔力を使って戦う事を知ってからというもの、サチは他国との戦でそれを使い始め、アマサワ家の中では、異端児扱いを受けていた。


 魔力を乗せた抜刀術など、その他全ての剣術は彼女の独学によるものだ。


 師などいない。それら全てを一人で編み出したのだ。

 彼女は紛れもない天才だった。


――旅に出たいでござる。


 その後、家に居づらくなったサチは、見聞を広めるという名目で、現在の各国をさすらう旅人になったのだ。


 彼女は、旅を通して武術とは、自分自身の力とはなんなのかを学び、家の習わしを変えたいと考えていた。


(試合には負け申したが、あんがい悪い気分ではないでござるな)


 それが今日、少し分かった気がした。



「ん。私もたのしかったよ」



 イルゼも久しぶりに全力を出し切れて満足したのか、二人揃って清々しい笑みを浮かべていた。


 片膝をつくサチに、イルゼが手を差し伸べる。


「イルゼ殿……」


「みんなに、終わったよって教えないと」


「そうでござるな」


 サチがその手を取り、立ち上がる。そしてその繋いだままの手を高く上げ、二人で笑い合う。


 それが決着の合図だと気付くのに、誰もがしばしの時を要した。

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