第91話 剣聖の本気

「サチ、いよいよだね」


「で、ござるな」


 待機部屋で向かい合った二人が、熱い視線を交わす。


「手加減しないでね」


「イルゼ殿に、手加減なんて出来ないでござるよ」


「よかった。私も全力で行くけどいい?」


「もちろんでござる」


「ん。ありがと」


 イルゼは満足げに笑い、待機部屋を後にした。


(準決勝はなくなっちゃったけど、サチと戦えるならいいや)


 イルゼは歴とした剣士だ。


 五百年前。

 彼女は魔法士との戦闘訓練を怠った事はなかったが、好き好んで戦いたい相手ではないと感じていた。


 なにせ、レーナのような強い魔法士など中々存在しないのだ。イルゼの練習相手になった魔法士達は、全員レーナの足元にも及ばない魔法士達だ。イルゼが楽しめる筈もなかった。


 剣もろくに交わせず、ただ魔法を避けて、近づき、首元に剣をあてがう。その繰り返し。


 せめて剣で魔法を斬ることが許可されていたら、退屈しなかったのだが、それでは双方の訓練にはならないということで禁止されていた。


 それもその筈。


 そもそも魔法を剣で斬ることが出来る人間など、世界でただ一人、剣聖であるイルゼをおいて他に誰もいないのだ。


――下手に斬ったりも出来なかった。


 安全の為、剣は寸止めにする事が決められており、まだ個体別に多彩な魔術を扱う魔族の相手をしている方が楽しかった。


(その点、リリスは良かった。耐久力もあって、剣も使えるし、魔術もすごく種類があったから最後まで飽きなかった)


 リリスと戦った時の事を思い出し、不敵に笑うイルゼ。


 時を同じくして、遠く離れた位置にいたリリスの背筋に冷たいものが走った。

 


(――っ!? なんじゃ、今急に悪寒が走ったぞ……)



 なぜか鳥肌が立ち、辺りを見渡す。もちろん怪しい者などいない。


(余の気のせいか……?)


 寒くなったのかもしれないと、リリスは体のあちこちを摩る。


 そんな挙動不審なリリスの様子をレーナが、きょとんとした顔で見ていた。


◇◇◇


 決勝戦の相手であるサチは、刀を使う。


 刀を使う相手となど、今まで戦った事がなかったので、イルゼはとてもワクワクしていた。


(やっと斬り結べる!)


 一回戦、二回戦の相手はそもそも弱すぎた為、剣を抜く必要もなく倒してしまった。


 三回戦の相手であるレーナは、魔法を得意とする為、剣の斬り合いをする事が出来なかった。


 そして準決勝では、相手が前日に逃げ出してしまった為、不戦勝ということになってしまった。


(まだ一回も斬り合ってない……)


 そう、イルゼはこの大会で、まともに剣術での試合をしていないのだ。


「ん。すごくたのしみ」


 イルゼは軽い足取りで、決戦の舞台へと上がる。


 いよいよ決勝戦が始まろうとしていた。


◇◇◇


「そろそろ始まるみたいじゃのう」


「そうみたいですね」


 観客席にも人が集まり始め、その興奮と熱狂がリリス達にも伝わってくる。


「ネル。しっかり応援するわよ!」

「うん!」


 観客席にはリリスにレーナ、アデナ一家が応援に来ていた。


「お父様。いよいよ決勝戦が始まりますよ!」


「うん。お父さんは少し頭が痛いよ」


「ふふっ。それはあなたの自業自得ですよ」


 特別席には、ネリアとネリアの母であるレイチェル。何故か、頭に大きなたんこぶを作ったアークが座っていた。


「それはそうだけどさ……」


 口元を押さえ、ふふふと上品に笑う妻の正論に、アークは何も言い返せなかった。


(さて、何事もなく終わればいいけど……)


 そう思った後で、後悔した。こんな事を考えていると、大抵ろくな事にはならないと知っているからだ。


 彼の人生は苦難の連続だった。


 国を担う者として、幼い頃から英才教育を受けてきたアークは、その少年期を殆ど内政、勉学に注いできた。


 その為、成人するまで色事には縁遠い生活を送っていた。


 時には権力争いなどで、命の危険に晒された事だってある。


(僕の誕生日パーティーの時もそうだった。今日は何も起きないと思った瞬間、急に真っ暗になってどこかへ連れて行かれたし……)


 「うぁあ」と頭を抱える父親をまじまじと見ていたネリアに、「陛下、またですか」と軽く息を吐いた母親が優しく囁く。


「お父様はちょっとお疲れみたいね。お母さんはお父様を寝室に連れて行くから、その間一人でいられる?」


「はい! 私がお父様とお母様の分までイルゼお姉様の勇姿を見ておきますから。でも出来るだけ早く戻って来てくださいね」


 イルゼに羨望の眼差しを向ける娘に、もし尻尾があったら、パタパタと振っていそうだなと、レイチェルは思った。


 彼女はくすくすと笑いながら、我が子の頭を優しく撫でる。


「ええ、出来るだけすぐに戻ってくるわ。その間いい子にしてるのよ」


 そう言って、レイチェルは何人かの近衛兵と一緒に、アークを部屋の外へと連れ出して行った。



「あ、はじまっちゃう」



 すでに舞台にはイルゼとサチが入場してきていた。ネリアは椅子に深く座り、ワクワクと試合が始まるのを待つ。


 そして、試合のゴングが鳴り、決勝戦が開始する。


 ネリアは身を乗り出し、目を輝かせながら、その試合を観戦した。


 暫くして、アークを寝室に送り届けたレイチェルが戻ってきた。


 部屋に入ると、先程までの喧騒はどこへ行ったのか、一転して静寂に包まれていた。


「あら? ネリア、試合はもう終わったの? それとも何かトラブル?」


「…………」


 声を掛けても反応がない娘を不思議に思いながら、決勝戦が行われているであろう舞台に目を向ける。


「……え?」


 それは速すぎた。


 何かが、視界の端から端へ移動しているのが微かに見えた。


 常人の目には何が起きているのか分からなかった。


 サチは必死に抗った。だが本気のイルゼとは到底埋められない差が、そこには存在していた。



(イルゼ……)



 その試合を肉眼で捉える事が出来たのは、元魔王であるリリスだけだった。


「……拙者の負けでござる。それと、久々に楽しかったでござるよ」


「ん。私もたのしかったよ」


 膝をついたサチに、イルゼが手を差し伸べる。


――当初、激戦になると予想されていたその試合は、イルゼの圧勝で終わった。


 

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