第90話 準決勝……と思ったら、決勝!?

 翌日。武闘会も終盤に迫り、残る参加者達も強者だけとなってきている。


――次勝てば決勝。


 そして決勝の相手が、サチになるであろうという事をイルゼはうすうす感じていた。


(初めて見た時から、すごく強いって思った)


 彼女が誰かを強いと感じたのはライアス以来であったが、そのライアスとは、『オメガの使徒』の件があって、結局一度も剣を交える機会がなかった。その為、少し心残りだったのだ。


 なのでライアスと同じくらい強いサチと戦う事によって、その心残りも一緒に払拭するつもりなのだろう。


「ずいぶんと嬉しそうじゃのう」

「ん。すごい楽しみ」


 そう言って、刀身の手入れをしながら無邪気に笑うイルゼ。


 彼女が剣の整備をするのは珍しい。五百年前は誰かに言われない限り、刀身の手入れをする事はなかった。しなかったというより、する必要がなかった、というのが正しい。


 何百、何千という数の魔族を斬っても、その刀身が血で染まる事はなかったからだ。


 今、イルゼが剣を整備しているのは、決勝を前にしてテンションが上がっているからだろう。


「ほれ、剣の手入れなどやめて、早く出る支度するのじゃ!」


 リリスは、彼女が剣を持っていなかったら、もっといい笑みだったろうなと思いつつ、早く着替えるよう促す。


「ん」


 イルゼが剣を仕舞い、普段着に着替え始める。



(うーむ、しかしなぁ……)



 よくよく考えてみると、剣を持たないイルゼなど想像がつかない。というより五百年経った今でも、彼女が戦い以外に好きな事をあまり思いつけなかった。


(余はイルゼの事を知った気でいて、その実、全然知らなかったのじゃな)


 こうして一緒に旅をする事で、イルゼが甘い物好きという事は分かったが、彼女の趣味がなんなのか、理想の相手はどういったタイプなのか、知らない事の方が多かった。


 趣味に至っては、戦うことと言われそうな気がしてならないと、リリスの中でのイルゼのイメージは、完全に戦闘狂へと固定されていた。


「出来た! リリス早く行こっ」


「まてまて」


 珍しくてきぱきと支度を済ませたイルゼが、リリスの周りをくるくると回って、早く行こうと急かす。


「やれやれ、イルゼの好きな物を考えるのは後回しじゃな」


「なにかいった?」


「いいや、なんでもないのじゃ」


「そう? じゃあ行こ」


◇◇◇


 リリスと共にウキウキと会場に向かい、会場内に入った瞬間、大会運営の者に声を掛けられた。



「え、わたしの準決勝がなくなった……?」



 係の者が必死に平謝りするも、この世の終わりのような顔をしたイルゼに、その声は届かない。


 イルゼは手に持っていた剣を思わず手放し、それをキャッチしようとしたリリスが、剣の重みで潰れた。 


「ぐべっ!」


「リリス殿っ!?」

「サチー。助けてくれなのじゃー!」


 少し遅れてやってきたサチに助けられ、事なきを得たリリスは、イルゼとサチの二人の応援にやってきたレーナも含めて状況を説明した。


「実はの……」



「――え、対戦相手が逃げたぁー!?」


 レーナのよく通る声が、会場の廊下に響き渡る。


「しーなのじゃ!」


「あ、ごめんなさい」


 慌ててリリスが、人差し指を口に当て、静かにというジェスチャーを送る。選手には先に伝えられたが、まだ公式には発表されていない為、観客も多くいるこの場所で、大声で言う事ではなかった。


「イルゼ殿なら、こんな事が起きなくても問題なく勝ち上がったでござろうが、本人はそうもいかないようでござるね」


「うむ。イルゼは勝ち負けにはあまり拘らんが、少しでも、強い相手と戦いたいたかったようじゃからのう)


 イルゼがこの世の終わりのような顔をしている原因は、彼女の対戦相手である男が、昨日の一日休みを利用してウルクスから逃げ出してしまい、準決勝が無くなってしまった事にある。


 この場合はイルゼは不戦勝で、決勝へと勝ち上がる事になるが……。


――決勝に行ったって言われても、実感湧かない。それに……なんかやだ。


 イルゼは何かずるをしたような気持ちなり、納得いかない様子だった。


 騎士道精神を重んじる今大会には、病気や怪我を抜いて、事前に選手個人の都合で大会を棄権する事は出来ない。そのため前日のイルゼとレーナの試合を見て負けを悟った彼は、大会を棄権できないなら国を抜け出すしかなかったのだ。


「それでイルゼ殿が、あんな状態になってるでござるか」


 サチがチラッと視線を送る先には、まだ固まっているイルゼが廊下に棒立ちしていた。


「うむ。まあ、逃げた対戦相手の気持ちが分からんでもないがな」

「そうですよね。私も正直怖かったですし」


 イルゼを見るとあの時の試合を思い出し、まだ足が震えちゃいますと、小鹿のようにぷるぷる震える足を押さえて言うレーナに、リリスは軽く笑った。


「一部はお主の所為でもあるのじゃぞ」

「へ? 私ですか?」


 レーナはなんの事か分からなかったようだが、彼女の魔法も男の心を折る要因となっていた。

 事実、あれほど強力な魔法を浴びても怯みもしないイルゼに、剣術でも負けている自分が勝てないと悟るのは当然の事だろう。


 そして極めつけはその自己治癒能力だ。


 試合が終わった頃には、イルゼの負った傷の殆どは完治していた。リリスはそれを直に触って確認していたから、その凄さをよく理解している。



(あの治癒力は異常じゃった……とても人間とは思えんほどに……)


 

 イルゼが試合後、元気な様子でリリスと宿に帰る所を見て、その異常さに気付いた男はこの国から逃げ出す事を決めたのだ。


「イルゼは何をやっても倒せそうにありませんから」

「そうじゃのう。イルゼは最強じゃからな」


 敗北者二人組は互いの傷を癒すかのように、イルゼの強さを口々に言い合った。



「……今から追いかけて捕まえる。うん、それがいい!」



 それまで呆然自失していたイルゼが、名案を思い付いたとばかりに、目を輝かせてぽそりと言った。


 そして駆け出そうとするイルゼに、制止の声が掛かかる。


「イルゼ。それはやめてあげなさい」


 やってきたのは陛下だ。


「イルゼなら今から追いかけて、捕まえて戻ってくる事も出来るかもしれないけど……彼が可哀想だよ」


「……陛下がそう言うなら――納得します」


「うん。納得してくれてありがとう、イルゼ」


 つい、娘にやるように、イルゼの頭に触れようとしたアークの手が弾かれる。そして弾いた当人であるリリスがイルゼを引き寄せると、アークをキッと睨んだ。


「ああ、ごめんごめん。つい癖で」

「次は気をつけるのじゃぞ! 二度はないからな!!」


「心に留めておくよ」


「?」


 むぎゅっとリリスの胸に顔を埋めたイルゼだけが、なんの事か分からないとでも言うように首を傾げた。


◇◇◇


 近衛兵とその場を後にしたアークは、ネリアを起こすために、妻と娘が眠る部屋へと向かった。その途中、名も知らぬイルゼの対戦相手に、同情の念を送った。


(逃げたくなる気持ちもわかるよ)


 名も知らない相手だが、せっかく騎士の誇りを捨ててまでイルゼから逃げたのに、闘技場に連れ戻されるのはあまりにも不憫だと思い、あの場で声を掛けたのだ。


 もし、アークがあそこでイルゼを止めていなければ、イルゼは本当に対戦相手を引きずってでも連れ帰ってきたかもしれない。



「ネリア、レイチェル。そろそろ試合が――」


 アークが部屋を開けると、中には侍従がおり、妻と娘は絶賛着替え中だった。 


「あ――」


「お、お父様ぁぁぁぁぁー!!」


 彼が不味いと思ったのもつかの間、次の瞬間には、ネリアに思いっきり物を投げつけられ、彼の意識はそこで途絶えた。



 その後、予定通りサチの準決勝が行われ、勝利したサチは、いよいよイルゼとの試合を目前に控えた。

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