第86話 声と想い そして決着

 イルゼは上がっていた息を整えながら、自分の置かれた状況を整理する。


(やっぱりこの魔法、短距離でも魔力消費が激しい。私の魔力量じゃ、何度も使えない)


 古代魔法の一つである転移魔法は、その便利さも相まって魔力消費量が激しかった。現に一度使っただけで、息が上がってしまっている。


 これは戦闘による疲労の影響もある。なにせ一人を相手に、これだけ時間を掛けたのはリリス以来であったからだ。


 いくら彼女が無類の強さを誇る剣士であっても、五百年間何もせず眠っていたブランクは大きい。毎日戦い続けていたあの頃より、確実に体力が落ちていた。


(魔法は……楽しいけど、好きじゃない)


 五百年前。戦場に身を置いてからというもの、剣一つで戦ってきたイルゼにとって、戦闘に魔法というものを用いるのは未知に等しかった。


 誰かが使っているのは見たことがあったが、五百年前の抗争時に自分で使った事はなかった。せいぜい日常魔法を入浴代わりに使うくらいである。だがその回数も両手の指で足りる程度だ。


(それに……分かってはいたけれど、私魔法には向いてない)


 この程度の魔法で、息切れを起こしているのだ。レーナの魔法を使った時にはどうなるのか、容易に想像がつく。


(きっと、一発で動けなくなる)


 少女の予想は正しい。


 イルゼは覚えていないが、五百年前、権力者達が集まる会議の中、一度彼女に攻撃魔法を教えてはどうかという議題が上がり、実際に魔法適性を行った事があった。


 その結果は彼等を落胆させるもので、結局イルゼに教えるのは剣術だけとなったのだ。


――宝の持ち腐れ。


 五百年前の貴族たちは、戦う事すらしない自分達を棚に上げて、剣聖をそう罵った。


 しかし彼女は王国の剣。人類の最終兵器として教育されていた為、どんなに罵られても言い返す事はなかった。


 『剣聖イルゼ』。


 魔法を扱う才能はあっても、生まれ持った魔力量の少なさが故に、すぐに魔力欠乏症を起こす。


 多くの才能に恵まれた少女の唯一の欠点であった。


◇◇◇


 舞台の端。場外ぎりぎりの場所で、栗色の髪に、くりっと癖っ毛のような巻き毛をした少女が仰向けに倒れていた。


「う、ううんぅ……」


 レーナは固い床に打ちつけられた時の衝撃で、少しの間意識を失っていた。


――まだ倒れるわけにはいかない。


 イルゼに勝ちたい。勝って、せっかく見に来てくれた両親に良い所を見せたい。


 その強い意思で意識は戻ったが、身体を動かせない。目も開けられない。そして声も出せなかった。


 しかし、審判の声だけはよく聞こえてきた。


 秒読みを始めている。あと数秒の内に立ち上がらなければ、戦闘不能でレーナの負けだ。


――でも、もう立ち上がれない。


 心はもうとっくに負けを認めていた。このまま意識を落とした方が楽になれるだろう。


 そう思って、彼女が眠りにつこうとした時、ふと両親の声が聞こえて来た。


(お父様? お母様?)


 もう勝負は決まったと、誰もが二人の勝負を讃える中、両親だけはまだレーナを信じて諦めず応援していた。


 レーナの元に届いた両親の声が、現実だったのか、はたまた彼女の諦めない気持ちが聞かせた幻聴だったのかは分からない。


 だけどレーナは、確かにその声を頼りに立ち上がった。


 背骨にヒビが入り、立ち上がるだけで激痛が走る。 


 本来ならここで彼女は負ける運命にあった。

 

 だが、両親の声が、想いが彼女を再び立ち上がらせた。


(お父様……お母様……私、まだ諦めていません。イルゼは私の初めて出来たお友達、最後まで全力で戦うのが礼儀というもの)


 静かに静観していたイルゼが、ふとレーナの気配が変わった事に気付く。


(ん。なんか雰囲気変わった。レーナ、まだやる気なんだ……じゃあ私も最後まで付き合う。だってレーナは、私の友達だから)


 イルゼにも負けられない理由がある。


 それは観客席から応援してくれているリリスに、勝利を届けるという事だった。

 試合開始前、リリスは自分のお願いを聞いてくれた。食べ物を諦め、特別席から観客席に移ってきてくれた。


『余がこんな近くから見ててやるのじゃ。負ける事は許さんぞ!』


『ん。もちろん。私のこと、しっかり見ててね』


『うむ。お主の勇姿、しかと見ておくぞ』


 ニカっと屈託のない笑顔を見せるリリスの期待に、イルゼはなんとしてでも応えたかった。



「ふっ、うぅ……」



 レーナが立ち上がった事で、会場はさらに沸き立ち歓声が上がる。



 よく立ち上がった。


 もう諦めたらどうだ?


 天使様頑張って下さい!


 古代魔法っちゅう、すげー魔法をもっと見してくれ!



 観客達が思い思いの声を上げる。


 しかしイルゼに向けられた声援も、レーナに向けられた声援も、彼女達の耳には入っていない。


 少女達は、意識の全てを対戦相手だけに向けていた。



「行きますよ、イルゼッ!」



「んっ! かかってこい、レーナ!!」


 

 今は、今だけは二人だけの世界だった。


 レーナが残っている魔力を全て注ぎ込み、イルゼに向けて放つ。最大火力の爆撃魔法だ。


 対するイルゼは、愛剣を構え、彼女の放った魔法と真っ向から相対する。


(危険だけど、レーナに負けを認めさせるのには、これが一番手っ取り早い。正面からレーナの魔法を受けて、それを打ち破る)


 迫り来る爆撃魔法を前に、額から首筋へと汗が伝う。


(ちょっと、怖いかも……でも負けられない!)


 剣を持つ手が、少し震えていた。



(ん? イルゼのやつどうしたんじゃ?)



 イルゼの様子が何かおかしいと、観客席から見ていたリリスが気づいた。


(震えて、おるのか……?)


 一瞬、イルゼの華奢な肩が、少しだけ震えている……ように見えた。


 それはほんの一瞬の出来事だった。気付けたのはリリスだけだ。終始イルゼの事しか見ていなかった彼女だけが気付く事が出来た。


 だが側に行ってやる事は出来ない。今の自分に出来る事。それは彼女を全力で応援してやる事だけだ。


 だからリリスは、すうっーと大きく息を吸い込んで、声の限り叫んだ。



「イルゼェェェェーー! 負けるでないわぁぁぁぁあーー!!」


 怒号にも近い、魔王リリスの惜しげもない声援。


 その声は、誰の声も届かなかったイルゼの耳に確かに届いた。


(リリスの声ッ!? そうだ。私は負けない。だって私は魔王を、リリスを倒したすっごく強い冒険者なんだから!)


 手に汗握る中、イルゼはもう一度しっかり剣を握る。



「レーナァァァァァァァアーー!!」



 イルゼは爆撃魔法に、正面から飛び込み、全力で剣を縦に振った。すると、


――爆撃魔法が

 

 イルゼの剣がレーナの古代魔法を斬り裂く。文字通り、その場に存在する空間ごと爆撃魔法を断ち切ったのだ。


 これにはレーナも驚きを隠せず、苦々しい表情を浮かべる。だが、まだ勝利を諦めたわけではない。


「――ッ、まだです!」


 イルゼの呑み込もうと、再びレーナの魔法が盛り返す。しかしイルゼは、動じる事なく地面を蹴ると、空中で回転しながら剣を振るう。


(おおっ、美しいのう)


 美しい銀髪の少女が、宙を舞いながら剣を振るう。


 それは一つの完成された美であった。


 観客達も、レーナも、その場にいた全ての人間がその瞬間、イルゼの舞に見入った。


 それが決着の合図だった。

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