第83話 試合前のひととき “シルクレープ”

 三回戦を終え、また一歩決勝へと駒を進めたイルゼは、リリスと二人で昼食をとっていた。


「うむ。売店で売っておった物を適当に買い漁ってみたが、どれも美味しいのう」


「ん。おいしい」


 ほっぺたにソースを付けたリリスが、パンの間にソテーを挟み、ソースを贅沢にかけた一品をむしゃむしゃと頬張る中、イルゼはホクホクとバターで蒸した芋を食べていた。


「あちゅっ!」


 時折熱そうにして、ふーふーと冷ます。


「んぐんぐ……」


 リリスはソースで口元が汚れる事も厭わず、食欲に突き動かされるがまま次々と口の中に放り込んでいく。


 そんなリリスを見て、イルゼは渋い顔をする。


「リリス食べ過ぎ。あとでお腹壊しても知らないよ」


 暴食のリリスとは違い、食べる量を適度にコントロールしながら食べ進めるイルゼに、リリスはごくりと喉を鳴らし、水を飲んだ後、腰に手を添え、ふっふっふーと何故か自慢げに語りだす。


「イルゼ。聞いて驚くな。余は生まれてこのかた一度もお腹を壊した事が無いのじゃ。それこそ熱い物を食べた後に、冷たいアイスを食べても平気じゃったくらいにはな」


「ふーん」


 力説するリリスをよそに、イルゼは頼んだクッキーをサクサクと食べていた。


「おい、イルゼ! 今の話ちゃんと聞いておったか!?」


「きいへひゃよ?」


 口に大量のクッキーを含みながらパチクリと目をしばたたかせるイルゼに、リリスはため息をつく。


「お主、絶対聞いとらんかったじゃろ……」


 そうやって二人の時間を過ごしていると、イルゼはこちらへ向かってくる足音に気が付いた。


 そちらの方を向くと、ちょうどレーナが従者を連れて歩いて来ている所だった。


(後ろにいる二人は誰だろう?)


 イルゼが初めて会う男女が、レーナの後ろを歩いていた。


 女性の方は30代半ば頃で、男性の方は40代前半といった所だろう。仲良さそうに二人で手を繋いでいる所を見るとおそらく夫婦だ。


 見知らぬ男女がいる事にイルゼは少し警戒心を覚えるも、彼等が近づくに連れ、彼等が誰なのかなんとなく分かった。


(……たぶんレーナの両親?)


 そう思ったのは女性の方の目鼻立ちが、レーナとそっくりだったからだ。

 

 レーナはようやく見つけましたとばかりに、空いていた席に腰掛けると一気に身体を脱力させる。

 およそ貴族令嬢らしからぬ行動だ。


「イルゼ。こんな所で食べていたんですね」


「ん。ここはポカポカしてて、気分が良くなるから」


 今イルゼ達が食事をしている場所は、闘技場から少し離れた位置に存在するカフェ“シルクレープ”。

 そのラウンジで食事を楽しんでいた。


 “シルクレープ”は世界中どこに行っても見かける有名な喫茶店だ。単価も安く、接客も丁寧な為、庶民や貴族に至るまで多くの人から愛されている。


 そしてメニューの中から何か一つ頼めば、他店で買った食べ物などを持ち込む事が出来るので、二人はありがたくそれを利用させてもらっている。


「確かにいい雰囲気ですよねー」


 落ち着いた雰囲気に加えて、ラウンジでは気持ちの良いそよ風が吹いており、まるで鳥のように自由に空を飛べるような解放感を味わえた。


 なお、このカフェを見つけたのはリリスでもイルゼでもない。

 元々サラから聞いたものだ。


 なのでイルゼ達はまあ、寄ってみるかという軽い気持ちで立ち寄ったのだが、一回訪れただけで彼女達もシルクレープの虜になっていた。


 シルクレープは主に女性をターゲットとして商売しているだけあって、年頃の少女達が思わずときめいてしまうようなメニューが多数揃っている。


 まずハーブティーの種類が豊富で、組み合わせを変えればその数は五十種類以上にものぼる。


 そしてイルゼの好物であるクッキーも、貴族でもあまり食べたことのない多彩な種類のクッキーが用意されていた。


(どれもおいしい)


 シルクレープ印のクッキーをコンプリートしたいイルゼだったが、それには他の店舗を回る必要があった。残念ながら今すぐにもいうわけにはいかない。


 何故なら店舗によって、少しずつメニューが違うからである。これもシルクレープの戦略、特徴の一つである。


 なのでイルゼのように、全ての種類のクッキーを味わいたければ色んな店舗を回って金を落としてこいという事なのである。


 こういう緻密な計算の元、シルクレープの市場規模は世界に拡大したのである。


 家族三人分と従者達の注文を終えたレーナが改めてイルゼ達と同じ席に座る。


 その傍らにはニコニコ顔の両親も座っていた。


 父が倒れた後、狂ったように家の事ばかりに精を出すようになったレーナは恋愛などはおろか、友人一人いなかった為、そんな娘に友人が出来たのがよほど嬉しいのだろう。


「二人に両親を紹介したくて、随分探し回ったんですよ」


「ごめん。行き先を告げとくべきだった」


 しゅんと頭を下げるイルゼに、レーナは慌てて手をぶんぶんと振るう。


「いえいえ、事前に伝えなかった私が悪いんですよ! イルゼが気にする必要はありません」


 本当はサチにも会って欲しかったんですけど……と言葉を漏らすレーナに、イルゼも確かにと同調する。


 異国の侍少女など、滅多に会えるものではないのだ。


「イルゼはサチがどこにいるか知っていますか?」


 そう聞かれたイルゼは、リリスの方を向き、目を点にした。


「…………」


 パクパクパクとリリスが素知らぬ顔で巨大なパフェを食べていたからだ。


 それも器の数からして、三つ目である。


 イルゼの視線に気がついたリリスは、ハッとなると一応話は聞いていたのか、知らぬ知らぬと首を横に振った。


「ごめんね。サチがどこに行ったのか私たちも知らない」


 イルゼの試合が終わった直後、少し空けるでござると言ってどこかへ行ってしまったきりまだ戻ってきていなかった。


 イルゼとレーナの試合が始まる頃には戻ってくるとは思っているが……心配である。


「そうですか……なら仕方ないですね。イルゼ達だけでも紹介させてもらいましょう。今、大丈夫ですか?」


「ん、平気。リリスも大丈夫だよね?」


 その言葉には含みがあった。まるで大丈夫じゃないって言ったら許さないよとでもいうように。


「だ、大丈夫なのじゃ」


 リリスはパフェを食べるのをやめ、慌てて居住まいを正すと、レーナ達の方に身体を向ける。


 その際に、レーナの母親に食べたままでもいいわよと言われたことが、魔王として少し恥ずかしかった。


(昔の余だったら、ここまで甘い物は好きではなかったんじゃが……いつも近くにいる甘い物好きの影響やもしれんな)


 熱さででろんと溶け始めるパフェを横目に、リリスはそんな事を考えていた。


「それじゃあ父上、母上。こちらがイルゼで、こっちがリリスです」


 紹介された二人は軽く会釈する。


「ん。紹介にあたりましたイルゼです。レーナのご友人をさせて頂いています」

 カタコトに近い、微妙な敬語だった。


「うむ、レーナの生みの親よ。くるしゅうない」

 リリスはリリスで、腕を組み、無駄に偉そうにしていた。


 そんな一風変わった二人に、両親は笑顔で彼女達の手を握る。


 少し変わっているとはいえ、勉学ばかりに励んでいた娘に友人が出来たことが素直に嬉しいのだ。


 それに変わり者の娘には、変わった友人があっていると思ったのだろう。


 それを理解しているからこそ、レーナは小っ恥ずかしくて握手を交わすイルゼ達を直視出来なかった。

  


 これはあとから聞いた話だが、久しぶりに体調のよくなった大事な娘の試合を見守りたい父親と、最近よく娘の話に出てくる新しい友人に興味を持った母親が、今朝突然自分達も行くと言いだして、無理について来たのだ。


 もちろんレーナは体調がまた悪くなったらと心配して止めたが、両親の性格は娘である自分が一番分かっている。

 こうと決めた両親は絶対に考えを曲げない事も理解していた。


 なので仕方なく、両親を連れてくる事にしたのだ……。


 本当は両親に友人を紹介したり、試合を見られるのは死ぬほど恥ずかしかったが、ここは大人の女性として我慢した。


 その後レーナの両親と仲良くなったイルゼとリリスは、彼女の家に遊びに行ったり、世界中のシルクレープのスイーツめぐりをしたりするのだが……。


 それはまた別の話である。

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