第82話 勝利 そして治癒魔法師
「――っ〜〜!?」
少女の愛剣が彼の上腿に深々と突き刺さる。突如自分を襲った激痛に、彼は声にならない声を上げた。
「ん」
イルゼは機械的に剣を引き抜くと、男をそのまま場外へと蹴り飛ばす。
「ぐぅっ……」
勢いよく壁に打ち付けられた男は、再び起き上がる事なく、そのままかくんと首を落とした。
――手加減はした。
致命傷にはならない箇所を狙ったので、死ぬ事はないだろう。
それで死ぬというのなら彼は運が悪い。
男の気絶を確認し、審判によってイルゼの勝利宣言が下されると会場は大いに沸いた。
『
『天使様ーー!!』
『イルゼお姉様ぁぁーーー!! 素敵ですぅー!!』
あちこちからイルゼを称賛する声が上がる。
やり過ぎたかと思ったが、観客の反応からどうやらそうでもないらしい。
(ん。大丈夫そう。これならリリスに怒られない)
武闘会に怪我はつきものだ。最低限のルールは設けられているが、武闘会に参加する以上怪我は自己責任である。
観客からは見えない位置で敗者の治療が行われている。そして遠目から彼がパチリと目を覚ましたのを確認して、イルゼはほっと胸を押さえ、舞台を後にした。
今までのイルゼであったら、他人の心配などしなかっただろう。
しかし彼女自身にその自覚はないものの、彼女は着実に第二代国王に“剣聖”として矯正される前の健気な少女に戻りつつあるのだ。
「な、なぁ、あんた。今どういう状況なんだ?」
目を覚ました男は、何があったのか分からないという風に辺りをきょろきょろと見渡し、自分に治療を行う治療師に声を掛ける。
「端的に言うと貴方は負けて、治療を受けています」
治癒師の淡白な物言いに、彼はそれはどういう事かと声を荒らげ彼女に掴みかかろうとするも、すぐに周りの者達によって取り押されられる。
彼女はそれに対して特に驚く事なく、動かないで下さいねとだけ言い、面倒くさそうに男の右目を確認する。
「俺が……負けた?」
大人しく治癒師の診察を受けながら、男はあのような小娘に負けた事が信じられないとばかりに呟き、唇を噛みしめる。
「……異常なし」
左目の確認も終わり、特に異常は見当たらない。瞳孔は正常だ。それに自分に怒鳴り散らすくらい元気があるなら大丈夫だろうと治癒師は結論づける。
治癒師は少し怒っていた。
「記憶の欠落が見られますが、それは一時的なものでしょう」
診察の結果を医療班に伝え、彼等に男の後任を任せる。
彼は数分前までの記憶が欠落していた。おそらく壁に強く頭を打ちつけた時によるものだろう。
そのせいで彼は自分の負けを認められないらしい。厄介極まりない。
「応急処置は終わりました。彼を医務室に」
治癒魔法で応急処置を行った後、彼は医療班によって医務室へと送られ、そこで詳しい検査、処置が行われる。
魔法は万能ではない。
表面上の傷は癒えても、後々調べると骨に微細なヒビが入っていたなどの事例が絶えない。なので精密検査は必須だ。
魔法の使い手が悪いというわけではない。
そもそも治癒魔法を使える者自体少ないのだ。そして治癒魔法の練度も経験と才能に左右される。
その点、彼を治療した治癒師は毎年この時期になると呼ばれる為、他の治癒師よりは練度は高かった。
しかし、朝から晩まで敗者の面倒を見るというのは少し堪えるものがあった。今しがた治療した男のような者は少なくない。大抵は負けて悔しがっている為、冷静ではない者の方が多いのだ。そうなると必然的に血の気が多くなり、少しの事で興奮しだす。
(……来年は断ろうかしら)
尚も負けを認めず暴れる男を見て、彼女はそんな事を考えていた。
しかしそれは無理な事だと早々に諦める。
ウルスクでの武闘会。これはもはや自分の仕事になりつつある。
ギルドお抱えの治療師も含め、治癒魔法師達は全員神殿から派遣される。
神殿とは治癒魔法を教える機関の総称である。
神殿は各地に存在するが、神殿に入る為には多大な努力が必要になってくる。
まず初めに魔法適性がある事。魔法適性がなければそもそも魔法を扱えない。
ここで殆どの者が振るい落とされる。
次にある程度の魔力量がある事。
たとえ適性があったとしても、魔力量が少なければ他人の命の前に、自身の命が危うくなる。
治癒魔法は通常の魔法よりも多くの魔力を使用する為、規定より魔力量が少ない者も扱う事は出来ないのだ。
そのようにして、毎年志願者達の中からごく少数の者が選ばれ、神殿に入る事が許される。
そこで3年間きっちり学び、神殿から治癒魔法師と認められると各地に治癒師として派遣される。
派遣先での待遇は大抵好待遇であり、その給金も高い。普通に働いていたら手にする事の出来ない額を得れるのだ。
その分仕事はハードだが、彼等は人の命を救う事にやりがいを持っている。欲に溺れるような者は数少ない。
それもこれも、神殿が選考の時点でそういった志を持っている者達を選び抜いているからである。
(まさか本当にあたしが選ばれるとはなー)
彼女は遠い日の事を思い出す。
治癒師になれれば将来は安泰とまで言われていた。
運が良ければ貴族とも結婚できるのだ。なので当然、人々からの人気も高かった。
それくらい治癒師の道は、エリート街道まっしぐらなのだ。
治癒魔法師になるのには、平民も貴族も関係ないので出世の為にと田舎を飛び出す若者も多くいるが、その大半は適性検査で落ちてとぼとぼと帰ってくる。
割合でいえば約9割が落とされる世界だ。期待するだけ無駄だと割り切る者もいる。
彼女もその内の一人であったが、見事に合格し、暫くは一緒に受けた周りの友人達にとやかく言われる日々が続いた。
(……あぁまた次の人が来たわ。たまにはむさ苦しい男の人じゃなくて可愛い子の治療をしてみたいわ)
と心中で呟いてみるも、何かが変わるわけではない。彼女は諦め半分に、治療師として怪我人の治療に向かうのであった。
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