第81話 大会二日目
――武闘会二日目。
「ふぁーあ〜」
大きな欠伸が一つ。イルゼはむにゃむにゃとリリスに寄りかかりながら歩いていた。
「イルゼ、眠そうじゃの」
「んぅー……」
やれやれと肩をすくめ、銀髪の少女を支えて歩く魔王は、いつもより一段と幼く見えるイルゼを見てにんまりと笑う。
隣にサチがいなければ、おでこやほっぺ辺りにキスをしていただろう。
(二人きりでないのが残念じゃ)
これは最近気が付いた事なのだが、起きたばかりのイルゼは基本何をされても無関心で、それを甘んじて受け入れていた。そしてすっかり目が覚めた頃には、リリスに何をされたかなんて憶えていないという都合のいい仕様をしていた。
「イルゼ殿は、本当に朝に弱いでござるな」
数日一緒に過ごしたサチからもそう明言される。今のイルゼは、まるで二日酔いのような状態であった。
「今日の朝は一段と酷かったからのうー」
カクンと大きく寄りかかってきたイルゼを支えながら、リリスは今朝の出来事を思い返す。
◇◇◇
『ほれ、口を開けるんじゃ』
『んー……』
あーんと可愛い口を開けたイルゼに、リリスは朝食を放り込んでいく。イルゼの一口はリスやウサギのように小さい。故に、食べるのにも時間がかかった。
『んぐんぐ……ぐぅー』
『ぬおっ!? 目を離した隙にまた寝おった。これ、起きるんじゃ!!』
ゆさゆさと揺さぶられ、彼女はハッと再び目を覚ます。
『今リリスに、怖い顔で起こされる夢みた』
『それは現実じゃ!!』
食べ終わった後は歯磨きだ。今日は仕方なくリリスが磨いてやった。
『ぶくぶくぶくぶくっ』
『早くうがいせんかっ!』
◇◇◇
この数日間の間で、今朝がイルゼにとって一番苦痛だった。まず起きる時間がいつもの起床時間より二時間ほど早い。
この時点でイルゼのやる気は完全に削がれた。
そして昨日くたくたになるまで屋台を回った疲れが取れず、今日のイルゼはとにかく憂鬱だった。
起床の条件は他の二人も同じなのだが、平素から寝覚めの良いリリス達にとって、早起きはそれほど苦痛ではない。むしろ晴々とした気分だった。
「むむむっ!」
寝起きなので、面倒くさいからという理由で変身魔法を使用していない為、イルゼ達の容姿を知っている者達が当然のように寄ってくる。
だが、彼女達に話しかけようとする者はいない。
銀髪の少女の隣で、スタイルの良い黒髪の美少女が目を光らせていたからだ。
リリスはイルゼに悪い虫がつかないようにとイルゼの肩を抱き、密着した状態で通りを歩く。
「イルゼは誰にも渡さんぞッ!」という強い意思がひしひしと感じられ、野次馬達が近付く事はなかった。
リリスのお陰というより、二人の後ろにいたサチが、真顔で刀の柄に指をかけているお陰だったのかもしれないが……それは本人の預かり知らぬ話だ。
「イルゼには後で感謝してもらわんとな」
◇◆◇◆◇
「あれ、もう会場?」
「ようやく目が覚めたか」
会場に着き、リリスにもたれかかりながらベンチで休んでいたイルゼがふと目を覚ます。
「もうすぐサチの試合が始まるぞ」
「もうそんな時間? リリスはまた陛下の所にいっちゃうの?」
「ぬぐっ」
寝起きだからなのか、うるうるとした瞳でこちらを見つめてくるイルゼに、リリスは食べ物とイルゼを天秤に掛け、イルゼが勝った。
「まあ、お主がどうしてもいて欲しいというならいてやってもいいぞ」
あくまで仕方なくいてやるという風を装う魔王。実は近くでイルゼの試合を見れることが嬉しかった。
「ん、ありがと。じゃあ今日は下に降りてて。そっちの方が近いから」
「うむ、分かった。その前に通信機を貸してくれ。国王様に連絡しておく」
「ん」
イルゼから渡された通信機で手短に用件を伝えると、アークは念の為にと近衛兵を二人送ってくれた。
忘れてはいけない。いくらリリスがポンコツであっても彼女はまごう事なき魔王なのだ。
彼女を狙うオメガの使徒が、会場内に紛れていたとてなんら不思議ない。
そう再認識させられたアークだった。
(一応、イルゼが目を離す間の監視と護衛の意味も兼ねてここに招待したんだけどね……まあ、しょうがないか)
アークの目下では、サチの試合が始まろうとしていた。
「さあ、いくでござるよ」
「おう。かかってこい」
サチが鈍色の柄がついた刀を振り抜くと、巨漢の男に向かって走る。対する男はその太い腕を地面に突っ込み、周りの地面ごと床を抜く。そしてくり抜いた床をサチに向かって投げつけた。
「せいっ!」
投げつけられた床をサチは真っ二つに両断する。彼も怯む事なく次々と舞台の床を破壊し、舞台全体を武器として扱った。
彼女の試合が終わる頃には、舞台の上はクレーターだらけだった。あちらこちらに穴が空いている。
「なかなか楽しめたでござるよ」
カチャリと鞘に刀を仕舞う。結果はサチの圧勝だった。
巨漢の男は奮戦したものの、彼女に何一つダメージを与える事は出来ず、体力切れを迎えた所で首元に刀を突きつけられ降参した。
「サチおつかれ」
「おつかれなのじゃ」
舞台から戻ってきたサチを二人で労う。そこまで疲れた様子はなかった。まだ本気ではないのだろう。
「イルゼ殿。リリス殿。ありがとうでござるよ」
「次はレーナのところへ行こ」
「ぬぁっ! 危ないから引っ張るではない」
「すっかり本調子でござるな」
イルゼに引っ張られながら、リリス達はレーナの元へ向かった。
◇◇◇
レーナも好調に決勝への駒を進め、レーナの試合が終わって少ししてイルゼの試合がやってくる。
この試合に勝てば、先に駒を進めたレーナと準々決勝で争う事になる。
対戦相手は若い男だった。
彼は対戦相手であるイルゼを見て、不遜な笑みを浮かべる。
(へへ、ラッキーだな。俺の相手がこんな小柄なガキとは。俺の見ていない間に大層は二つ名が付けられたらしいが、ここいらで退場してもらおう)
この男は昨日の試合で、自分の試合が終わると他の試合を見る価値はないからと早々に会場を立ち去った男であった。
なので当然のことながら、イルゼの試合も見ていない。
だからこそ不遜な笑みを浮かべられていた。
(上手く力の差を見せつければ、俺に惚れるかもしれねぇーな。俺好みの顔だしな)
「へへへっ」と下心丸出しにして笑う。同じ頃、イルゼはブルっと震えた。
(……なんか今、ゾクっとした)
腕には自信があった。しかし彼には二つ名がなかった。
なので、自分よりいくつも年下の少女が先に二つ名を賜った事が羨ましかった。
(地面に醜く這わせて、もうやめてと懇願するまで屈辱を味合わせてやるよ。これが本当に二つ名持ちの力かってな。そうすりゃ俺だって……)
彼が二つ名をつけられない理由はもう一つある。それは――特異性の欠陥。
強豪と呼ばれ、二つ名が付けられる者達の殆どは他者にはない唯一無二の特徴を持っている。
それに比べ、彼の戦い方は平凡なもので、特徴と言えるべき物を何も持っていなかった。
故に彼はイルゼを倒す事で二つ名を得ようとしていた。彼の考える二つ名はネームドキラーだ。
「いくぞ白閃姫ッ!」
「ん」
イルゼの試合が始まると、会場のどこからか見知った声が聞こえてきた。
(この声は……アデナとネル?)
「イルゼーー!! 頑張ってーー!!」
「優勝したら、私のお姉ちゃんと代わってくださーーい!!」
耳を澄ませば姉妹の声が聞こえてくる。沢山の人の声が混じる中、イルゼは二人の声だけを正確に聞き分け二人の位置を割り出す。
(あ、いた)
リリス達がいる場所と丁度反対側の位置に彼女達はいた。
アデナは行儀良く座っており、隣には両親の姿もある。ネルは座席には座らず立って応援していた。
「ネル! 今のどういう意味!? 私とイルゼが何を代わるって?」
「言葉通りの意味です〜! お姉ちゃんを美人で頼りになるイルゼお姉ちゃんに代えてもらうんです」
「お姉ちゃんが頼りにならないって言うの!?」
「そう言いましたよ〜」
今日も姉妹二人はとても仲良しだ。取っ組み合いをしている光景が下からでもよく目立った。
(ん、喧嘩するほど仲が良いって陛下が言ってた。私も、リリスと昔大喧嘩してたから仲いいはず?)
イルゼの指す喧嘩とは、五百年前の殺し合いの事を意味する。リリスが聞いたら言葉の意味もそうだが、その感性に卒倒する事だろう。
イルゼにとって、リリスとの死闘は喧嘩程度にしか感じていない。
彼女は命令されて戦うのであって、そこに自分の意思はなく、向かってくる魔族達にただ剣を振るっていただけで彼等はバタバタと死んでしまった――といった印象だった。
もちろん自分から積極的に動いた事もあったが、意外にも五百年前のイルゼが意識して誰かを殺した事は少ない。
基本は受け身で、自分に向かってきた魔族を斬ったら呆気なく死んでしまったというだけの話。
なのでそこそこ戦えた暴虐の魔王リリスは、イルゼにとって勝ちの決まった喧嘩という認識だった。
なにせ万全の状態のリリスでも、イルゼとの力の差は歴然であり、リリスが初めて勝てないと思い知らされた相手だからだ。
リリスは他の魔族と違い一方的にやられるわけではないにしても、イルゼに目立った外傷を負わせる事は出来なかった。
リリスが命を賭けイルゼに挑んだのにも関わらず、リリスはイルゼと同じ舞台にすら立てていなかったのだ。
――魔王が手も足も出ないほど、イルゼは強い。
イルゼは自分に敵対する者、リリスに手を出そうとする者には容赦ないが、自分達に親切にしてくれる人には優しい。
未だ人を殺す事に躊躇いはないが、オメガの使徒の一人デュークを殺す時に、イルゼは一瞬だけ躊躇った。
――本当に殺すべきなのかと?
イルゼも少しずつ変わり始めているのだ。
(二人の応援に……みんなの応援に応えなきゃ)
会場でどよめきが上がる。
リリスやサチ、特別席で見ていたアーク達も目を開いていた。
この大会でイルゼが初めて剣を抜いたのだ。
「ん。ちょっと本気でいくから、頑張って――」
「はっ――?」
地面を強く踏みしめたイルゼが一瞬で消え、彼の背後をとった。転移魔法だ。
「手加減はする。でも死んだらごめん」
すぐ側から彼女の声が聞こえる。全身の毛が逆立ち、彼は生まれて初めて死の恐怖に襲われた。
――あの少女は同年代に比べて強いが、自分の敵ではないだろう。
その考えがどれだけ甘かったか、どれだけ見当違いのものだったか彼は思い知らされた。
彼女の愛剣が彼を貫いた。
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