第80話 変装 そして夜
波乱を呼んだ大会一日目の日程は全て終了し、観客達もぼちぼち帰路に着き始める。イルゼ達もその中に混じって宿へと向かっていた。
――試合よりも疲れた。
イルゼの試合が終わった後、サチとレーナを連れ、屋台を回ったイルゼ達は、帰る頃にはくたくたになっていた。
◇◆◇◆◇
『ぬあ! あっちにもこっちにも、初めて見る食べ物が!!』
『ん。リリス、手を離さないで。迷子になっちゃうから、それに屋台は明日もやってるから大丈夫』
『そうなのか? なら、明日もここに来ようぞ』
『ん、いいよ。二人も手を離しちゃだめだよ』
『はい……』
『分かってるでござる』
手を離すと絶対迷子になるから理論で、半強制的に手を繋がされた二人は、お互いに結ばれた手を見て笑い合う。
――ちょっと恥ずかしいね、と。
前を歩く二人は、堂々と手を繋いでいる。それも恋人繋ぎだ。あそこまでは出来ないが、離れない程度にはしっかり繋いでおこうと、二人はぎゅっと手を握った。
◇◆◇◆◇
馬車で帰るレーナと別れ、屋台で買ったりんご飴をぺろぺろ舐めながら歩く、黒髪ロングの美少女リリス。同じく黒髪ショートの美少女イルゼ。
その後ろには、いかにも怪しい風貌の漂う濃紺色のコートに身を包み、フードを目深に被った少女が歩いていた。
彼女は東洋の武人サチだ。
リリスはいつも通りだが、イルゼは魔法を使って変装をしている。彼女達には、街中で変装をしなければいけない事情があった。
サチもまた、変装をしている。イルゼに比べるとお粗末な変装だが、意外にもバレていなかった。
(拙者の変装は、やはり一流でござるな)
逆に彼女を避ける者の方が多かった。
それはこの時期になると、荒くれ者の冒険者や怪しい業者が増える事に関係していた。そういった者達には関わりたくないというのが、市民の本音だ。
(良かった……もう、誰も絡んでこない)
何故イルゼ達が変装しなければならなくなったのか、これにはあるわけがあった。
◇◇◇
みんなで屋台に向かう前、イルゼは一人呼び出され、アークと話をしていた。
それはレーナについての話だった。
「レーナ君の事は僕に任せてくれ。近衛騎士団から何名か護衛をつける。彼女を一人にしておくと、良くない連中が彼女の力を利用しようとするからね。
「私もその方がいいと思います」
今日の試合で、レーナは古代魔法がどれほど凄いのかを実践形式で体現した。それにより人々のレーナを見る目が、奇異の目から憧憬へと変わった。
それだけなら良い。
だが、レーナとレーナの古代魔法に戦争兵器として利用価値を見出した者達が、彼女と彼女の持つ知識を手に入れようと押し寄せる事は確定的だった。
「この事は当人には内緒にね」
「はい」
本人に護衛が付いたことを知らせないのは、アークなりの配慮だった。一端の貴族であるレーナに他国の近衛兵が付いてると知れば、彼女のコンディションが悪くなってしまうと考えたのだ。
「イルゼー! 何をしておる? いくぞー!!」
「ん! 今いく」
リリス達に呼ばれ、そちらへ行こうとしたイルゼをアークがもう一度引き止める。
「あとイルゼ」
「はい」
「帰り道は野次馬に気をつけるように」
「はい……?」
アークの言った言葉の意味が分かったのは、それから暫くしてからの事だった。
◇◇◇
「天使様ー! こちらを向いてください!!」
「白閃姫、手合わせ願いたい」
「サチ様ー! 握手して下さいっ!!」
アークの言葉通り、屋台の通りから出た瞬間大勢の人に声をかけられた。老若男女問わず、幅広い年代の人がイルゼ達に押し寄せる。
大会の規定で、会場内で観客が選手に接触する事は禁止だが、会場外ならその限りではない。
という事で、今日の試合で見事な立ち回りを見せたイルゼとサチには多くの人が集まっていた。
彼女達のファンもいるが、その殆どは野次馬である。
馬車で帰ったレーナは難を逃れたが、徒歩のイルゼ達はそうはいかなかった。
「ぬあー! 余をこけにするとは、こいつら許さんぞー!!」
輪の外にポイっと弾き出されたリリスが、輪の外側にいた観客に「余は魔王だぞ! 余の方にも寄ってこい!」と言ってその背中をべしべしと叩くが、まったく反応示してくれない。そして暫く叩き続けていると、邪魔だというようにぺっとつまみ出されてしまった。
「ぬー……もう知らん!」
自分だけ仲間外れにされ、疎外感に耐えきれなくなった魔王は、機嫌を悪くし、一人で帰ろうとする。
「リリス、待ってよ」
すると、いつの間にか、輪の中から抜け出してきたイルゼに腕を掴まれた。
「……お主、イルゼか?」
「そう。ちょっと魔法で変装した」
目の前にいたのは、自分とそっくりの黒髪の美少女だった。なので一瞬分からなかったが、それは紛れもないイルゼだった。
瞳の色は変わっていないので、辛うじてイルゼだと分かるが、服装から何から戦闘用のものから庶民のものに変わっている。
「のう、その服は……」
「魔法で見せてるだけ。実際は変わってない」
「な、成る程のうー」
リリスには、イルゼの服が魔法によるものだとは見破れなかった。胸元あたりを触ってみると、確かに硬い。
「拙者も一目見た時は、分からなかったでござるが、よく見たら魔法で擬態していたのでびっくりしたでござる」
「リリスは分からなかったの?」
ドキッ!
リリスの肩が小さく跳ね上がる。
「ま、まさか! 余が分からないわけなかろう。最初から気付いておったわ!!」
イルゼは目を細め、じっーとリリスを見つめる。対するリリスは冷や汗たらたらだった。
やがてイルゼが、ふぅーと息を吐く。
「ふーん……そう。じゃあ帰ろ」
「じゃなじゃな!!」
バレたのではないかと内心ドキドキなリリスであったが、なんとか誤魔化せたと額の汗を拭う。
後ろを振り返ると、イルゼ達がいた場所に先程よりも多くの人が集まっていた。
「そういえばお主達は、あの輪の中からどうやって出てきたのじゃ?」
「身代わりの術でござるよ」
「?」
「ん。サチの技、すごかった」
サチによると、自分と対象を入れかれる技だというが、リリスにはどんな技なのか想像もつかなかった。
そしてサチのいた国ではそれは技ではなく、術と呼ばれている。
それも魔法かと聞くと、身代わりの術は技能であると明言された。
「イルゼ殿も上手かったでござるよ」
「ありがとう」
「イルゼも使えたのか!?」
「ん。あの場で教えてもらった」
「なっ!?」
なぜイルゼも出来たかというと、あの状況でサチから口頭で一言、二言説明を受けただけで出来てしまったのだ。
才能とは恐ろしいものである。
「帰ろ」
「そ、そうじゃな……」
「なっ! 木だと!?」
イルゼ達が宿に帰り着く頃に、彼等はようやく自分たちが今までイルゼ達だと思っていたものが、実はそうではなかった事に気がついた。
◇◆◇◆◇
宿に戻ってきた三人は食事を終え、ベッドでだらーんと過ごしていた。時計を見ると、もうすぐ日が変わるといった所だ。
リリスがそろそろ寝ようと声を掛けると、イルゼが何か言いたげにこちらを見ていた。
「……ねえ、今日は頑張ったご褒美に隣で寝て」
「いつも寝てるではないか」
「ぎゅってして寝たいの」
「ぎゅっ!? ま、まあ良いが……」
つまりイルゼは自分とくっついて寝たいのだろうと、イルゼの足りない言葉を脳内で補完したリリスがしょうがないとばかりに身を寄せる。
「ほれ、これで良いか?」
「ん!」
イルゼが満足そうに頷き、リリスの背に手を回す。正面から抱きしめられ、リリスはちょっぴり恥ずかしくなった。
しばらく、リリスにすりすりしていたイルゼは、「あ」と何かを思い出したかのように声を上げる。
それは同室の少女に対するものだった。
「サチも一緒に寝る?」
「拙者は遠慮しておくでこざる。一つのベッドに三人は、流石にキツイでござるよ」
「そう? わかった」
イルゼはそれでも平気と言った顔をしているが、諸々の観点から一人で寝る方が良いと判断したサチはイルゼの誘いをきっぱりと断る。
「灯りを消すでござるよ」
「ん、おやすみ」
「おやすみなのじゃ……」
一日動いて相当疲れていたのか、三人はすぐに寝息を立て始めた。
「すーすー……」
イルゼにひっしりと掴まれたリリスは少し苦しそうにするも、足癖の悪いリリスは自分の足をイルゼの足の間に入れ込み、互いの足が絡み合うような形で眠りについた。
「すやすや……」
「すうすう……」
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