第76話 チョコの恨み そして圧勝

(この人は……)


 初戦の相手は、イルゼより二回りほど大きい巨漢だった。


 急いでいた為、名前までは見ていない。しかし、名前の横に小さく前年度優勝と書かれていた事は覚えていた。

 イルゼの対戦相手が、彼だと知った途端、観客が一斉に残念がる。すでに諦めムードだ。イルゼのような小柄な少女が、こんな大柄な男性に勝てないと思っているのだろう。

 だが、イルゼはただの小柄な少女ではない。彼女は世界を救った剣聖なのだ。


 ただ、図体がでかいだけの男に、イルゼが負ける道理はなかった。


「なんだー? 俺の相手はこんなガキか? ちっ、つまんねえな、おい。怪我したくなかったら、今すぐ棄権しろ」


 彼は自分より、はるかに小さいイルゼを見て鼻で笑う。

 こんな少女が自分を倒せるとは微塵も思っていないようだった。


 イルゼの実力を見極められていない時点で、確実に格下である。


「ん。それはお前の方。さっき私にぶつかってきたでしょ? 私、許してないから」


「あ? んなこと知るかよ。いちいちぶつかった奴の事なんざ覚えてねーよ」


「そう。すぐに覚える事になるよ」


「ああ?」


 二人が睨み合った所で、試合開始のゴングが鳴る。


「いいぜ、特別に斧は使わないでおいてやる。その代わり、その華奢な身体に俺の拳を叩き込んで調教してやるよ!」


「ん。やってみろッ!」


 鳴った瞬間イルゼは動いた。剣は抜いていない。使う必要もないからだ。


 男の初速はあまりにも遅すぎた。


 イルゼから見た世界では、時間が止まっているかのように見えた。実際は止まってなどいない。単にイルゼが速すぎるだけなのだ。


 イルゼはチラッと、リリスのいる特別席に目を向ける。


(ん。良かった。リリスしっかり私のことを見てる)


 リリスのいる特別席と、イルゼの立つ闘技場の舞台とはかなり距離が離れているのだが、イルゼの視力は異常といえるほど良かった。


 この距離からでも、リリスの些細な動きまでよく見える。


 リリスは皿を抱えて、こちらを見ていた。垂れかかったよだれまでよく見える。アークが隣で、そのよだれを拭いてやるのも見えた。


――あ。


 リリスもイルゼがこっちを見ている事に気付いたのか、遠く離れているのに、彼女と目が合った気がした。


――ん。


 リリスを見たまま、イルゼは男の元に突撃すると、みぞおちに重いのをくれてやった。


「ぶべっ!?」


 イルゼの拳を喰らった男が、でーんと場外に吹っ飛ぶ。飛ばされた男は足をヒクヒクさせた後、動きを止めた。


(ぬぁ! こうなるとは想像していたが、蓋を開けてみればやはり圧勝じゃのう)


 人間になっても、動体視力だけは良かった魔王は、イルゼが何をしたかくらいは理解できた。しかし、それを今の自分が出来るかと言われたら、答えはノーだった。


「え?」


 静まりかえる会場。観客達も何が起きたのか、分かっていない様子だった。もちろん、場外に出た男の負けである。


 しばらくして、実況が我に返ったのか、マイクを強く掴む。


「な、なんという事でしょう!! 優勝候補であったアラクイが、一瞬の内に倒されてしまいました。こ、これは凄い番狂わせだー!!」


 実況の声で、はたと現実に戻ってきたのは観客ではなくイルゼだった。


 審判も遅れて白旗を揚げる。


 場外で大の字に寝そべった男は、実況によるとアラクイという名前だったらしいが、イルゼにはそんな事どうでもよかった。


 大男の名前などより、一発で終わってしまった事に、銀髪の少女は嘆いていた。


 実況がマイクを持って立ち上がり、イルゼの勝利を興奮した様子で伝え、会場を沸かせる。


 対するイルゼは、勝利したのにも関わらず、勝利の余韻に浸るどころか、今しがた倒した男を冷めた目で見つめていた。


(思ってたよりもずっと弱かった。かなり手加減したのに一発で気絶しちゃった)


 イルゼは消化不良とでもいうように、男に近づくと、その顔面に踵をめり込ませた。


「ぐぶふっう!?」


「今回はこれくらいで勘弁してあげるけど、次やったら許さないから」


 分かった? と声をかけるも、男がその状態で返事を返せるわけなく、返事をしなかったという事で、イルゼにもう一度踏まれる。


「ぐべべっ!」


 見ていて不憫に思える程の扱いだった。


 イルゼが男を折檻していると、実況の元に一枚の紙きれが置かれる。

 その紙きれを読んだ実況は、興奮気味に立ち上がると何が書いてあったのかマイクを通して観客に伝える。


「なななんと! 今しがた入ってきた情報によると、アラクイを倒した少女は、人類を魔族から救った剣聖の生まれ変わりだと噂の、Sランク冒険者イルゼという事が判明しました。これはダークホースです。可愛い上に強い! 彼女には、このまま優勝までいってほしいですよね。そうでしょう皆さん!?」



「「「「おおおおおおおぉぉー!!」」」」



 闘技場で今日一番の歓声が上がった。実際は生まれ変わりなどではなく、本人なのだが……彼等はそれを知らない。


 この日、ウルクスに住むほとんどの人に、イルゼの強さが知れ渡った。

 同時に、その強さは、この武闘会を見に来ていた大陸の強者達を全員唸らせる程であった。


◇◆◇◆◇


 イルゼの後に、続いたのはサチだ。彼女もまた、圧倒的な力で対戦相手を下した。



「安心せい、峰打ちでござる」



 一撃で相手を沈めたサチが、カチャリと音を立てて刀を鞘に収める。

 名の知れぬ対戦相手の彼には、侍少女がいつ刀を抜いたのも分からなかっただろう。それくらい彼女の一刀は速かった。


「こちらもまた、初参加の少女が勝利をおさめたー!! 異国の少女がどこまでゆくのか、楽しみになって参りました!! さあさあ次は……」


 サチもイルゼほどではないが、かなりの人気を博していた。

 それは当然の理である。誰だって、むさ苦しい男を応援するよりかは、可愛い子を応援したくなるものだ。


 サチが控え室に戻ってくると、イルゼが足をぷらぷらさせながら机に腰掛けていた。


「あ、サチおつかれ」


「イルゼ殿も見事だったでござるよ」


「むー、私は満足してないんだけど」


 イルゼは悔しさに頬を膨らませる。


 顔面を踏んだ後も、本当はもう2、3発殴りたかったのだが、リリスや他の人が見てる手前、それは諦める事にした。


 あんまりやりすぎると、後でリリスに叱られてしまうからだ。


「それにしてもレーナ殿、遅いでござるな。もう控え室に来てもいい時間でござるに」


「ん。たしかにそうだね。さっきから私も待ってるんだけど……」


 きょろきょろと辺りを見渡すも、レーナが来そうな気配はなかった。


 今回の武闘会の参加者は64名だ。順当に行けば4回戦でレーナと当たることになっている。順当に行けばだ。試合そのものに出なかったら、もちろん棄権とみなされる。


「ねえ、サチはレーナの事見た?」


「んーそういえば、拙者も、今日はレーナ殿を見かけてないでござるな。馬車が止まっているのは見たでござるが……」


 うーんと、腕を組んで考え込むサチも、レーナの事を見ていないようだった。


(早くリリスの所に行きたい所だけど……今は)


 せっかくの休憩時間だ。次の試合が始まるまでの間に、リリスの所に行って、先程の試合の感想を聞きたい所なのだが、イルゼにとって、レーナが来ない事は問題だった。


 彼女は、今大会でもかなりの実力者に入る。イルゼとしては、古代魔法を扱うレーナと一度は戦ってみたかった。

 この機を逃せば、今後、彼女と本気で戦える日が来ないとも感じていたからだ。


(きっと、レーナが本気で戦う日なんて、今回くらいしかない。どこにいるのレーナ? 試合が始まっちゃう)


 レーナの試合開始まで、あと30分を切っていた。


「私、ちょっと行ってくるね」

「拙者もお供するでござる」


 会場には来ている筈だ。もしも来ていなかったら、彼女の家を知らないイルゼ達にはどうしようもない。


 居ても立っても居られなくなった二人は、その足で控え室を出ると、レーナを探しに駆け出した。

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