第75話 年に一度の武闘会

「リリス、じゃあまたあとで」

「うむ。余は上から、しっかり応援しててやるからな」


「ん。みてて。あ、食べ物に夢中になってたら、許さないから」


「ぬっ、努力はしよう……」


 サッと視線を逸らすリリスに、イルゼがぷうっーと頬を膨らませる。

 努力しようとは言ったものの、王族に出される料理を彼女が我慢出来るかと言われたら…………――出来るわけがなかった。


(どんな料理が出てくるのか、今から楽しみじゃのうー。肉料理が沢山出てくるといいのじゃが)


「むぅ。リリス、今絶対食べ物のこと考えてた」


「あひゃひゃ、いるへはなひてくへ」


「ぜったい! わたしのことみてて!!」


 微妙にニヤついていたリリスのほっぺを引っ張り、もう一度、強く念を押す。


 もはや脅迫に近い。


「それじゃあリリス君は預かるよ。ロイヤルガードもいるから、心配はいらない」


「はい。ですが、何かありましたら、すぐに飛んで行きますのでご安心下さい」

「それは安心だね。でも、そのもしもの時があったら、僕よりリリス君の方を優先してくれ。命令しないとだめかな?」


「いえ、元より今の私の役目はリリスの護衛ですから、そのつもりです。しかし……」


「うん。そんな事は起きないから大丈夫だよ。ネリアも今日を楽しみにしてたんだ。王国代表として、絶対勝ってくるんだよイルゼ」

「はい、陛下」


「ほれ、国王様! 話が済んだのなら早くゆこうぞ!」

「ああ、分かったよ……まるで手のかかる娘が一人増えたみたいだ」


 アークはリリスに引っ張られながら、特別席に向かった。


 リリスの口元には、よだれが見え隠れしていた。


 よほど料理が楽しみらしい。


 二人の後ろには近衛兵がピタリと付いてきている。この近衛兵達は、イルゼ達の事情を深くは知らないが、ある程度の情報は与えられていた。


 何かあった時は、リリスの事もしっかり守ってくれるだろう。


 二人を見送ったイルゼは、闘技場周辺をきょろきょろと見渡す。


 今日は武闘会当日である。屋台も多く出ており、人の出入りも、イルゼ達が初めて訪れた時と比べて比べものにならないほど多くなっていた。


 この三日間の間に、多くの人達がウルクスにやってきたのだろう。


(あとで、リリスと屋台を回ろう)


 サチは早起きして、先に行っていると部屋に置き手紙が残されていた。何度起こしても起きようとしないイルゼとは違い、規則正しい生活を送る彼女の朝は早いのだ。


 りんご飴をぺろぺろと舐めながら、イルゼはレーナの姿を探していた。


(どこにいるんだろう……)


 もう会場周辺には来ている筈なのだが、もしかしたら、一足先に会場に入っているのかもしれない。


 第一、人が多くて、ここでレーナを捜すのは困難だった。


(くるしい……)


 人の波に押されて、おしくらまんじゅう状態のイルゼ。その手には、紙袋がぶら下げられていた。


 これはイルゼとリリスが作ったチョコレートの余りだ。彼女達のチョコはそれなりに好評で、二つ同時に食べる事が良いとされていた。


 イルゼとしては、それぞれのチョコを味わって欲しかったのだが、何故かそれだけは勘弁してほしいと言われてしまったのだ。


(不思議。みんな二つごと食べたがる)


 紙袋の中には、イルゼのチョコが多めに入っていた。初めは同じくらいの量だったのだが、こっちのチョコの方が最終的には多く残ってしまった。


 皆によると、形の整ったイルゼの美味しいチョコは、食べるのがどうも惜しくて自然と残ってしまったらしい。


 袋の中には、レーナ用に包装したチョコが入っている。チョコが熱で溶けてくる前に、渡したいのだが、肝心のレーナが見つからず困っていた。


(まあ、向こうに行けばいるよね)


 やっと人混みから抜け出したイルゼが、一気に走り抜けようとすると、横から猛然と走ってきた男にぶつかられた。


「いたっ!」


 突然の事に、イルゼは思わず尻餅をついてしまう。


「よそ見してんじゃねえよ、くそガキ!!」


 男は急いでいるのか、イルゼに手を貸す事なくそのまま行ってしまった。

 もちろん自分をガキと言い捨てた男の手など、借りるつもりは微塵もなかったが。


「むっ……」


 今日が大会の当日でなければ、追いかけて折檻する所だが、今日のイルゼには時間がなかった。


 もうトーナメント表は貼られている。それを確認して、所定の場所に向かわなければならない。遅れたら棄権と見做されてしまう。


「あ」


 立ち上がった所で、彼女は気付いてしまった。先程、男にぶつかられた拍子に、持っていた紙袋をお尻でふみ潰してしまった事に……。



「…………あいつ、殺す」



◇◆◇◆◇


 王族であるネリア達は、闘技場全体が見渡せる部屋で、大会が始まるのを今か今から待ち望んでいた。


 ネリアの目的はイルゼだけだ。


 イルゼに会うためだけに、付いてきたと言ってもいい彼女は、身を乗り出して、イルゼの姿を探していた。


 しかし見つからない。おそらく控室にいるのだろうと、ネリアは母親の膝の上に乗り、フルーツジュースを啜る。


 その横で、黒髪の少女が運ばれてきた料理をもぐもぐと平らげていた。


「どれも絶品じゃな!」


 美味しそうに食べるリリスを見ているのは、悪い気はしなかったが、アークには、リリスにどうしても言っておきたい事があった。


「リリス君。それを食べ終わったら少し話をしないか?」


 アークの真剣な眼差しに、リリスも一旦食べる手を止める。


「ん、それは良いが、娘も妻もいるのにいいのか? 大事な話なのだろう?」


「構わないよ。ネリアの面倒は妻が見てくれるし、そんな大層な話じゃない」


「んむっ、そうか……」


「……大層じゃない話って言った瞬間、食べるのはやめてほしい」


 魔王の手は、すでに次の料理へと伸びかけていた。


 リリスが黙々とご馳走に手をつける中、会場では順調に予選が進んでいた。


 リリスはそんな事には、興味はなしとばかりに、口一杯に肉を頬張っている。


「んぐんぐ、これは良い肉じゃ!」


 次の肉を口に放り込もうとした所で、今日一番の歓声が聞こえてきた。それはネリアも例外ではなかった。


「イルゼお姉様だーー!! リリス、イルゼお姉様出番ですよ!!」

「だから、余を呼び捨てにするでない!」


 そう言いながらも、母親の膝で元気に騒ぐネリアの隣に肉の皿を持ちながら座る。


 ガラス越しに見える舞台では、雪のような白い髪の小柄な少女が威風堂々と立っていた。



「「可愛いーー!!」」


「「頑張ってー!!」」


「「応援してるぞー!!」」



 イルゼに向かって、数々の声援が送り込まれる。銀髪の美少女はめんどくさそうにしながらも、軽く手を振ってみせる。


「ほお、イルゼすごい人気じゃのうー」

「ふふ、それは当然です! イルゼお姉様、今回が初参加ですけど、とても可愛いSランク冒険者の女の子がいるという噂を私が流したら、この通り大人気になりました」


「お主が流したのか……」


「はい。まあ、それがなくてもお姉様の事ですから、人気は出ていたでしょうが」


 したり顔のネリアに、イルゼはふんっと空になった皿を置いて、腕を組んだ。


「ま、余が出れば、イルゼよりもっと人気が出たじゃろうがな」

「それはないと思います」


「急に真顔になるではないッ!!」


――んっ。


 イルゼの視界の端で、リリスとネリアが何か言い争っているのが見える。

 

 しかし、今のイルゼはぶつぶつと、うわごとを呟くだけだった。


「殺す、殺す。あいつ殺す」


 イルゼの機嫌はとことん悪かった。見ず知らずの男にぶつかられ、謝りもしないばかりか、自分とリリスが作ったチョコを台無しにされたからだ。


(ん? なんじゃ……? イルゼの様子が……)


 そして、リリスがイルゼの機嫌が悪い事に気づきかけた時、舞台に立つ彼女の元に対戦相手が現れた。


 対戦相手は斧を持った大男だ。


 その男を見た瞬間、リリスの中で警鐘が鳴り響いた。


(なんじゃ、この言いようのない不安は……)


 舞台に立つイルゼの口角が微かに上がり、嗤ったような気がした。


 そのまま試合開始のゴングが鳴らされた。

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