第70話 んぐ!? んぐんぐんぐ

――闘技場内 特別室



「闘技場内に、こんな部屋があったとは驚きです」


「ここは、他国の貴賓を招くために造られた場所だそうだよ」


「ほぉーん、そうなのか」


「あ、リリスさん。あんまりその辺の物に触らない方が良いですよ。高価な物が多いですから、落としたら大変です」


「ぬぉっ!? そうなのか」


 レーナの助言を聞いて、壺に触ろうとしていた手をサッと引っ込める。高級な壺が、悔しそうに見てきたため「ふんっ、余はそんなトラップには引っ掛からぬぞ」と、魔王は偉そうに身体を逸らしてみせた。



「ずいぶんと綺麗でござるな」



 サチが適当な物の表面を触り、ついで中を触るも、埃一つ付いていなかった。


 床や壁が真新しく、この部屋が新築の部屋だということが窺えた。部屋の中には、イルゼ、リリス、レーナ、サチ、そしてアーク達が入り、大臣達は別の部屋に通されたため此処にはいない。


 ここにいるエリアス王国の関係者は、アークと娘のネリアだけだ。


 アークの妻は、彼に代わって、従者達と共に闘技場内の見学を続けるとの事だ。

 王家とイルゼの事情を知っているからこそとれる、夫を思いやった秀麗な女性の行動だ。


「レーナ様。私たちは外で待機しております」


「ええ、分かりました」


 レーナの侍従二人と、その他の近衛兵含めた従者達は、全員部屋の外で待機となった。


 最初は数人の近衛兵が護衛として、部屋に残る手筈だったのだが、アークの強い希望で護衛は付けないこととなった。


 これはイルゼ以外の者達が、緊張しないための彼なりの気遣いであるが……王族であるアークが目の前にいる事が、レーナとサチにとって一番緊張する事になるのを彼は知らなかった。


 アークの中での自分は、そこそこ人当たりのよい王様という印象で、王族というものがどれほど高潔な存在なのか、あまり意識して考えていなかったからだ。



「し、しかし陛下、いくらSランク冒険者様がおるからと油断は……」


「大丈夫だよ。そうだよねイルゼ?」


「はい、もちろんです陛下」

「しかし陛下ッ!」


 尚も引き下がろうとしない、近衛兵の隊長を説き伏せるのに、時間はかかったものの、最終的に部屋の外で待機する事で話がまとまった。


「……では、我々は外にいますので、何かあったらお声かけください」

「わかったよ」


 近衛兵の隊長が渋々といった様子で引き下がる。


 去り際にイルゼの事を少し不満そうに見つめていった。王族のロイアルガードとなれば、ある程度の実力はあるため、イルゼの実力を見抜けないわけがない。


 なので、彼にとって、見ず知らずの冒険者であるイルゼに警戒心を抱くのは当然だった。実力も伴うなら尚のこと。


 アークの信頼が厚かったのと、Sランク冒険者であった事から妥協しただけなのだ。


「うわぁ。美味しそうなのじゃ!」


 丸テーブルには、そこそこ高価なお菓子が置かれており、給仕用に残っていたメイド達がティーカップに紅茶を注いでいく。


「ごめんねイルゼ。あんな態度だけど、普段はとても優しくて良い人なんだ」

「いえ、気にしてないので大丈夫です」


 気にしてないというイルゼに、ネリアが何かを覚悟したような顔でアークにこう言った。


「お父様。帰ったらあの人クビにしましょう」

「それはダメだよネリア」


 一国の王とその一人娘に護衛をつけないことは、常識では考えられない事だが、ここには剣聖イルゼがいる。イルゼ一人いれば、近衛兵数千人の戦力になるのだ。


「それにしてもイルゼ。最初会った頃より随分と顔つきが柔らかくなったね。表情が顔によく現れてるし、それに可愛いよ」


 アークは久しぶりにイルゼと会って、素直に可愛いと感じた。それは決して不埒な目線ではなく、イルゼの保護者として、兄としての目線だ。


 彼にとってイルゼの成長ほど、嬉しいものはないのだろう。


「そうでしょうか? 私には分かりません」


 イルゼはこてんと首を傾げる。アークはいつか分かるよと言って、優しく頭を撫でてやる。


 少しビクッとされたものの、特に抵抗される事はなかった。


(……五百年前の王に“躾”と称して、叩かれた記憶が身体に刻み込まれてるんだろう。なんで、こんな可愛い子を叩いたり出来るんだ? それが出来るって事は、第二代国王は相当イカれてたんだろうな)


 書類仕事で疲れきった頭をイルゼを愛でる事で癒されていると、王族相手に勇気を振り絞ったリリスに、ベシッとはたかれてしまった。


「イルゼにべたべた触るでない!」


 リリスにキッと睨まれたアークは、ごめんごめんと両手を上げる。


 イルゼを抱き寄せるようにして、「まったく……」と呟くリリスに、イルゼはそっと覗き込んでみた。


「リリス、私が他の人に触られるの嫌だった?」


「そりゃもちろん――はっ!」


 自分が何を言わされているのか気づいたリリスが、咄嗟に口を噤むも、時すでに遅し。イルゼが言葉の続きを促すようにニコニコとこっちを見ていた。


「そっかーリリスは陛下に嫉妬したんだ」

「なっ! イルゼどこでそんな言葉を覚えたんじゃ!」


「あ、わたくしです」


 スッと手を挙げるレーナ。どろどろとした貴族社会で生きているだけあって、レーナは数多くの嫉妬を見てきた。


 なので、アークがイルゼの頭を撫で始めた時のリリスの表情を見て、彼女が嫉妬してるのだとすぐに気付いた。


「お主かぁぁぁー!!」


 レーナに飛び付こうとするリリスをイルゼが止める。


 その光景をサチが、紅茶をズズズっと啜りながら眺めていた。



「……美味でござるな」



◇◇◇


「あのイルゼさん。私と話す時も他の皆さんと同じように喋って欲しいんです」

「姫様がそちらの方をご所望するのでしたら――こっちでいいの?」


 イルゼが口調を変えると、ネリアは嬉しそうにその場でぴょんぴょんと跳ねる。


「はい! 私、イルゼさんの事をお父様から聞いてずっと憧れていたんです!!」

「そう? ありがと」


「憧れの人に会えるなんて、夢のようです」


 ネリアはイルゼに会えてキャッキャしながら、チョコクッキーをひょいっとつまむと、イルゼの口に押し付ける。


「んむっ……ん……美味しい」


 クッキーを押し付けられたイルゼは、下唇と上唇を上手く使って、パクリと呑み込む。


「あぁ……可愛いです。私のお姉様になって欲しい」


 ネリアは小鳥に餌付けするような感覚で、イルゼにクッキーを与えていく。

 甘い物が好きなイルゼは、口に運ばれてくる様々な種類のお菓子を特に拒むことなく、もぐもぐと美味しそうに食していく。

 

「むむっ……!!」


 これには負けじと、リリスも手頃なビスケットを掴み、ガッとイルゼの口に押し込む。


「んぐっ!?」


 無理にビスケットを押し込まれたイルゼが、苦しそうに呻くも、甘い物には勝てなかった。


「んっ……ぱく」

「あうっ!?」


 イルゼがリリスの指ごとパクリとかぶりつく。


「んぐんぐんぐ」

「にゃぁっ!? イルゼ、今食べてるのは余の指じゃ!!」


「んぐ?」


「何言ってるのこいつ? みたいな顔をするでない!」


 イルゼが「くぱあー」と口を開いてリリスの指を解放する。


 リリスの指は、イルゼの唾液でぐちょぐちょだった。


「…………」


 その指を無言で見つめた後、メイドからお手拭きをもらって綺麗に拭いた。


 その後もアークとイルゼ達は、互いの近況を話ながら時間を過ごしていく。


 アークがあまりにフレンドリーに語りかけてくる為、緊張していたレーナとサチも少し肩の力が抜け、アークとも楽しそうに話していた。


 対するイルゼはというと……。


「んぐんぐんぐー(もう、食べれない)」


「ほれ、イルゼ。余の選んだお菓子を食べるんじゃ」


「イルゼさん。私の選んだお菓子を食べて下さい!」


 両隣から、お菓子を与えられ続け、流石のイルゼも限界を迎えていた。


 それでも彼女達は、「こっちこっち!」 「いやこっちじゃ!」と続け、イルゼは子犬のように、今度はどっちにかぶりつこうか、首を忙しそうに動かしていた。


「やったー! イルゼさん、私の選んだお菓子食べてくれたー!!」

「なんでじゃイルゼ! 何故、余の選んだお菓子を食べてくれないッ!?」


 リリスがもう一回と腕をまくり、ネリアも受けて立つよと、同じく腕をまくった。


 二人が次のお菓子選びを開始しようとしていたのを見て、イルゼが目を回す。



「ん、んぐーーー!! (もう、むりーー!!)」



 イルゼがテーブルの上にうつ伏せに倒れ、ギブアップとなった。

 

 結果、リリス17、ネリア19という結果に終わった。

 

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