第71話 姫 そしてお姫様

「それで陛下。ウルクスにはどういった御用でいらしたのですか?」


 イルゼは優雅に紅茶を嗜みながら、お腹を軽くさする。


(まだ少し、きゅるきゅる言ってる……)


 少し前の話。

 リリスとネリアに、大量にお菓子を食べさせられたイルゼは、小声で「お花を摘みに行って参ります」と言って席を立った。


 その時の心境といったら……それはそれは恥ずかしいものだった。


 なにせ、部屋を退出した際に、部屋の外で待機していた近衛兵達が、お腹を押さえて歩くイルゼを一斉に見てきたので、とても前を向いて歩ける状況じゃなかったのだ。


 そんなイルゼに追い討ちをかけるように、レーナのメイドが、「一緒についていきましょうか?」と心配そうに声を掛けてきたのがとどめだった。



(私は食いしん坊じゃない、食いしん坊なのはリリスの方なのに!!)



 戻ってきたイルゼは、先程の醜態を無かった事にしたいようで、それを察したアークも平静を装おうとするが、どうも上手くいかない。


「陛下……?」


 その原因は、イルゼが平然とした様子でリリスを膝の上にちょこんと乗せていたからだ。リリスは顔を真っ赤にして黙り込んでいるのに対し、きょとんとした様子のイルゼを見ていると、二人があまりに対照的過ぎて、笑いを堪えきれなかった。


「い、いや、なんでもない。ここにはウルクスのお偉いさんと、親睦を深めにやってきたんだよ。本当は僕だけで来るつもりだったんだけど、ネリアが武道会を見たいって聞かなくって」


 少し早口になって、ウルクスに来た理由を説明すると、イルゼはそうですかと軽く頷いた。


 ちらっと娘の方を向くと、ネリアがきらきらした目でイルゼの事を見つめていた。おそらくリリスの場所を狙っているのだろう。


 しかしリリスも、イルゼの膝をネリアにはやらんとばかりに、周りの羞恥に耐えながら、イルゼの膝をキープし続ける。


「なるほど、そういった理由でしたか。それなら前もって一言連絡を頂ければ、ご挨拶にあがりましたのに」


「いやいや、僕は前もってしっかり連絡したよ」


「え?」


「一週間くらい前かな? 何度連絡しても通じなくて、心配したのはこっちの方だよ」


「そ、それは申し訳ありません」


 一週間前といえば、村を占拠していた傭兵達の討伐や、イルゼが風邪で寝込んでいた時期と重なる。


 アイテム袋の奥底に、押し込まれていた通信用魔道具を取り出して確認してみると、確かに連絡の痕跡があった。


 数分おきに掛かってきていた事から、イルゼの身を心配して、何度も掛け直してくれたのだろう。


 イルゼが申し訳ありませんと、頭を下げる。


「あぁ……」


 初めてあった頃のように、イルゼが地面に頭を打ちつけることがなかった事に、アークはほっと胸を撫で下ろす。


 イルゼの“謝罪”は、アークの脳裏に、軽いトラウマを植え付けていたのだ。


「あ、あの……」


「ん? なに?」


 ネリアが憧れの人を前にして、恥ずかしそうに手首をもじもじとさせながら、イルゼにそっと近づく。


「ん」


 イルゼもまた、ネリアの方へ耳を傾けた。


「イルゼさんって、剣――ふむっ!?」


 ネリアが何を言おうとしたのか察したイルゼは、咄嗟に口を押さえ、視線をレーナとサチの方に向けて耳打ちする。


「あの二人には内緒。私が500年前に世界を救った剣聖だとバレると色々と面倒だから」


 ネリアは、こくこくこくと勢いよく頷いた。


「ぬおっ!?」


 イルゼがネリアの方に体重を傾けたせいで、バランスを崩し、リリスは危うく転倒しかけるも、両手でイルゼの太ももを掴み、バランスを保つ。


 抗議の視線をイルゼに送ると、「ごめんリリス」と言って、頭を触ってきた。


「ふ、ふむ、人間は誰しも一度は間違いを犯すというからな、今日は許してやろう」

「ん。ありがと」


 イルゼに撫でられ、満足したリリスが、彼女に全体重を預ける。


「ん」


 自分にもたれかかってきたリリスを受け止めてやりながら、イルゼはふと思った。


(もし逆だったら、私はリリスの胸を堪能できる……?)


 自分の肩の上に頭を乗せるリリスを見て、こうも思った。


(私がリリスくらい胸があったら……)


 残念なことに、イルゼにはリリスのような胸は無いため、彼女の頭部を胸で迎えいれることは出来ないが、逆ならどうだろうか?


――絶対気持ちいい。


 そんな事を考えていると、ちょん、ちょんっと桃色髪の少女がイルゼの事をつついてきた。


「ん」


 父親は立派なブロンド髪であることから、ネリアの髪色は母親譲りである事が窺える。

 顔立ちもどちらかといえば、母親似である。


「あの、ごめんなさい……イルゼさん、私のこと嫌いになっちゃいましたか?」


――あざといの。


 剣聖を前にして、虹色に輝く瞳をうるうると滲ませる一国の姫君。


 それが演技によるものだと、リリスは気付いたのだが、そういう事に鈍感なイルゼは、気付く素振りをまったく見せない。


「ううん。私はそんな事で、ネリアの事を嫌いになったりしないよ」

「えへ、良かったです。あの、イルゼお姉様とお呼びしてもよろしいですか!?」


「ん……いいよ」

「やったー!」


 ネリアの勢いに呑まれそうになるも、チラッと父親の方を向いて、許可を貰う。


「ネリア。分かってるとは思うけど、イルゼをお姉様と呼んでいいのは、他に人がいない時だけだからね」

「それくらい分かっていますよ!」


 給仕のメイドは予め下がらせておいたため、今はイルゼ達の他にいない。


 次代を担う者が、そんなお子様ではダメだと小言を垂れる父親の肩をネリアがベシッと叩く。


「お父様はそう言う事に厳しすぎるんですよ。私が女王になったら、エリアス王国をもっと自由な国にしてみせます」

「まったくお前というやつは……」


 アークはガシガシと娘の髪を撫で、ネリアは「きゃあー」と可愛らしく反応して見せる。


(ふむ……これは本心から喜んどるのう)


 ネリアはお姫様としては奔放で心配されがちだが、アークとの親子仲はとても良好だった。


「ん。二人とも仲良い」

「余輩も仲いいじゃろ?」

「ん、そうだね」


 イルゼがニカッと笑ってみせる。たまにしか見せない、あふれんばかりの笑顔だった。


「……可愛い」

「え?」


「なんでもないわい!」

「そう?」


 こちらもこちらで、とても仲が良かった。

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