第65話 東方の少女

「近くでみると、ずいぶん大きいね」


「そうじゃのうー」


 自分たちの何倍もの大きさを誇る闘技場に、二人は「ほへー」と感嘆の声を上げる。


 ランドラの街に、これほど大きな建造物はなかった。


(ん。王宮の次に大きい)


(ま、余の城の方が大きかったがな)


 リリスはリリスで、闘技場に対し、変な対抗心を燃やしていた。


 そしてとことこと、壁際まで近づくと……。



「そいやっ!」



 蹴った。


 それも壁相手に、手加減なしの全力の蹴りだ。


 ゲジっと壁に蹴りを入れ、「いったーー!!」と涙目になるリリスを――何してるの? とでも言いたげな目でイルゼが見つめる。


 リリスは「くぎゅぅ〜」とよくわからない声をあげて、つま先を押さえながら転がり回る。


(あれはおバカのすること。今日のリリスは一段とおバカ)


 少し離れた場所で、そんな事を考えていると、リリスが血相を変えて振り返った。すごく涙目だ。


「イルゼッ! 今、余の事を嘲笑ったろう? 余には分かるんじゃからな!」

「ぜんぜん」


 スゥッーと、イルゼの視線が左に逸れる。


「なら、なぜ目をそらすのじゃー!!」

「リリスっ、やめ……」


 白昼堂々、人目を気にせず、ポカポカ殴りかかってくる魔王に、人が集まってこないわけがない。


「おや? 余の魅力に惹かれて、民衆が……」

「それは絶対違うから」


 リリスの見当違いの言動をイルゼがバッサリと切り捨てる。


 もちろん、リリスが魔王だから人が集まってくるのではなく、美少女二人が何やら痴話喧嘩のような事をしていた為、目の保養を求めた見物人達がやってきただけである。


「――〜〜〜っ!?」


 羞恥に震えたイルゼが、リリスの手首を掴む。そして「うおっとっと」と転びかけるリリスを強引に、人気ひとけのない所まで連れ出す。


 丁度、闘技場の反対側であった。搬入口には、関係者以外立ち入り禁止の文字が書かれている。


 大会の運営が出入りに使っている扉なのだろう。


「イルゼ、なぜ人気ひとけのない場所に……もしや、今から人に見られるとまずい事をするのか……!?」


 一人で勝手に興奮するリリスに、イルゼは何言ってんのこの人という視線を向ける。


「人前なんだから。もう少し節度保って。魔王でしょ?」

「何を言っておる? 普段のお主はもっと……」


「え? 私がなに?」


―――ん? まさかこやつ!?


 そこでリリスは気付いてしまった。


 イルゼにその自覚がないことに。


(ぬぅぅー!! 自覚がないとはなんともずるい! 普段はイルゼの方からのボディータッチが多いというのに)


 しかし本人に自覚がないならしょうがない。


 リリスは心を落ち着かせると、話を切り替えることにした。


「それよりイルゼ。ここにきて心境に変化はあったか?」


「変化って?」


「それはもちろん、武闘会に参加するかどうかじゃよ」


「んー……参加したい……かも……?」


 曖昧な回答だが、答えは出たようなものであった。なにせ、ここに着いた時、彼女が目を輝かせていたのをリリスは確かに見ていたからだ。


「そうか。なら余は、しっかりお主の事を応援するからな」

「ん。ありがと。リリスは出ないの?」


 語尾のトーンが少し高い。表情こそあまり変わらないものの、これはイルゼなりの冗談だと分かる。


「ふんっ、余が出てしまったら、余の独壇場になってしまうであろうが」


 リリスも冗談で返す。実際に今のリリスが出た所で、数秒もたずして初戦敗退であろう。


 何より大怪我をする可能性がある。イルゼは間違っても許可しない筈だ。


「んっ、リリスは魔王だもんね。私も負けちゃう」


「なっはっはー! そうじゃろそうじゃろ!!」


 えっへんと胸を張る魔王。


 イルゼも真似して、えっへんと胸を張ってみる。


 同じ動作だというのに、なぜか物足りなかった。


「…………」


「…………」


「リリス……」


「……よせ」



「ごめん」



 イルゼは人目につかない事をいい事に、リリスに飛びついた。


「やめんかーーー!」


「ごめんね、リリス。ちょこっとだけだから我慢して」


 イルゼの息遣いは荒かった。まるで獲物を前にした獣だ。


 ――やはりこうなったか! 


 こうなってしまってはもう遅い。力でイルゼには勝てないのだ。


 手足をバタバタさせるリリスを手際良く取り押さえつけ、仰向けにし、馬乗りになると、リリスの耳に吐息を吹きかける。


 ひゅん! とリリスが縮こまるのが分かった。リリスの弱点は耳だと、散々彼女の身体を弄った末に発見した。


「騒ぐと人が来るよ? それでもいいの?」


 声を落とし、耳のすぐそばで語りかけるイルゼに、リリスがゾワゾワっと反応する。


 そしてフルフルと首を振るったリリスを見届けると、イルゼは早速作業に取り掛かった。


(ううっ……母上、いま複雑な気持ちでいっぱいです。余は彼女のことは好きですが……これは、これは……あんまりです)


◇◆◇◆◇


 ひとしきり、リリスの胸を堪能したイルゼはリリスを解放すると、とりあえず先の場所に戻ろうと歩き出す。


「ううっ、イルゼ待ってくれー」


 ツヤツヤなイルゼに対し、リリスはなぜかぼろっとしていた。


「ごめん。いま手を貸す」



 闘技場の前まで戻ってくると、なにやら人だかりが出来ていた。


「拙者にも、この戦に参加する権利があるでござる!」


 聞き慣れない口調だ。


 興味を引かれたイルゼ達は、人込みをかきわけ、騒ぎの中心に辿り着く。そこには数人の男たちに取り囲まれた異国の少女がいた。


「変わった格好をしておるのう」


 人込みをかき分けたイルゼ達が目にしたのは、腰に大小の刀を差し、聴色ゆるしいろの着物に紺の袴、白い足袋に黒鼻緒の草履を履いた少女だ。


 流れるような黒髪は眉の上で切り揃えられており、後ろはポニーテールに結わえられて、その先も肩の上で真っ直ぐ切り揃えられている。


 出立ちが他とまったく違う。まさに異国から来た少女である。


「うん。この辺の人じゃない――あとすごく強い」


 現地調達したと思われる、着物の上に羽織った洋風のマントがまたよく似合っていた。

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