第64話 ご機嫌な少女と甘え上手な魔王

 市場で一通りの食材を買い終えたイルゼ達は、当初の予定通り闘技場へと向かっていた。


「とっうぎっじょおー! とっうぎっじょおー!!」


 リリスは隣から聞こえてくる元気な掛け声の主に、目を向け、やれやれと肩をすくめる。


「なんじゃ、やけにご機嫌じゃなイルゼ。そんなに闘技場が楽しみか?」


「楽しみ!」


「余の手料理よりか?」


 えっ――? という顔をイルゼが浮かべ、リリスも思わず――えっ? となる。


 リリスとしては、軽い冗談のつもりだったのだ。


「…………」


「…………」


 しばしの沈黙の後、イルゼは静かに頷いた。


「な、なんと……」


 自分の手料理より、闘技場の方が優先され、ショックを受ける魔王。


「余は悲しいぞ……」


 シクシクと泣き真似を始めるリリスを見て、イルゼが慌てて「リリス、ごめん!」と言い募る。


「でもリリスの手料理。一度も食べた事ないから美味しいか分からない」


 だから、その……とイルゼは上手い言葉を探そうにも中々出てこなかった。


 考えた末に、出てきた言葉は……。


「えっと……つまり、怖い……?」


「なんで疑問系なのじゃ……」


 きょとんと首を傾げるイルゼ。自分でもよく分かっていないようだ。


 しかし無理もない。普段のダメダメなリリスを見ていれば、心配になるのも当然だ。


 しかしリリスは、自分は大抵の事は出来ないが、料理はそこそこ出来ると自負していた。


 だからこそリリスは引けなかった。


「ぬぅ! 何を言うか!! 余の料理は、どこに出しても恥ずかしくないと、お墨付きを貰った事があるのじゃぞ!!」


「だれに?」


「余や父の専属料理人にじゃ!」

 

 えっへんと胸を張り、ふんぞりかえるリリス。彼女が腕組みをすると、さらに豊かな胸が強調された。


「ふーん」


 イルゼの視線はリリスの胸部に釘付けだ。


 言ってしまえば、そこ以外の場所を見ておらず、店先の看板にごちーんと頭をぶつけてしまう。


「いたぁ……」


「だからの。せっかくじゃから父上にもお裾分けしてあげたら、これまた娘の手作りじゃと喜んでくれてのー……」


 話に夢中のリリスは、イルゼの視線が自分の胸に注がれていた事も、自分で料理のハードルを上げているという事にも気が付かない。


 ハードルを上げている自覚のないまま、リリスは話を続ける。


「余の専属料理人の腕も確かじゃったが、どうやら余には勝てなかったようじゃ……なにせ、余が料理を作りたいと言ったら、余に最後の仕上げを頼むくらいじゃたからのう」


 なっはっは! と自慢げに語る魔王。


(それって、仕上げ以外、任せられなかったからじゃないの?)


 リリスは自分で言っていて、何も疑問を抱かなかったが、イルゼはその矛盾点に気付いてしまった。


「だから安心するのじゃ……じゃが、もしも、もしもじゃぞ、万が一にも余の料理がまずかったら無理して食べなくていいからな」


 ひとしきり喋り終え、急に冷静になったリリスが、自分の言動を振り返り、慌てて保険をかける。


 嘘を言ったつもりはなかった。


 事実、リリスが初めて料理をした時、専属料理人の彼は、手放しでリリスの料理を褒めてくれたからだ。


 それが今のリリスの自信に繋がっている。


 しかし、それがお世辞ではないと誰か言い切れよう。


 彼女の父が魔王であるのだから、その娘であるリリスに敬意を払って接するのは当然の事である。


「その……頑張って作るつもりじゃ。料理は真心というからな。じゃから、出来れば食べて欲しいのじゃ……いやかの?」


 上目遣いでおそる、おそるといった様子でイルゼに問う。


 もし美味しい料理を作れなかったら、イルゼに嫌われてしまうかとしれないという一抹の不安を覚えながら、リリスは勇気を振り絞った。


 その姿は、さながら親の顔色を窺う子供である。


 それを聞いたイルゼは、目をパチクリとさせた。


「え? リリスが作る料理ならまずくても食べるよ?」


 他に何があるの? とでも言いたげな表情で、平然とそう告げるイルゼに、リリスの目尻から涙が溢れ出す。


「え? どうした――のっ!?」


「イルゼーー!! 大好きじゃーぞ!!」


 リリスがイルゼをぎゅーと力強く抱きしめる。


 彼女の豊かな胸が、イルゼのなだらかな胸に押しつけられ、凝縮し、小柄な少女の胸に押し潰される。


「リリスッ! 人前でくっつきすぎ! 離してよ!!」


 顔を赤くして抵抗するイルゼに、リリスは子供のように駄々をこねる。


「嫌じゃ嫌じゃ!」


「むぅ、リリスのわからずや!」


「イルゼ、イルゼ〜!!」とほっぺに、すりすりと擦り寄られるイルゼも、悪い気はしていないのか、しばらくされるがままになっていた。


 もしくは、リリスの胸を堪能していたのかもしれない。



(イルゼのほっぺは、つるつるで、ふにふにじゃのうー!)



(ん。甘えてくるリリスもかわいい)



 じゃれあいながら歩く二人の先に、大きなドーム状の建物が現れる。


「あ、見えてきた」


 闘技場だ。


 ウルクスの中央に聳え立つ闘技場は、その他の建物に比べて圧巻であった。

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