第43話 剣聖 そして魔王
少し強い風がリリスとイルゼの髪を撫でる。
イルゼとリリスはオメガの使徒との戦いを終え、必要な物を買い足したりなど旅支度を始めていた。
旅の最終目的地はイルゼの故郷。
ここからどのくらい距離があるのかも分からないし、五百年後の今ではないかもしれない場所に彼女達は向かおうとしている。
イルゼ達はランドラの街の見納めとして、最後にもう一度だけ、このランドラを一望出来る高台にやってきていた。
「ん。夜も良かったけど、朝もいい眺め」
「そうじゃの。ここに来ると色々思い出すわい」
リリスが風で靡く髪を耳にかけ、ほっと息を吐く。
二人で食べ歩きした通り、ミラの宿、娯楽施設に図書館。
そしてオメガの使徒と激闘を繰り広げたスラム街。
ここからその全てを一望できた。
「……ねえ、リリス。リリスは本当に呑まなくて良かったの? 魔王に戻れたかもしれないんだよ」
それは、あの血の杯の事を指しているのだろう。リリスはそれを一度呑みかけた。しかし直前でイルゼに助けられたのだ。
「うむ。あれを呑んでいれば余が余ではなくなっていた。それは死ぬより恐ろしい事じゃ……それに、もう余は人を殺したくない――そしてイルゼ、お主にも殺して欲しくないのじゃ」
「私にも?」
イルゼは「どうして?」とでも言うように首を傾げる。
戦わなければリリスを守れない。リリスを守るためにはその全てを殺さなければならない。
イルゼは戦い、勝利する事で何かを解決しようとする節があった。事実五百年前はそれで良かったのだ。
何も考えず、相手を屠っていればそれで事足りた。
そんなイルゼを説得するかの様に、リリスは雄弁に語る。
「自分の身を守る為なら仕方ない。じゃがイルゼ、お主は強い。だから無闇やたらに殺さずとも、生かして捕らえる事が出来る筈じゃ。自分の命が危険に晒された時はもちろん死ぬ気で抵抗する必要がある。だが余裕があるのなら殺す必要がある者とない者を見極めてから事に及ぶべきだと余は思う」
イルゼは神妙な顔つきでリリスの話をふんふんと聞いている。
「ん。それは盗賊たちみたいな?」
「そうじゃ。あやつらを殺す必要はなかった。確かにあやつらは罪を犯したが、それは生きて償うべきじゃった。死んだらそこで終わりじゃ。更生のチャンスを与えるべきじゃった。少なくともオメガの使徒の様な余に陶酔し、沢山の人を無差別に巻き込むような事件を引き起こす者達よりはマシじゃ。盗賊の中にも家業が上手くいかず、泣く泣く盗賊に堕ちるものも多いと聞く」
「……それでも悪事を働いたら?」
「それでも積極的に殺す必要はないじゃろ。その相手に身内が殺されただの特別な感情が湧かない限り、本気で殺したいとは思わない筈じゃ」
「…………ん」
「それともお主は人を殺したいのか? 否、そうではないだろう?」
「ん。私は良かれと思ってやった。あの盗賊達が二度と悪さをしないようにって……確実なのは殺す事だから」
リリスはイルゼの肩に手を置く。
「いいかイルゼ。もし盗賊に家族がいたらどうするのじゃ? それでもお主は躊躇いなく斬れるのか? 急に父親が帰ってこなくなったらその子供や母親は路頭に迷う事になる。それが復讐に繋がったりもする。殺しは最終手段じゃ、まずは相手と対話を試みる事が大切なのじゃ。それに、その為に国王はお主にSランク冒険者という称号を渡したのだと余は思う」
リリスの分かってくれたかの? と言う問いかけに、イルゼは暫くしてからこくんと頷いた。
「分かった。努力する」
「うむ、分かればそれでいいのじゃ」
リリスはよしよしとイルゼの頭を撫でてやる。イルゼは気持ち良さそうに目を細めた。
(今はこれでいい。この旅の中で少しずつ変わっていってくれればそれで……)
◇◆◇◆◇
イルゼとリリスは近くのベンチに座り、ミラから貰った軽食を口にしていた。
これを食べ終えたらいよいよ出発だ。
「うむ、あやつは料理の腕だけは確かじゃな」
「ん。美味い。一流の料理人」
もぐもぐとミラが作った弁当を食べていく。栄養のバランスが取れた料理に、大食いのリリスに合わせたボリューム。イルゼもリリスも大満足であった。
「そういえば、人形の方のエルサはどうなったのじゃ?」
「ん。リリスはあの後ずっと寝ていたから知らないんだっけ?」
リリスは宿に帰った後、そのまま泥のように眠り込んでしまったのだ。
「エルサの人形は、サラとエルサが『エルナ』って名付けた。サラ達と一緒にエルナも暮らすみたい。エルサは暫くの間、サラの監視がないと勝手に行動出来なくなったから。でもサラもエルサも一緒に住める口実が出来たようで嬉しそうだった」
イルゼは身振り、手振りを加えてサラやエルサの真似をする。サラの真似をして嬉しそうな顔をするイルゼを見て、随分と表情豊かになったなとリリスは思った。
「そうかエルナか……いい名前を貰ったな」
「ん。私もそう思う」
『エルサ』改めてエルナは、戸籍上はエルサの妹として扱われる事になった。
これはライアスとイルゼが国王に頼み、色々と融通を利かせてもらったのだ。
そして、エルサは謹慎処分と保護観察処分をライアスから言い渡され、重罰には至らなかった。
イルゼもサラやルブ、ライアスが側にいれば、再犯の心配はないだろうと思った。
それに今ではしっかりものの妹のエルナもいるのだ。
エルサの胸に付けられた、オメガの使徒である証の聖痕だけはどうやっても消す事が出来なかった。
ライアスが万に一の可能性にかけて教会に診てもらおうと提案したが、エルサはそれを罪の証だと言って、自分の為にも残しておくと言った。
これを見るたびに思い出し、自分のしてしまった事を忘れないようにと。
ライアス達もエルサの意思を尊重し、聖痕はそのままになった。
リリスはイルゼから自分が寝ていた間の顛末を聞き、「エルサも愛されておるのう〜」と呟き、イルゼも「ん。なんだか見ててポカポカした」と呟く。
リリスが右手を虚空に掲げる。すると虚空から、良い香りのする石鹸が出現した。
宿を出る際に、ミラから餞別として渡されたものだ。ざっと見積もって半年分はある。
「……のう、イルゼ。どうやら今の余は、魔力を消費する事によって魔術を行使出来るようじゃ。じゃが小物を異空間から取り出したり、お主のように簡単な転移をするくらいの事しか出来ん。すまんな、まだ自分の力で身を守る事は出来ないようじゃ」
「ん。リリスはそれでいい。ずっと私が守るから」
イルゼが愛らしい笑顔で力こぶを作って見せる。なんとも可愛らしいと、リリスがつい、力こぶを突いてしまう。
「なんじゃ、ちっとも硬くないではないか。がははっ!! 余と同じじゃな!!」
「むっ、女の子なんだから硬くなくて当然。それにリリスは私の剣持てないでしょ?」
「ぐぬっ!? そ、そんな事はないぞ、一回貸してみろ」
「ん」
イルゼがぶっきらぼうに鞘に納まった愛剣を手渡す。
そしてリリスは持った瞬間、膝がガクッと崩れた。
「おっ、おも……イルゼ、助け……」
「だから言ったのに」
剣に押し潰されそうになっているリリスから剣を回収し、クルクルと回した後、腰に差す。
リリスには真似出来ない芸当だ。
「ぬぬぬ、余が元の力を取り戻していたらそんな事簡単に出来ると言うのに……ん、そういえばイルゼ、お主は良かったのか? 余の力が戻らなければ、一生記憶が戻らないかもしれないのだぞ」
「それは……ううん、もう昔の事は思い出さなくてもいい。お母さんの事は少し知りたいけど……たぶん、故郷に行けば少しは分かると思うから。それに私は今を大切にしたい。だからね、リリス」
イルゼの藍色の瞳がリリスをしっかりと捉えた。
「――私と一緒に新しい思い出をいっぱい作ろう!」
「ああそうじゃな――では行くとするか」
「ん。楽しみ」
リリスはイルゼの手を取る。
もうイルゼと手を繋いでも恥ずかしくはなかった。それより、横でニコニコ顔で手を繋いでくるイルゼを見ていると、全てがどうでもよく思えた。
(余は、イルゼの事が本当に好きになってしまったようじゃな。もう昔の余に戻れないくらいには……じゃがそれでいい。イルゼとずっと一緒にいられるのなら他には何も望むまい)
リリスがぎゅっとイルゼの手を握る。
「さあ、いよいよ出発じゃ」
「ん。準備は万端。早く行こ、みんなが待ってる」
「そうじゃな」
イルゼもリリスの手を強く握り返し、お互いの意思を確かめ合う。
二人は仲良く手を繋ぎながら、高台を後にした。
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