第38話 VSオメガの使徒 “人形遣い”

「リリスゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥーー!!」


 その声の主が誰だか分かった時には、口が大きく開いていた。


「イルゼェェェェェェェェェェエーーーー!! 余はここじゃああああああー!!」


 腹の奥底から声を絞り出す。


 「んっ、そこ!」とリリスの叫びに呼応するように、建物の壁という壁を破壊しながら、一人の少女が猛然と降り立つ。


 彼女は人類を魔族から救った『剣聖』と呼ばれる稀代の英雄だ。


 その英雄がまさに今、絶望に打ちひしがれた魔族――魔王を助ける為に建物内部の壁を壊してやってきた。


 階段で降りるより、時間がかからないという理由だけで。


「ん」


 ぼろぼろと崩れ落ちる瓦礫から、むくっと身体を起こしたイルゼは、リリスの隣に立つ人物を睨みつける。


「リリスに何してるの! 今すぐリリスを離せっ!!」


「イルゼ……」


 涙目のリリスに、黒衣の人物が杯を押し付けている所だった。リリスの口元からは赤い液体が垂れ流れている。


(間に合わなかった!? それにリリスの隣にいる人は……)


 黒衣を纏った人物に目を向けたイルゼは――「へ?」と間の抜けた声を漏らす。


「少し遅かったですね。イルゼさん」


 彼女がベールを脱ぐ。


「なんで……なんで、ここにいるの、エルサ」


 彼女は静かに笑った。


「ここにいるという事は、そういう事なんですよ」


「うそ……」


 小柄な体躯に、眼鏡をかけ、灰色の髪をだらりと肩まで流し、黒衣の下にギルド職員の礼服を着た女性が、雪のような白銀の髪をした少女の人形を小脇に抱えていた。


 まるでイルゼをそのまま小さくしたような人形だ。


 杯をリリスから離し、台に置いたエルサは、いつも通り、落ち着いた口調でこう告げる。


「改めまして、私はオメガの使徒、【信仰者】の一人。“人形遣い”と申します」


「信仰者? 人形遣い?」


 次々と新たな単語を出され、困惑するイルゼ。


 エルサは妖しく、笑う。


「信仰者とは、魔王様を心の底から崇拝し、その忠誠心をマスターに認められた者だけが名乗る事の出来る称号です。私はマスターに“人形遣い”と呼ばれています」


 エルサは自慢げに、自分に与えられた称号の価値を語る。


 この素晴らしさが分からないのかと。


 対するイルゼの反応は乏しい。表情の起伏が見られない。「ふーん、そうなんだ」程度にしか思われていないのだろう。


「ねえ、マスターって誰?」


「マスターとはオメガの使徒を創設なさった開祖様の事です。私たちはマスターの腹心である管理者の指示を受けて行動しています」


 エルサは流暢に喋りながらも、意識はリリスの方に向けていた。


(やはり一滴では覚醒しませんか……今すぐにでも全部呑んで頂きたい所ですが、イルゼさんがそれをよしとはしないでしょう)


 エルサがイルゼをちらりと見る。


 まだ剣は抜いていない。

 エルサはこちらが動かない限り、イルゼが殺しにかかってくる事はないと睨んでいた。


 話に聞く、五百年前のイルゼであれば容赦なく斬りかかってきたであろうが、今のイルゼには躊躇いがあった。


(しかし一人で勝てる相手ではありませんね……管理者様から預かった物を使わせて頂くしか)


 エルサの腰には、使えば十中八九人間に戻れなくなる、呪われた長剣――魔剣ビリアが携えられていた。


 本来なら使いたくはないが、最悪の場合は使用する事になるだろう。


 それに、人間に戻れなくなると言われても躊躇いはない。


 なにせ、この身は魔族の王――魔王様の為に、存在し、その復活の為に今までマスターに従事してきたのだから。


 エルサがイルゼと戦う覚悟を決める一方、エルサと戦いたくないイルゼは降伏を呼びかける。


「ん。エルサは私に勝てない。諦めてリリスを返して。それとも時間稼ぎ? アルファ隊なら待っても来ないよ」


 アルファ隊の重鎮は私が片付けたと告げ、残った雑兵もルブ達が討伐している頃だと伝える。


「え? ルブが来ているの?」


 思わず、【信仰者】としての立場を忘れ、エルサは素で喋ってしまった。


「ん。来てる」


 イルゼがエルサに、ルブが来ている事を伝えるととても驚いた顔をしている。


 なぜ、この場所がばれたのだと。ばれるにしても早すぎると。


 エルサはルブやサラ達に今の自分を見られたくなかった。見つかる前に全てを終わらせたかった。


「アルファ隊がやられる事は想定済みでした。本来なら、イルゼさんをもう少し足止めして頂く予定でしたが、ルブ達のせいで少々計算が狂ったようですね。ですが……」


 腰から、一振りの長剣を取り出す。


 少年が持っていた魔剣と同じく、禍々しい気配を放っていた。だが、長さや形は違う。


 魔剣によってそれぞれ特徴があるようだ。


「――っ! それは魔剣?」


「ええ。魔剣ビリアです」


 イルゼは息を呑んだ。彼女が少年と同じく魔剣を取り込めば、望まずとも戦闘になるからだ。しかしそうなれば、彼女が彼女ではなくなってしまう。


「の、のうエルサ。その魔剣は誰から……」


「ああ、この魔剣ですか? 私は管理者から渡されましたが、管理者は北の地にいる魔族の方と交渉して手に入れたと言っていました。私も詳しい事は知りません」


「その管理者が、あの子に渡したんだ……」


 思い出すのはスラム街で出会った少年だ。


 イルゼの中で様々な疑問が紐解けていく。それはリリスも同じだった。


(余の魔剣は、生き残りの魔族達が管理しておったのか…………馬鹿者め、あれほど封印を解くなと言い聞かせておったのに)


 生き残りの部下によって、勝手に自分の管理していた魔剣が持ち出されていた事は初耳だった。


 しかし彼らにとって、主であるリリスは死んだ事になっているのだ。


 魔族として魔王であるリリスには尊敬するが、死んでしまったのなら次の魔王を立てる。魔族はかなりドライな種族であった。


 しかし、次の魔王になれるような圧倒的な力の持ち主はいなかった。生き残った魔族達は等しく力を有していたからだ。


 力がなければ生き残れない。しかし力のある者から死んでいく。残っている魔族達に弱い者もいなければ、圧倒的な強さを誇る者もいなかった。


 ならば、魔剣を管理する者がいない今、我先にと力を得る為、彼等は魔剣に手を伸ばした。


 指導者がいなければ彼等に団結力はない。


 リリスはイルゼと戦いに行く際、死ぬ気はなかったので、彼等に遺言を伝えていなかった。自分が死んだ後、誰が魔族を統治するのかと。


 リリスの最期を見届けたのはイルゼしかいなかった事もあって、魔族は混乱に陥った。


 リリスの復活を知っているのは、イルゼが国王に報告し、国王が騒ぎ立てなければイルゼだけだった。


「魔剣の入手先は分かった。でも、一つだけ解せない。たしかにエルサはギルドにいた筈。ううん、いる筈。みんなの目を掻い潜って一人でここまでくるなんて不可能。いつも一緒にいるサラが見逃すはずない」


 ああ、と今思い出したかのようにエルサが人形をイルゼに見せる。


「そんなの簡単です。お人形さんを使いましたから」


「人形?」


 エルサが持っていた白銀の髪の人形に、魔力を流し込み始める。


 すると、小脇に抱えられる程度だった人形はぐんぐんと魔力を吸い込んで大きくなり、イルゼと同じ高さまで成長した。


 人形の関節部分も自然な形になり、何より人と同じような皮膚に変化していった。


「ん……」


 イルゼはその人形を油断なく見据える。

 魔力を入れられ、完成した人形はどこからどう見てもイルゼそのものであった。


 エルサがクラッとふらつく。魔力のほとんどを注ぎ込んだようだ。


「まるでイルゼではないか……」


 リリスがぽつりと呟く。

 藍色の瞳に、肩で切り揃えられた白銀の髪をした少女が、メイド服を着て立ちすくんでいた。


「この人形はイルゼ様の髪を媒体にして作らせて頂きました。私は人形に魔力を込める事で、普通の人間と大差ない人形――魔導人形を造り出す事が出来ます」


「……なぜ、メイド服姿なのじゃ」


「趣味です」


「…………そうか」


「ん。メイド服姿も似合う」


「自分で言うではない!」


 イルゼ人形の感想をそれぞれ述べていると、魔導人形がぎこちなく身体を動かし、口を開く。


『私は剣聖。Sランク冒険者』


 その愛らしい声と口調までイルゼと同じだった。


 イルゼと瓜二つな人形の出来栄えに、エルサは満足そうに頷く。


「このようにして、私は自分の身代わりを造って自由に行動出来るんですよ。今、ギルドでサラと一緒にいるのは私の人形です」


「むっ…………図書館に行くように仕向けたのは人形? それとも……」


「私ですよ」


 エルサは悪びれる事なく、自分が仕向けたと白状する。そこに罪悪感は感じられない。


「魔王様を誘拐するには都合が良かったですから」


「…………」


「さて、イルゼ様にはこの人形と遊んでもらいましょう。この人形はイルゼ様の毛髪を少し頂いて造っておりますので、本物には遠く及びませんが少しの時間なら互角に戦える筈です」     


『私は剣聖。Sランク冒険者』


 機械的に同じ事を繰り返す自分の人形を見て、イルゼは眉を顰める。


「こんなの私じゃない」


「んーそうですね。少し分量を変えましょうか。今は二体の人形しか使役していませんからこれで会話できるレベルには達するでしょう。ちなみに私の人形は会話や演算機能といった機能に多く魔力を注いでいるので、絶対に下手なミスはしません。自動で最適な行動をとってくれますから」


 エルサが魔剣ビリアを『イルゼ』に渡す。『イルゼ』が試すように何度か剣を振ると、それだけで地面が割れた。


 魔導人形が使う分にも問題ないようだ。


 それもその筈、この魔導人形はイルゼを基にして造られたのだから、聖剣を扱えるイルゼが魔剣を扱えない筈がない。


 そしてエルサの言う通り、戦闘能力ではイルゼに迫る強さを秘めているようだ。


「では私は儀式の続きを…………え? いない?」


 エルサが振り返ると、手足を縛りつけていた筈のリリスは玉座にいなかった。代わりに拘束具だけが落ちている。


「一体どこに……」


「ここじゃ!」


 瞬時に現れたリリスがエルサの後ろを取る。そのまま体当たりしてエルサを組み敷き、抑え込む。


「ぐうっ!? 魔王様一体どうやって」


「自分で考えるのじゃな」


 奇しくも二人の力は拮抗していた。それもその筈、エルサは大量の魔力を人形に与える事によって『イルゼ』を操っている。


 冒険者でもないエルサは魔力を使った魔導人形に頼るしかなく、自身の力は殆ど無いと言って過言ではなかった。


 エルサは人形の力がなければ、非力な女の子なのだ。

 だからこそ、クソザコナメクジであるリリスと素の力では互角だった。


「ぬぬっ。お主に余計な真似はさせぬ。そして余は魔王になど戻らない」


「ご乱心なさいましたか魔王様! 貴方には魔王に戻り、この世界を蹂躙していただかなければなりません」


 エルサは力任せにリリスを振り解こうとする。魔王はそれを顔を真っ赤にして、足を踏ん張って抑えていた。



「…………」


『…………』


 リリスとエルサの取っ組み合いが続く中、愛剣を抜いたイルゼが魔導人形のイルゼと無言で睨み合っていた。


『……行く!』


「来い!」


 同時に走り出す。


 二人の剣聖の戦いが始まろうとしていた。

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