第25話 続泥酔者 そして判明

 サラの報告に、床で恍惚とした表情を浮かべていたライアスの表情が抜け落ち、周囲から音が消えた。

 その中で、ライアスの声だけが妙に生々しく浮き上がって聞こえてくる。


「サラ、それは間違いないんだな?」


「はい、間違いありません」


 しっかりとした口調で返答し、首肯する。


 二人の会話にイルゼが小首を傾げた。


「ねえ、それってつまり……」


「――このギルド内にランク詐欺を手助けした者がいるということです」


 バーン! と扉が勢いよく開かれ、腕いっぱいに書類を抱え込んだエルサが中に入ってきた。


 手を使えないので足で扉を開けたようだ。


「行儀がわるい」


 めっ! だめだよとイルゼに軽く注意される。


「あ、すみません」


 受付嬢としてあるまじき事をしたと、エルサはその場で反省した。


(エルサは少しガサツな所があるのだな)


 リリスは自分の部下にも似たような者がいたなと懐かしき仲間の顔を思い出し、かつての日常に想いを馳せる。


 たとえ五百年前の出来事でも、リリスは仲間の顔と名前だけは絶対に忘れる事はなかった。


 それが彼女のカリスマ性を駆り立てる一面である。


「行儀云々は後にして――間違いないのだな?」


 ライアスの問いに、サラと同じくエルサも首肯する。


「はい、私とサラで調べましたので間違いはありません」


 スチャッと眼鏡をかけ直し、持ってきた幾つかの資料をライアスに手渡す。


 「ちょっと、私も頑張ったんだからね!」ふんふんと鼻息荒くし、褒めて褒めてとサラはライアスにアピールする。


「サラもエルサも良くやった」


 ライアスは二人の頭に優しく手を置いた。関係性は父と娘に近いのだろう。


 サラは満面の笑みを浮かべ、エルサは恥ずかしそうに俯いているがその口元は三日月の形で結ばれていた。


「やっぱりギルマスに褒められると苦労が報われますね」


「そうね。半分以上は私がやったのだと思うのだけれど」


「いくら仕事出来るからってそれは言い過ぎ。私とエルサで半分ずつやったでしょ」


 サラの言葉をエルサは鼻で笑った。


「ま、そういう事にしてあげるわ……あら?」


 そして今更ながら、ライアスが濡れている事に気付いたエルサがサラに「なんで濡れてるの?」と聞いてサラが「いつもの酒癖」と返す。


 それでエルサも納得したようだ。


 よほど日頃から酒癖が悪いのだろう。エルサも遅れてライアスに冷たい視線を向ける。


 しかし三人のやりとりから、それなりの信頼関係を築いているのだとリリスは確信していた。


(余も、もう少し部下とコミニュケーションをとるべきだったな)


 ふとイルゼの方を見やる。

 今は守る、守られるの関係だが、将来的にイルゼとは良い関係を築きたいとリリスは思った。


「ふむ」


 エルサが持ってきた資料に目を通していたライアスが、目を細め、険しい顔をする。


 冒険者登録情報の一部分だけ黒く線が引かれていた。

 登録番号から、それが盗賊の棟梁の情報が書かれている部分だと分かる。


「この男の記録だけ黒く塗り潰されておる。これでは誰が受付をしたのかも分からない」


「ええ、私たち受付嬢達の中にそういった事をする者がいないとも限りませんが、他者の犯行という可能性も捨てきれません」


 なにも受付嬢だけが、専売特化で冒険者登録を行っているわけではない。


 冒険者登録用魔道具の使い方さえ分かれば誰でも操作する事が出来るのだ。


 しかし、ライアスから渡されているギルド職員専用のカードがなければ使用する事が出来ないようにはなっているが。


 エルサは受付嬢だけではなく、その他の職員達も犯行を行う事が出来るのだと言いたいのだ。


「サラ、エルサ安心せい。お前達の事は信頼しておるし、魔道具の仕組みについてはギルマスであるワシが一番分かっておる」


 そこまで言って考え込む。


(犯人はギルドに精通している者の犯行か……人数を絞り込むのは難しいな)


 髭を弄りつつ、ライアスは思考をまとめていく。


「とにかく調査を続けろ。何か進展があるかもしれん。ワシの方でも独自に調査しておく」


「「はい、私たちも全力を尽くします」」


 息ぴったりな三人の会話を聞いていたリリスがイルゼに耳打ちする。


「のうイルゼ、今の会話理解出来たか? 余にはよく分からんかったぞ」


「ん。たぶん悪い奴がこのギルド内にいるって事だと思う」


 リリスの方は向かず、イルゼは明後日の方向を凝視していた。


「そうなのか? だったら早く見つけて処分すれば解決じゃろ」


「そいつを見つける方法が分からないから悩んでいるみたい」


 やはりこっちをみてくれないとリリスは少し悲しくなる。


「ほーん。ま、余輩には関係ない話じゃな……ところでイルゼ、先程から何処を見ておるのじゃ」


「あれ」


 視線を辿ると、テーブルの上に置かれていたのは酒壺であった。

 匂いからして中に入っているのは上等な酒の類であろう。


 自分はそれに負けたのかと、リリスはさらに悲しくなる。


 そしてイルゼはおもむろに酒壺を掴んだ。


「ん!」


 固い蓋を一気に開け、中を覗き込む。


 イルゼの行動に真っ先に慌てたのはライアスだ。


「い、イルゼちゃん!? あの何をして」


「呑んでいい?」


「え、あの。それはとっても高価な酒で……」


「呑んでいい?」


 イルゼは顔を近付け、杯を持ちながら語気を強める。


「いや、しかし」


「いい?」


「はい……どうぞ」


 ライアスは諦めてイルゼの杯に酌を注いでやる。


 とぽとぽと音がして、透明な酒がイルゼの杯の中に溢れ落ちる。


「おお〜!!」


 酒特有の匂いが立ち込め、イルゼは感嘆の声を上げる。


(やっと呑める!!)


 五百年前、部下達は美味しそうに呑んでいるのに自分だけ飲ませてもらえず、いつかは飲みたいと思っていたのだ。


(お酒を呑むことは大人の証!!)


 お酒に対してイルゼはそんな印象を抱いていた。


 そしてリリスもお酒は口にした事がなかった。これまたイルゼと同じく部下に止められていたからだ。


 なので酷く興味をそそられた。


「余も一杯もらおう」


 机に置かれていたもう一つの杯をライアスに差し出す。


「…………はい」


 ライアスはシクシクと泣きながら、リリスの杯にも酒壺の中身を注いでやる。


 ライアスが酒壺を覗くと、高価な酒だからか、中身はもう殆ど残っていなかった。


(ワシの酒が……とほほ)


 サラとエルサも呆気にとられ、二人を止められなかったが――二人は15歳。


 世間一般では、一応成人している事になるから大丈夫かなと考え方を切り替えた。


「リリス乾杯」


「うむ乾杯」


 カチーン! 杯と杯がぶつかる。


 二人は人生初めての祝杯をあげた。


――初めてのお酒っ!!


 リリスもイルゼも大人の味わい方は知らなったので、とりあえずイルゼは杯を傾けくぴりとやった。


 つられてリリスもくぴりとやる。


「ん。普通」


「これは……なんとも」


 二人はもう一口くぴりとやった。


「もういいや」


 イルゼにはそれで十分だった。特に酔うことはなく、素面のままサラから水を受け取り喉を潤す。


(ジュースの方が美味しい)


 しかしリリスはそうはいかなかった。


「なんひゃ、もういるへはお終いか? ヒック! 余はまだまだいけふぞ」


 若干、いやかなりろれつの怪しいリリスが元気にまだ呑めるぞと断言した。頬をほんのりと上気させ、顔色もすでに怪しい。


 そしてあろうことか、イルゼの飲みかけの杯を奪いとって一気に飲み干した。


「――ッ!!」


(あ、間接キス)


 仰天するライアスを他所に、イルゼはそんな事を考えていた。


「うー!! ヒック! まだ足りないのじゃ」


 そう言ってライアスから酒壺をひったくると、中に残っていた酒を一滴も余すことなく飲み干した。


(ワシの酒がーーーー!)


「うー!! ヒックヒック」


 リリスは完全に酔っ払っていた。


 そうリリスは最初の一口、二口目で酔っぱらってしまったのだ。


 部下に酒を呑むことを止められていたのはこれが原因である。


 彼女が宴の席で酒を呑むと必ず怪我人が出るからと。


 そんな事を当の本人が覚えている筈もなかった。


 だが、幸いな事に今のリリスは人間であり、誰かを誤ってひどく傷付けてしまうことはまずない。


「イルゼ〜! もっとこっちに寄るのじゃ」


「ん」


 イルゼは酔っ払ったリリスの言うことを素直に聞き、リリスのそばまでくるといきなり抱きつかれた。


「ふお〜!! いい匂いじゃ、いい匂いじゃー!」


 すりすりと身を寄せ、ほっぺに顔を擦り寄せてくる。


「んっ!」


 イルゼは迷惑そうに顔をのけぞらせる。


(美少女二人が戯れてる所ってなかなか良い!)


 若干、ミラに思考が似てきたサラであった。


「ねえ、これなんとかならない」


 遠巻きに見守る二人に、イルゼは猫の様にしがみついて離れないリリスをなんとかしてくれと頼む。


 自分が無理に剥がそうとすると誤って怪我させてしまうかもしれないと思ったからだ。


 今の『剣聖』と『魔王』にはそれほどの力の差があった。


 昔の決戦の時もそうであった。


 リリスはイルゼに対し数時間粘ったものの、イルゼは少し息を荒くしただけで、ほとんどその身に傷をつける事が出来なかったのだ。


「イルゼ〜!! イルゼ〜!!」


「むぅ、普段とは全然違う」


 今にもキスしてきそうな勢いだった。サラは、「あはは」とから笑いする。


(リリスちゃんも大概だけど、イルゼちゃんも中々だよなー)


 天然な所があるイルゼは、それが自分に対する本当の好意だという事に気が付けない。


「イールゼ!! 余はお主の事が好きだぞ」


「ん。ありがとう」


 リリスは酒という魔法の飲み物を呑むと本音が出るタイプである。


 夜の高台で一度は伝えた思いも、イルゼにとっては親友として好きという意味にしか伝わっていない。もちろん、リリスとしてもそれ以上の意味を込めたつもりはなかったが……。


「イルゼー!!」


 イルゼはそれをさらりと躱し、なんとかリリスを引き剥がそうと試みる。

 しかしその小柄な身体のどこから湧き出してくるのか、リリスは普段の何倍も力が強くなっていた。


(ん。剥がせない、これ以上力を入れすぎるとリリスに怪我させちゃう)


 イルゼが悩んでいると横から声がかかる。


「浄化魔法を使ってみてはどうですか?」


 確か酔い覚ましにも使えた筈ですと、エルサはさりげなく伝える。


「分かった」


 イルゼはリリスの額に手を添え、『浄化』と唱えた。


 まばゆい光がリリスを包み込む。


 光が収まると、リリスは目をパチクリとさせていた。


「ふお!? あれ今まで余は一体何をしておったのじゃ?」


 浄化魔法はしっかりとリリスの酔いを覚ましてくれた。


「リリスおはよう」


「んあ? おはよう……なんで余はイルゼに抱きついておるのじゃ?」


「自分から抱きついてきたんだよ。全然離そうとしないし――でも可愛かった!」


「なっ、な、なな!!」


 鮮明に先程までのやり取りの記憶が蘇る。


 普段のリリスは酒を呑んだ後の記憶が残らないタイプであったが、浄化魔法で目覚めたからか、リリスは自分の言動を全て思い出してしまった。


(余は、余はなんて事を!!)


 リリスは恥ずかしさに溺れ、イルゼの薄い胸にうずくまる。


 リリスは自分の本当の思いがイルゼに伝わってしまったものと考えているが、リリスが思っているよりもイルゼは遥かに疎かった。


「ん。いい子いい子」


 イルゼに優しく髪を撫でられ、これからは絶対に他人の前では酒を飲まない事を誓った。


「のう、サラ。ワシを起こす時も水ではなくこれからは魔法で起こしてくれない?」


「嫌です。ギルマスにはお水がお似合いですって」


 やだなぁーと肩をバンバン叩き、軽くあしらわれる。


 この二人も大概ねとエルサはため息をつく。


 このようなやりとりは、サラが小さい頃からずっと行われてきた。


 よく飽きないものだと思いながらも、小さい頃は自分もよくライアスを弄っていたなと思い返し、同族嫌悪かと自分を戒める。


「喉渇いたのうー」


 リリスが飲み物を買いに行くと言って部屋から退出した。イルゼもその後を追おうと一歩踏み出した時、あっ……と立ち止まった。


「私、魔法についてもっと知りたい」


 イルゼは浄化魔法にこんな使い方があると知って、他の魔法についても詳しく知りたくなっていた。


 しかし生活魔法以外をイルゼは知らなかった。


 というより、彼女には攻撃魔法など、他の魔法は必要なかった。その身一つで魔族を滅ぼせたからだ。


「魔法ですか……」


 サラが険しい顔をする。

 それは、今は昔よりももっと魔法の認可は厳しく、魔法の事が書かれている本――魔導書の存在自体が稀有なものとなっているからだ。


「うーむ。此処には生活魔法の本しかないからのう。イルゼちゃんももっと良い魔法を知りたいだろうし」


 そこで機を窺っていた人物が手を挙げる。


「ギルマス、私から提案していいですか?」


「ん? 言ってみなさい」


 一応聞きますけどイルゼさんは王様と仲いいんですよねと聞き、「? たぶん」小首を傾げられながら肯定された後、エルサはイルゼに対してちょっと膨れっ面をしながらも魅力的な提案をした。



「では王立図書館に行ってみるのはどうでしょうか?」

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