第24話 泥酔者 そして判明
イルゼが魔剣を取り込んだ少年を倒してから数日、ようやく事が収束したとしてイルゼ達はギルマスに呼び出されていた。
「ん。入る」
「来てやったぞ」
応接間に入ると、ギルマスが気難そうに座っていた。その目には疲労の色が見える。
「……イルゼちゃん、派手にやってくれたのう。役人達が住民を説得するのに苦労していたぞ」
それは怪物との激しい戦闘――足の踏み場や攻撃の波動でやむを得ず破壊してしまったスラム街の事を言っているのだと二人はすぐに理解した。
そして言葉とは裏腹に、ギルマスは二人に柔和な笑顔を向けていた。
そう、笑顔である。
「ごめんなさい」
「余がやったわけではないが――すまぬ!」
その『笑顔』の中から禍々しさを感じとった二人は咄嗟に頭を下げる。
「別に怒ってはおらんぞ。ただ魔物討伐から帰ってきてみれば、街で何やら揉め事が起き、その事後処理に追われ、寝る間も惜しんで昼夜問わず働かされたものだから疲れておるだけじゃよ」
老人をこき使うとは――これだから権力者は嫌なのだと、右肩を回しポキポキと音を立てる。
彼の言う権力者とは、ランドラの街を統治する領主の事であった。
Sランク冒険者でもあるギルマスは、文句を垂れつつもランドラの守護者として日夜様々な業務に励んでいるのだ。
その片手には「お前酒好きだろ? また良いの仕入れたからこれで勘弁してくれー」と泣きついてきた領主に半ば懐柔され、受け取ってしまった高価な酒瓶が握られていた。
(どこも人手不足は否めんか)
酒瓶を垂直にして、グビッと喉を鳴らす。
中々良い酒だとギルマスは口元を拭い、自分の顔が火照っているのに気付く。
普段は酔わないギルマスも今日は少し酔っていたのだ。
自棄飲みしたせいもあるのだろう。
そして面倒くさい酔っぱらいとなり果てたギルマスが、気怠げな声でイルゼ達に絡み始める。
「のうイルゼちゃん、リリスちゃん。疲労困憊で今にも倒れそうなワシの肩を揉んではくれまいか?」
「ああ、疲れた疲れた」とわざとらしい言い、イルゼ達にチラチラと視線を送る。
あの後、後処理を全て他人に任せ自分達はランドラの街並みを巡ったり、娯楽施設を堪能していた自覚のある二人は、その背徳感からギルマスの我儘に付き合ってあげる事にした。
「分かった」
「ぐぬぬ、余が人間の肩を揉むなど……というか余は関係なくないか?」
破壊してないし、イルゼ一人がやればよくない? 魔王としてのプライドが人間の肩を揉む事など許さず、リリスは自分だけ逃げようとするが、その細腕を銀髪の少女にガシッと掴まれる。
「だめ! リリスも楽しんでた。マッサージチェア?とかいうやつで」
有無を言わさぬ口調であった。
リリスの脳内で、「ふわわ〜!! この魔導機器、気持ちいのうー」と言っていた記憶が蘇る。
「…………気持ちよかったのだから仕方あるまい」
開き直ったもののイルゼには通じなかった。
二人はギルマスの後ろに回り、イルゼが右肩、リリスが左肩を受け持つ。
そしてギルマスの肩を力強く揉みしだく。
「あーそこそこ――こんな可愛くて若い子に肩を揉まれる日が来るとは……ワシがもうあと数十年若ければ手を出していたかもしれんな。いや、あの時結婚していれば子供はこのくらいの年齢になっていたはず」
酒が回り始め、ギルマスは饒舌になっていく。
「あのアホがの。領主になった途端、ワシをこき使うようになったのじゃ。まったくもってけしからんと思わんか?」
「うんうん。でもそれギルマスがとっても信頼されている証拠なんだよ」
「そうか! そんな考え方があったか。確かにあいつは昔からワシのことを……」
そうだね、うんうん、凄いねとイルゼはギルマスの愚痴に適当な相槌をうつ。
イルゼとしては、いい年した大人の愚痴など微塵も興味がなかったので、右から左へと会話の内容は流れていた。
ギルマスの愚痴を馬耳東風に聞き流しながら、肩を揉み揉みするイルゼにリリスが「これいつまで続ければいいの?」と目で訴えてきた。
「分からない」
その一言でリリスの心は砕けそうになった。
それは人間の肩を揉むという敗北感からではない。単にいつ終わるか分からない肩揉みを続けなければいけないという絶望感からだ。
「もう力が……」
すでにリリスがギルマスの肩に与える圧力は微々たるものになっていた。
人間となったリリスの握力は、今や同年代の少女と殆ど変わらないくらい弱くなっており、ギブアップ間近である。
「リリスがんば!」
親指を立てて応援するイルゼは、リリスとは反対にまだまだ余裕を見せていた。
「むむむ、なんの余は魔王であるぞ!!」
イルゼの安い挑発に、リリスの自尊心が刺激される。
リリスは魔王としての威厳を保つため、イルゼより先に音を上げるわけにはいかないと力を振り絞る。
しかしそれも長くは持たない。
もはや献身的にギルマスの肩を揉んでいる時点で、リリスには魔王の威厳もへったくれもないのだが、当の本人はそれに気付いていなかった。
(ああ、ほどよく良い)
一人だけ美少女二人の肩揉みを満喫している『ライアス・シュローダ』55歳であった。
(死ぬぅ〜!! もう限界じゃ)
そこで勢いよく応接間の扉が開き、一人の受付嬢が飛び込んできた。
「ギルマス!! これを」
サラが勢いよく扉を開けた先には、一人の男性が美少女二人から肩を揉み揉みされていると言う光景が広がっていた。
「なっ、なな!」
ギルマスは二人に甲斐甲斐しく尽くされ、完全に脱力しきっていた。
もはやギルマスに、ギルマスといえる貫禄は残っていなかった。
そんなギルマスをサラは冷めた目で見つめる。
「…………これどういう状況です?」
サラの問いかけに涙目のリリスが答える。
「サラ〜余を助けておくれー。もう力が……」
ぐすん、ぐすんとリリスはサラに助けを求める。そんなリリスの惨状とギルマスの手にある酒瓶を見て、何が起きたかすぐに理解した。
「ああーそういう事ですか。お酒を飲んだギルマスの悪い癖が出ましたかー」
ちょっと待ってて下さいねと、絶望的な顔をするリリスを置いて、サラはどこかへ向かう。
その間にもリリスの限界は近付いていた。
「うー!! 腕がもげるー!」
そんなリリスを嘲笑うかのように、イルゼはすまし顔を維持する。
「リリス、力の入れ方が下手なんだよ。だからすぐに疲れちゃう」
「ぬあー!!」
イルゼとリリスのたわいない争いに決着が着こうという時、部屋にちゃぷちゃぷと音がするバケツをサラが運んできた。
どいてどいてーと、サラは重いバケツを両手で持ち、ヨロヨロしながらギルマスの元へ近づく。
二人は次起こる事を予測し、肩揉みをやめ、ギルマスの側から離れる。
「ん? なんだ」
肩揉みをやめた事で、ギルマスが異変に気づく。しかし気付いた所でもう遅かった。厄災はすぐ目の前まで迫ってきていたのだ。
「さぁギルマス、現実に戻ってきて下さい!!」
「さ、サラー!? ――まッ」
バケツの中の水を思いっきり頭からかけられ、ギルマスは全身びしょ濡れとなる。
これにより、ギルマスは完全に目を覚ました。
「わあ」
「びしょ濡れだのう」
イルゼとリリスには水がかからないようサラが配慮した為、二人には水滴一つ付いていなかった。
しかし、サラが水をぶっ掛けたせいで、部屋は水浸しだ。後でお叱り間違いなしである。
「起きましたか?」
「酷い起こし方をするなお前は」
「私が小さい頃よく貴方にやられた事ですけど何か文句が?」
ギルマスは押し黙るしかなかった。
「…………すまん」
「それにイルゼちゃん達に我儘言って、肩揉みなんかさせてたギルマスが悪いんですからね」
疲れ果てたリリスとすまし顔のイルゼを指差す。
リリスは気づかなかったか、イルゼは指を小刻みに震わせていた。存外彼女も慣れない事をして限界を迎えていたのだ。
「イルゼちゃんにリリスちゃん、すまん。この通りじゃ許してくれ」
ギルマスは濡れたままイルゼ達に土下座をする。
「ん。サラ、こういう時どうすればいいの? 許すって言えばいいの?」
「それはですね……」
ゴニョゴニョと何かを耳打ちし、なるほどとイルゼが頷く。
「今回はこれで許してやろう」
棒読みで台詞を吐いたあと、イルゼがギルマスの背中を容赦なく踏みつけた。
グリッという音が響き、俯いたままのギルマスが小さく呻いた。
Sランクが相手という事で、イルゼは手加減の手の字もしなかったのだ。
それは老体の身であるギルマスには中々堪えた。
(イルゼになんてことを教えてとるんじゃー!!)
リリスが無表情でギルマスを踏み続けるイルゼを止める。
そして踏まれているギルマスは、55歳にして新たな境地に目覚めそうになっていた。
(おお、これはなんとも言えない感覚!)
リリスに「もうよい!」と言われ、イルゼはサラの方に目を向ける?
「サラ、これでいいの?」
「はい、お上手ですよ」
ふふふっ、とサラは含み笑いをする。まるで悪戯を成功させた子供のように。
これはやばいと判断したリリスが、混沌とした雰囲気からの脱出に図る。
「そ、それでサラ。先程、何を言いそびれたのじゃ?」
「あ、それはですね」
話を振られたサラは、凛とした口調で喋り始め、先程までの戯けるような雰囲気ではなくなっていた。
同時に混沌とした雰囲気が霧散し、イルゼも背中を踏むのをやめ、応接間に荘厳な雰囲気が漂う。
ただ一人、愉悦感に浸るギルマスを抜いて。
サラがこほんと一つ咳払いをして、ではと報告を始める。
「盗賊の棟梁が持っていたギルドカードの正否が判明しました。間違いなくあのカードはうちのギルドで正式に発行されたものでした」
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