第23話 夜景 そして告白

 日が沈む前に、丘の上に登りきったイルゼ達がまず目にしたのは、男女二人組が肩を抱いて夕陽を眺めている映画のようなワンシーンだった。


 それも一組ではない。あちらこちらに肩を抱かれ、恍惚とした表情で男性に寄り添う女性や互いの背中に手を回し、抱擁を交わす男女がいた。


(もしかして……余とイルゼはミラに嵌められたのか?)


 去り際に見た、ミラの含み笑いはこういうことだったのかとリリスはミラの企みに気付いた。


 しかし、ここまで来てしまったのならもう仕方がないと思うのと同時に、ミラも一緒に来たかったであろうなと憐れんだ。


 耳を澄ませばミラの「私も行きたかったですよー天使様〜!!」という声が聞こえてきそうだった。


「…………」


 そして、イルゼと指を絡めている事に内心穏やかではないリリスは、じわりじわりと手汗が滲んできた事に気付く。

 

 その熱がイルゼに気付かれないように祈りながらリリスは平静を装う。


「あれ、カップル?」

「みたいじゃ……の」


 平常心、平常心! とリリスは心の中で、何度も呪文のように唱えていた。


「なんでリリス、そんなに顔赤いの?」

「気にするで……ない」


 リリスの心中など、全く鑑みないイルゼは、すばすばとリリスの痛い所を責めていく。


 そして周りのカップル達は、他者の目など気にせずイチャイチャし始める。


「んっ……」


 キスを始めるカップルを見て、ここは、デートスポットなのだとリリスは確信した。


 実際その通りである。


 ここはランドラの街で有数のデートスポットで、息を呑むような美しい街並みを一望出来る高台、ほどよい暗さ、まさに日が沈むこの時間帯は、告白するには持ってこいのシチュエーションだった。


 ここには居ないミラの策略に、イルゼとリリスは知らず知らずの内にまんまと嵌ってしまっていたのである。


「ねえ、もっと近くまで行こう」

「う、うむ。そうじゃな」


 あわあわと狼狽するリリスと違い、イルゼは平常運転だ。いちゃつくカップルなど気にせず普段通りに振る舞っている。


 ただ――カップルがしている事に興味がないだけなのかもしれない。


 イルゼは探究心の塊なのだ。本当に興味が有ればリリスに聞いている筈だ。


(まあ、聞かれたところで余にもキスの経験などないのだがな……)


 そんなイルゼを見ていると、リリスも少し落ち着きを取り戻した。


 イルゼはリリスを引き連れて、街を一望出来る位置に移動する。そこはミラの言う通りまさに絶景だった。


「すごい……街があんなに小さく。色んな屋根が見える」


「そうじゃな……ん、あれは冒険者ギルドではないか! ここからでもよく分かるのう」


「あれは今日行ったリラックス施設かな?」

「ん……確かに言われてみればそうじゃの。こんな遠くからよく見えるのう」


「ん。目はいい方」


 イルゼとリリスの二人は今日訪れた店や施設を指差し、あっちも行った、こっちも行った、あそこは行ってないねと、今日一日を振り返り、思い出を語り合った。


 心の底から楽しそうに思い出を語るイルゼに、リリスはミラの別の意図にも気付いた。


(本当に……五百年前とは大違いよのう)


 そう、今日ミラに勧められて訪れたオススメスポットは全てこの為の布石であったのだ。


 普段から、表情の起伏が乏しいイルゼの笑顔を見る為に。


 初めて彼女の名前を呼んだ時の次に、良い笑顔しているとリリスは思った。


「ん……」

 

 身振り手振りを加え、年相応にはしゃいでいたイルゼの動きがぴたっと止まり、無表情に戻る。


 イルゼは他のカップルに、冷ややかな視線を送られている事に気付いた。「雰囲気を壊すな」という意味が込められているのだろう。


「リリス、私たちも静かにしよう」


「ああ、そうじゃな」


 ほとんど喋っていたのはイルゼの方なんじゃがと言う言葉を飲み込み、リリスも口を噤む。


 二人は黙って景色を眺めていた。そして、時々後ろから聞こえる、「んっ……」という声に耳を傾ける。


(余の後ろでは、男女が愛を語り合っておるのじゃろうな……)


 丘の降りる道のりにはたくさんのカップルが熱い口づけを交わしているだろう。そんな中を通って帰る度胸などないリリスは、「え、なんで通っちゃだめなの?」と小首を傾げるイルゼを説得し、彼等が立ち去るのを大人しく待つ事にしていた。


「…………」


「…………」



「んっ……セイ……愛して……る」

「ああ……僕もだよ。リリィ」



「…………」


「…………のう、イルゼ」


「なに?」


 周囲から絶えず聞こえる愛の囁きを誤魔化すようにリリスは沈黙を破る。


「昼間……言った事なのじゃが……」


 歯切れ悪いリリスに、はて、なんの事だろうとイルゼは思考を巡らせ、そういえばリリスが昼間、自分に何か問いかけていたのを思い出す。


「昼間? 私がリリスの事をどう思ってるかっていう話?」


「そう、それじゃ……あの時はちゃんとした答えを貰えなかったからのう」


 期待はしていなかったが、今の雰囲気なら何か別の答えが返ってくるかもしれないという淡い期待もあった。


 イルゼは少し悩む素振りを見せ、


「――リリスはなんて答えて欲しいの? 私、リリスが何を求めているのか分からない」


 本人に直接聞くという凶行に出た。


 イルゼはリリスに、何を言ったら答えになるのか、何を言ったら喜んでもらえるのか全く分からなかったからだ。


 悪気が一切ない、善意による行動にリリスは唖然とする。


「――ッ!」


 イルゼは本当に無垢な少女なのだと、無頓着天然剣聖から認識を改めた。

 

 彼女の時は、剣聖になった日から止まっているのだ。


「イルゼは……指を絡める事の意味を知っておるか?」

 

 話の流れをぶった斬るように、突如、指の話をしだしたリリスに困惑しながらも、イルゼは自分が思っている事を伝える。


「え、指? ううん知らない。意味なんてあるの?」


 そこでリリスもようやく気付く。昼間、イルゼが言った「意味なんてない」という言葉は本当にその言葉通りの意味だったのだと。


「し、知らないのならいいのじゃ」


「え、なに、教えてよ」


 教えて教えてとリリスに詰め寄り、せがむイルゼに、リリスは「やめんか!」とイルゼを押し返す。そして視線をカップルの方に誘導する。


 リリスにつられカップルの方に目を向けるとイルゼは「あ!」と声を漏らす。


 そこでは、若い男女が両手の指を絡め合いながら、キスを交わしている真っ最中であった。


 パッとイルゼが視線を逸らし、リリスに向き直ると、深紅の瞳がイルゼを見つめていた。


 イルゼの視線を誘導してから、リリスはずっとイルゼの事を見ていたらしい。


「あ、リリス……」

「分かったかの?」


 イルゼは顔を俯かせながら、小さく首肯する。その耳は赤く染まっていた。


「もう一度聞く。イルゼは余の事をどう思っているのじゃ?」


「………………好きだよ……親友として」


「〜〜〜〜〜〜ッ!!」


 望んでいた筈の答えがイルゼの口から出た事にリリスは歓喜する。他に人がいなければ、声を上げて喜んでいただろう。


 しかし、好きの後に付け足された親友という言葉が無ければもっと良かったなとリリスは思った。


 だけど、リリスも今、イルゼに聞かれたら恐らく親友と答えるであろう。リリスにとってイルゼは友達以上、恋人未満であった。


 当のリリスに恋人などという単語を出せば、「余とイルゼはそんな関係では」と身振り手振りを交えて全力で否定する所であろう。


 だが、イルゼの言葉を聞いて心のもやもやが晴れたのは事実であった。


「そうか、余は親友か……」


「ん」


 満足げな今のリリスは、胸のつかえが取れたようにスッキリしていた。


 同時に、自分もイルゼの事が好きだという気持ちに気付く。


 無論、それは親友としてだが。


「そっか……親友として好きか。魔王として、戦うのが好きだと言われたらどうしようかと思ってたぞ」


「私、そこまで脳筋じゃない」


「それもそうじゃの。イルゼも女の子であるからな。なははははっ!!」


「むっ、リリスのいじわる」


 小馬鹿にするような言い方と豪快な笑いに、イルゼはむっと頬を膨らませる。


「そういうリリスは私の事どう思ってるの!」


「余? もちろん、お主の事は好きだと思っておるぞ。親友としてな」


 イルゼとは違い、淀みなく好きと伝え、イルゼの膨らんだほっぺたをつつく。


 ぷにゅと音がして、イルゼの口から空気が吐き出される。


「それならいい。これは相思相愛」


「若干、意味が違うように聞こえるのじゃが……まあいいじゃろう」


 するとイルゼが、とすんとリリスの肩に頭をもたれかけた。


 驚いたのはリリスだ。


(なぁっ!? これは雰囲気に合わせて抱き寄せた方がいいのか?)


 刹那――リリスの手がイルゼの肩に不器用に伸びるが、あと一歩の勇気が踏み出せない。これで嫌われたらどうしようとリリスは悶々と思い悩む。


「リリスの肩、柔らかい。少しの間、こうさせて」


「う、うむ」


 自分からさらに寄ってきたイルゼに、抱き寄せる機を逃したとリリスは悔やむ。


 同時にここにはいない誰かに、このヘタレ魔王! と言われた気がしてならなかった。


(おかしいのう……余とイルゼの正体を知っている者は限られておる筈なのじゃが……何故か大勢の者に見られている気がしてならない)


 それは流石に気のせいだとリリスは意識をイルゼに向ける。イルゼは自分の肩で気持ち良さそうに目を瞑っていた。


 しかし寝ているわけではない。


「イルゼ」


「ん。なに?」


「帰る時はどうする? 指を絡めるのはやめておくか?」


「む、それだと私が何か負けたみたい。いい、手を繋いだまま帰る」


 意味を知った上でイルゼは、指を絡めてもいいと許可を出した。 


 その事にリリスは嬉しくなる。


(なぜ、こんなにも嬉しいのかは分からないが、親友などいなかった余からすれば、初めての親友に対するこの気持ちは他の人間が感じているものと同じであろう。ならばこの高揚感は至極当然なのかもしれないな)


 リリスが思っている事とイルゼは似たような事を考えていた。イルゼにも親友はおろか、当たり前だが友達などいたことさえないのだ。


(ん。リリスは親友。だから好き)


 二人が抱いている気持ちに、多少のずれはあるのだが、相手の事を『好き』と思う気持ちは一緒であった。


 すっかりと暗くなった高台は、幻想的な雰囲気を醸し出し、ふと空を見上げると満天の星空が広がっていた。


「綺麗……」


「綺麗じゃな……だがイルゼには負ける」


「え?」


「なんでもない。忘れてくれ」


 今夜は雲一つない、星月夜であった。

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