第14話 純粋な女の子と初心な女の子

「絶対取り返す!」


 イルゼは決意を胸に、愛剣の柄に手を掛けた。


 殺気立つイルゼをリリスが慌てて諫める。


「ま、待つのじゃイルゼ。子供に剣を向けるのはよくない」


 リリスが必死になって、狂犬となったイルゼを説得する。リリスの至極真っ当な意見を前に、イルゼの中で冷静な自分と感情を昂らせた自分がせめぎあっていた。


「むぅー……」


 そして剣の柄に手をかけたまま、微動だにしなくなる。


「そうじゃ落ち着け、落ち着くのだ」


 リリスがイルゼの手を優しく包み込み、ゆっくりと剣の柄から離させる。


「よーし、いい子だ」


 リリスは小さい子供をあやすように接しながら、ゆっくりと落ち着かせていく事で、イルゼの殺気はひとまずおさまった。


 しかしイルゼは誰の目から見ても明らかな程、機嫌悪そうにしかめっ面をしていた。


 イルゼは顔によく出るなーとリリスはまた一つ、彼女の扱いに賢くなった。


「お主は顔に出やすいのう」


「むー、そんな事ない!」


 イルゼは不服そうに頬を膨らましている。


「落ち着いたか?」


「ん。剣は使わない……でもその代わりこれで殴る」


 イルゼは自分の拳をギュと握った。殴らないと彼女の腹の虫が治らないらしい。


(せいぜい、一発か二発という所であろう)


 子供相手に顔がボコボコになるまで、殴る訳がなかろうとリリスは軽く考えていた。


「ちなみに剣を使った場合、どの程度まで手加減するつもりだったのじゃ? まさか斬り殺すとは言うまい」


 自分で言っておいてなんだが、盗賊を笑顔で蹂躙したイルゼが、自分の大切な物を奪った少年を殺さないという保証はどこにもない。


 リリスは急に不安になる。

 そしてイルゼの次の言葉を聞いて血の気が引いた。


「うん、殺しはしないよ。腕とか足を一本斬り落とすくらいだから」


 イルゼは恐ろしい事を平然と言いのけた。だが彼女からすれば、これはかなり譲歩している方なのである。


 しかしリリスのように、まだまともな思考をしている者にとって、イルゼの考えは理解出来ないものがあった。


(これはボコボコに殴られるだけじゃ済みそうにないのう。男ならあそこを……それなら一層、腕を斬られた方が……いいやどっち道、出血多量で死んでしまうか)


 リリスは、少年の身に起こる悲劇を想像し、身を震わせる。

 イルゼはそんなリリスを見て、うん? と小首を傾げ、その後何かに気が付いたようにぽんと手を叩いた。


「大丈夫。応急処置の方法はさっき本で覚えたから」


「そ、そういうことを言っているのではない!」


「えっ?」


 イルゼは本気で何を言っているのか、分からないといった顔をリリスに向けていた。


 相変わらず、彼女はどこかずれていた。


(どう言えば分かるかのじゃ)


 知識として頭に入れた物と、実践はまた違うのだと言いたかったのだが、いかんせん、イルゼに分からせるような物言いをリリスは思いつけなかった。


 彼女の足りない頭ではこれが限界なのである。


「? 行くよ」


「う、うむ」


 結局、何を言えるわけでもなく、リリス達は再び、少年の後を追う事になった。



 人ひとりがやっとの狭い通路を進む。

 薄暗い通路には、鼻の奥を突き刺すような悪臭が立ち込めていた。


「くふぁい」


「くふぁいの」


 二人は鼻をつまみ、足元に注意しながら奥へ奥へと進む。

 狭い通路には、腐敗した食べ物やガラス片が散乱し、よく分からない液体が壁に染み込んでいた。


「きひゃない」


「きひゃないの」


 汚れた壁を見ていると、自分も薄汚れていく気がしてならなかった。

 なので帰ったら真っ先にお風呂に入ろうと、二人は決意を新たにする。


 そして、明るい方へ進むにつれ、歩幅が広くなっていき、見通しのよい、少し開けた空間へと出た。



「いた」



 イルゼの視線の先には、先程、イルゼにぶつかった少年がいた。


 一人ではない、他にも何人もの少年が集まって、冷たい床に宝石や真珠のネックレスなどの金品を広げていた。


(……あの量、イルゼから奪っただけでなく他の人間からも奪っておったのか)


 革で作られた長財布や貴婦人が好んで使うデザインの財布など。大小様々な形や色をした財布が木箱の上に乱雑に並べられていた。


 中に入っている金だけ抜き取って、財布は処分するつもりなのだろう。


「ぬっ?」


 その時、リリスの足がピタリと止まり、直立不動になって彼等の寝床に使われているであろう灰色の建物に目を向ける。


 見るからに廃墟だ。


「………………」


 リリスは何故かその建物に酷く目が奪われた。そして身体が勝手に動き出し、その建物に向かおうとする。


 リリスは、まるで自分の身体が、自分の物ではなくなったかのような感覚に陥っていた。


 そんな不可解な行動をするリリスに、イルゼが気がつき声をかける。


「リリス?」


「あ、いやなんでもない……余の気のせいだったようじゃ」


 イルゼに声を掛けられ、ハッと我に返ったリリスは、その不思議な感覚がなくなっている事に気づく。


(今のは一体なんだったのじゃ……)



「?」


 そんなリリスに首を傾げながらも、イルゼは自分の大切な持ち物を遠目から探す。


「私のポーチは――あった」


 他の財布と同様に、イルゼのポーチも木箱の上に積み上げられていた。


 そしてイルゼが、満を持して少年達の元へ歩み寄る。



「ねぇ、私のポーチ返してくれない?」



 無機質な声が場を支配した。その声に怒気は含まれていないが、少年達に向けて明確な殺意を持っている事は明らかだった。


「あ!」


 イルゼからポーチを奪った少年がイルゼの姿を見て驚き、声を上げた。


「君、だよね? 私からポーチを盗ったの」


 少年が後ずさる。

 その目は怯え、足はカタカタと震えている。


 その少年を少し背の高い少年が殴り飛ばす。


「お前なんで後をつけられてるんだよ! 注意しろってあれだけ言っただろう!!」


「ご、ごめん」


 少年は殴られた方の頬を抑える。その口元からは血が滲んでいた。口内を切ったのであろう。


「ちっ、まあいい。――お姉さん達、見たところ冒険者様みたいだけど、この人数相手に勝てると思ってるの?」


「無論、そのつもりじゃ」


 少年の問いにリリスが答える。


「……自分は戦えないくせに」


 小声でぽそっと呟いたイルゼは、リリスに頭の後ろをペシっとはたかれた。


「あうっ!」


 イルゼが頭の後ろを押さえながら、恨めがましい目でリリスを見つめる。


「余計な事をいうイルゼが悪いんじゃ」


 リリスはムスッと頬を膨らませ、腕組みをした。そして腕を組む事で、彼女の豊かな胸が強調される。



 二人を見た少年の一人が自分の下半身をまさぐった。


「なぁ兄貴、こいつらヤッちまっていいよな?」


 兄貴と呼ばれた丸刈りの少年は、しばし考える素振りをとる。


「……奴隷に落とすなら、犯すと価値が下がるぞ」

「ああ、そっか」


 少年達は舐めまわすかのようにイルゼとリリスの全身を隈なく流し見る。


「でもちょっとくらい贅沢してもいいだろ?」

「まあ、今回限りは許そう。犯しても高く売れそうだからな」


 街の汚点……どこに行っても必ずと言っていいほど存在するスラム街。そこに属する少年達にとって器量がよく、身なりもいいイルゼ達は、欲情の的であった。


 同時に彼等にとってイルゼ達は高く売れる物でもあった。


「リリス、犯すってなに?」


 突如イルゼからそんな事を聞かれ、リリスは素っ頓狂な声を上げてしまう。


「ふぇ?! ――イルゼ、まさか犯すの意味を知らないのか?」


 こくんと頷いた。予想通りの反応が返ってきて、リリスは頭を抱える。


(これについては説明出来るとも!! しかしどうやってオブラートに包んで伝えればいいんじゃ!)


「リリス?」


 彼女は悩んだ。そして悩んだ末、何とか言葉を絞り出す。


「その……男女の営みをするという事じゃ」


「営み? 子供を作るって言うこと?」


 リリスは直接的な言葉を避けていたというのに、イルゼは堂々とそれを口にした。

 

「そういうことになるな……うん。だから、その……」

 リリスはボッと顔を赤くして、歯切れ悪くなる。これ以上の言葉は紡ぐ事は出来なかった。

 リリスの反応に、イルゼもそれである程度悟った。


「つまりあの子達は私とリリスによくない事――子作りをしようとしてるんだね」


「うん。まあそう言うことじゃ」


 もう何もかも諦めたリリスであった。


「だったら懲らしめなきゃ」


 イルゼはバキボキ指を鳴らしながら、少年達に詰め寄っていく。

 二人の会話を聞いていた少年達は、リリスとイルゼの様子に、処女か? 処女なのか? と期待を寄せる。

 イルゼはもちろんのこと、リリスに至っては1500年生きたというのに異性に本気で好意を抱いた事がなければ、恋愛さえした事がなかった。


 リリスは初心うぶな魔王なのだ。


「う、ううー」


 恥ずかしくなったリリスは、悶え、顔を抑える。

 そんなリリスを見てイルゼは、どうしたのと声をかける。リリスはただただ首を振るうばかりだった。

 そして少年達とリリスを見比べ、こうなったのは少年達のせいだと結論づけた。


 理不尽この上ない。


「リリスをいじめた。許さない」


「あ? なに言ってるんだお前。許さない? 女のくせに生意気だな」


 少年達はイルゼ達を円になってとり囲み、兄貴の号令はまだかまだかと待ち望んでいた。リリスは「ひぇっ!」と小さく悲鳴をあげ、イルゼの影に隠れる。


 対するイルゼは相手が畜生だと分かり、躊躇いなく殴れるのでやる気満々だ。


「こい!」


 イルゼが少年達を挑発するのと同時に、兄貴も声を荒げた。


「冒険者といってもたかが女、それも戦えるのは一人ときた。おい、お前ら自分からせがんでくるまで犯してやれ!!」


 少年達は一斉にイルゼ達に向かって飛びかかった。

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